2024年6月28日金曜日

(幕間)19世紀の仏軍事理論家ドゥ・ピックの「戦闘の研究」

  VaeVictisの今号の付録「Münchengrätz-Gitschin 1866」のルール、というかLes Grandes Batailles du temps de Napoléon III(ナポレオン三世時代の主要会戦)シリーズのルールは、このシリーズが扱っている時代の仏軍将校で軍事理論家だったアルダン・ドゥ・ピックArdant du Picqの考えから着想を得た、なんてなことがルールの冒頭に書いてあった。火力のみでは勝利は確実なものとはならず、強力な突撃によって敵の士気を喪失させる必要があるのだ、という考えだそうだ。突撃は白兵戦に至る前に、失敗に終わるか敵が逃げ出すかどちらかだ、とのこと。

 ドゥ・ピックは1821年生まれで1870年に普仏戦争で戦死しているという、まさに「Les Grandes Batailles du temps de Napoléon III」の同時代人。「Études sur le Combat(戦闘の研究)」という本を書いていて、フランスの国立図書館のサイトでスキャンデータが公開されているので読んでみた。ちなみにいくつか版が出ているようだけど、読んだのは一番最初に目についた1880年版。なお、「Études sur le Combat」は和訳も出ていて、小さなウォーゲーム屋さんで売っている。

https://petitslg.shop-pro.jp/?pid=161457780 (オリジナルの仏語からではなく、英訳からの重訳のようです。)


 ドゥ・ピックは人間心理を重視したようで、人間の心理こそが戦争のすべての出発点なのだ、という18世紀の軍人ド・サックス元帥の言葉を最初のほうで引用している。戦争のことを学ぶためには、人間の心を学ばなければならない、と。

 ちなみにドゥ・ピックの上記の部分の原文はLe cœur humain est donc, pour employer le mot du marechal de Saxe, point de depart en toutes choses de la guerre; pour connaitre de celles-ci, il le faut etudier.って書かれているんだけど、このド・サックスの言葉で検索してみたらフランス陸軍の指揮に関する文書が出てきて、冒頭で引用されていた。有名な言葉なのかな。

L’exercice du commandement dans l’armée de Terre


 

 それはさておき、このドゥ・ピックの「Études sur le Combat」は二部構成で、第一部は古代の戦闘、第二部は近代の戦闘について分析している。古代の戦闘では士気について結構書かれているんだけど、第二部の近代(ドゥ・ピックにとっては現代)でも、兵器は進化しても人間は変わらないと述べている。兵器だけでなく人間そのものについてもちゃんとわかっていないといけないってことなんでしょうな。l'homme ne change pas(人間は変わらない)の部分を斜体で強調しているし。軍隊における規律やsolidaritéの重要性を説いていたけど、この場合solidaritéって連帯というよりは団結って訳したほうがいいのかな。それと、勝つためには敵の不安cranteを恐怖terreurに変えないといけない、とか述べている。


 で、ドゥ・ピックの考えがLes Grandes Batailles du temps de Napoléon IIIシリーズのルールにどう反映されているかというと、うーん、正直自分にはあんまりわかんなかったな。戦闘ユニットが戦闘力のほかに士気値を持つっていうのは他の時代のゲームにも結構あるし。ファイアパワーで防御側が先に射撃、というのもまあ、そんなに珍しくないと思うし。戦闘結果が基本的に混乱+退却で、混乱から回復してまた攻撃できるっていうのが、物理的損害よりも心理面を重要視していることになる、のかなあ。もしかしたら、個々のルールではなくルール総体なのかもしれないけれど。この時代の軍隊や戦い方、それにそもそもウォーゲーム全般に関して知識がないのですみません…。でもまあ、ドゥ・ピックの考えは世紀をまたいで第一次世界大戦の仏軍にも影響を与えたようなので、ご興味ある方は読んでみてください。で、ルールのこういうところにドゥ・ピックの考えが反映されているんだよって教えてね。

2024年6月23日日曜日

戊辰戦争の2年前の欧州で Münchengrätz 1866(VV174) AAR ③

 ●第1ターン (8:00) つづき

 各ターンの最後、すべての部隊の活性化が終了した後に回復フェイズ(Phase de ralliement)がある。非混乱状態の敵ユニットのZoCにいない限り、混乱状態からの回復を試みることができ、1D6に士気値を足して6以上だと成功だ。例えば士気2の歩兵だと2分の1の確率で回復するのだが、指揮官とスタック・隣接していると有利なDRMが付く。今ターンのSchölerの攻撃で混乱状態だったLeningenの歩兵は、指揮官の叱咤激励で回復した。


●第2ターン (9:00)

 前ターンに続いて平野部ではプロイセン軍のFransecky部隊がマップ中央のミュンヘングレーツに向けて急進、Hornの部隊はMusky山を目指した。

 右翼から敵が迫ってくるのを見たオーストリア軍は、左翼方面のSchölerに対しては指揮官のLeningenと兵力の一部を足止めとしてとどめ、残りをミュンヘングレーツに向けて後退させる。そして前ターン活性化に失敗したAbeleだが今回は成功し、Musky山に向かって登ってくるHornの部隊に山上から砲撃を浴びせる。だが効果はなく、Hornに連絡線を断ち切られる前に山上の部隊は撤退を始める。そしてミュンヘングレーツの右方をカバーするために部隊を前進させた。

 マップ左方で早くIser川を渡河したいプロイセン軍Schölerは、こちら岸の村にとどまっているLeningenを歩兵2ユニットの計6戦闘力で攻撃する。守るLeningenは歩兵、猟兵1ユニットずつの総戦闘力4。だが猟兵は村に対する攻撃であれば攻防いずれの側でも+1DRMの有利な修正を得られる。Leiningenの陣頭指揮によるDRMも加わって、プロイセン軍歩兵は両ユニットとも激しい防御射撃に耐えられず退却してしまった。


 このシナリオでは猟兵(Jäger)は、戦闘力も士気・ステップ数も1しかない(歩兵は通常、戦闘力3で士気・ステップ数は2)。Jägerといっても立体機動して巨人を駆逐したりは到底できないのだけれども、スタック制限は通常2ユニット+猟兵のところ、村へクスでは1ユニット+猟兵と減るので、先述の村の戦闘でのDRMと相まって、村の防御を増強したいときには結構重宝するのである。


●第3ターン (10:00)

 このターン最初に活性化が回ってきたのは、ミュンヘングレーツに向けて街道を急進してきたプロイセン軍Franseckyの部隊だった。歩兵2ユニットに指揮官の戦闘ボーナス2という強力な戦力でもって攻撃をしかけたいFransecky。だが前ターンに敵オーストリア軍は村を利用して防御ラインを構築しただけでなく、後方から砲兵の支援も受けられるように布陣していた。このゲームでは戦闘の際、砲兵ユニットは同じ部隊に所属している友軍ユニットが攻撃されている場合、防御射撃に自身の戦闘力を加えることができる(ただし射程は半分になる)。

 ミュンヘングレーツ、それにその右方のAbeleがいる村へクスも、攻撃するなら敵後方からの激しい砲撃にさらされることになる。ミュンヘングレーツを目指していたFranseckyは敵の布陣を見てマップ右方に転進、敵防御ラインの右翼に位置する一番弱いスタックを攻撃した。ここも村ではあるものの、守るのは猟兵のほかは戦闘力1の弱小歩兵。このシナリオでは主戦力となる戦闘力3の歩兵はオーストリア軍には3ユニットしかなく、防御ラインに弱点が生じやすいのだ。Franseckyの兵たちは敵の砲兵の視界外に回り込んで村を強襲、1ユニットが防御射撃で撃退されたもののオーストリア軍を退却に追い込んだ。

 Franseckyの攻撃を受けたオーストリア軍はマップ下方へできる限り後退。LeningenもIser川の対岸から撤退した。このシナリオでのオーストリア軍は守り切ることではなく、時間を稼ぎつつ全軍を盤外に撤退させることにある。強力なプロイセン軍に対し無理は禁物だ。

 敵を逃がすか、とSchölerは前ターンに続いてLeningenを攻撃。だがまたも撃退されてしまい、Iser川渡河ならず。プロイセン軍は続く回復フェイズでも混乱状態からの回復に失敗するユニットが多く、次ターンの攻撃力が低下してしまった。


つづく


2024年6月19日水曜日

戊辰戦争の2年前の欧州で Münchengrätz 1866(VV174) AAR②

 ●第1ターン (8:00)

 このターンのみ、プロイセン軍が一番最初に活性化する部隊(formation)を選べる。プロイセン軍はマップ左方の山地に位置するSchölerの部隊を動かした。村を守備しているオーストリア軍歩兵を、歩兵2ユニットと猟兵(Jäger)で攻撃する。

攻撃するSchölerの部隊。ユニット左下が戦闘力。中央は士気・ステップ数

 

 このゲームシリーズでは、複数のユニットによる同時攻撃は連携攻撃(Combat coordonné)となって、部隊指揮官(chef de formation)が戦闘に参加している必要があり、1D6を振り指揮官の指揮値(Valeur de commandement)を足して6以上となると連携攻撃が可能となる。Schölerの指揮値は4なので6分の5の確率で成功だ。

 戦闘は防御射撃(Tir Défensif)の後、攻撃側による強襲(Attaque)を行うのだが、防御射撃によって退却しなかった攻撃ユニットのみが強襲できる。つまり攻撃側は防御射撃に耐えられたら攻撃ができるのだ。(なお、ルールの訳語は自分の感覚で適当にやっているので読まれる方は自分の好きな言葉に置き換えてください。)

 防御射撃だが、今回のように連携攻撃で複数のユニットから攻撃された防御側は、その戦闘力(Potentiel de combat)を敵攻撃ユニットに割り振る。例えば3戦闘力の防御ユニットが2ユニットに攻撃された場合、一方を1,もう一方を2で射撃できる。ここで特徴的なのは、ゼロ戦闘力でも防御射撃が可能なため、例えば攻撃2ユニットのうち一方をゼロ、もう一方を3で射撃のように、特定の敵ユニットに防御射撃を集中することもできるのだ。


 Schöler指揮下の連携攻撃を受けたオーストリア軍Leningen部隊の歩兵はその火力を脆弱なプロイセン軍猟兵に集中、混乱して退却させた。プロイセン軍は残る歩兵2ユニットで敵陣に突撃、村の防御効果で戦闘力が半減したものの、指揮官Schölerの戦闘ボーナス(Bonus de combat)2によるDRMにも助けられ、オーストリア軍歩兵は混乱して退却した。

 オーストリア軍のLeningenはミュンヘングレーツに駐留していた歩兵部隊をIser川の対岸に派遣し友軍の撤退を援護させる。そしてLeningenの右方をカバーするため、オーストリア軍のもう一方の部隊を指揮するAbeleが兵を前進させようとするも、活性化に失敗してしまう。


 総指揮官(commandant en chef)の指揮範囲にない部隊指揮官は、活性化の際にチェックをしなければならない。1D6を振り指揮値を足して6以上だと成功だ。Abeleの指揮値は3なので3分の2の確率で成功する。活性化に失敗した場合、指揮官は動けず配下のユニットは指揮官にむかってのみ半分の移動力で移動ができる。

 このシナリオではオーストリア軍に総指揮官は登場しないので毎回活性化チェックが必要、と思いきや、特別ルールでLeningenは常に活性化でき、AbeleはLeningenの指揮範囲にいれば活性化チェックは不要となる。ただ初期配置では指揮範囲外なのでチェックが必要で、失敗したのである。

 プロイセン軍にも総指揮官は登場せず、3人いる部隊指揮官は毎回活性化チェックを行うことになる。Franseckyは指揮値5なので常に成功、Schölerは4で6分の5の確率で成功なのだが、Hornは3なので3分の1の確率で失敗する。

指揮官ユニットの左下が指揮値。右端中央は戦闘ボーナス

 ぐずぐずしているオーストリア軍を後目に、平野部をプロイセン軍が前進する。このゲームでは街道(Route)を2ヘックス連続で通過すると移動力が+1される。Hornの部隊は街道沿いに急進、増援としてマップ右上から登場したFransecky率いる部隊がそれに続いた。

つづく

2024年6月15日土曜日

戊辰戦争の2年前の欧州で Münchengrätz 1866(VV174) AAR ①

  「1868 戊辰戦争」が発売されたと思ったらあっという間に完売して、ウォーゲーム界では戊辰戦争が盛り上がっているようだけれども、VaeVictisの最新号の付録ゲームは1866年の普墺戦争の会戦。おお、1866年と言えば戊辰戦争と同時代じゃないですか。いつもは中世の会戦ばっかりやっていてこの時代のゲームは全くと言ってやったことがないメンツだけれど、便乗するしかないだろこの戊辰戦争のビッグウェーブに! ということでプレイしてみた。

 今回VaeVictisでゲームになっているのはミュンヘングレーツMünchengrätzとギッチンGitschinの二つの戦い。ズデーテン山地を越えボヘミア(現在のチェコ)の中心部に向けて急進してくるプロイセン軍に対し、オーストリア軍は後退し戦力を集中しようともくろむ……ということらしいけど、普墺戦争ってモルトケ無双っていうイメージとケーニヒグレーツの戦いぐらいしか知らない。ミュンヘングレーツとギッチンはそのケーニヒグレーツの数日前に起こっていて、VVのヒストリカルノートも「ケーニヒグレーツの前の最後の戦い(Derniers combats avant Sadowa)」ってサブタイトルが付いている。ちなみにケーニヒグレーツの戦いってSadowaの戦いとも言うんですね。知らんかった。


 プレイしたのはミュンヘングレーツの戦いで、オーストリア軍は損害を抑えつつ撤退できるかというもの。ゲームはLes Grandes Batailles du temps de Napoléon III(ナポレオン三世時代の主要会戦) シリーズで、これまでもこのシリーズはVaeVictisの付録で何作か出ている。

 チットプルで部隊ごとに活性化し、砲撃・移動・戦闘を行うという比較的シンプルなルール。戦闘解決方法がやや特徴的だが、これは後述する予定。1ターン1時間、1へクス800m、高度レベルは1ごとに約50mの差。シリーズの作品によって規模が違うのかな、未確認なんだけど、ミュンヘングレーツとギッチンは1ユニットが連隊もしくは大隊で、1戦闘力が歩兵700-800名、騎兵だと500-600騎ほどを表している。

 初期配置は写真のとおり。マップの右上から左下にかけて流れるIser川が平野部と左上の山地を区切っている。このIser川はマップ右上の橋を除けば基本的にミュンヘングレーツ左方にある橋でのみ渡河が可能で、マップ中央の上と下にある橋は破壊されていて通行不可。また、ミュンヘングレーツ近くの橋はオーストリア軍が火を放つと通行不可になる。ただしプロイセン軍は橋の消火が可能なほか、渡渉点を探したり架橋することもできる。

 兵力的に劣勢なオーストリア軍は地形を利用して時間を稼ぎつつ秩序だった退却を行わなければならない。第6ターンにマップ南端の道路からマップ外に撤退するとユニット数に応じてVPが得られるが、逆にゲーム終了時にマップ上にユニットが残っているとVPが減少する。一方のプロイセン軍は敵の撤退を阻止しつつ、ミュンヘングレーツの村へクス、および制高点であるMusky山を5ターンまでに占領するとVPを得られる。


 早速プレイ開始、と言いたいところなんだけど本当に普墺戦争については全く知らないので、ヒストリカルノートとデザイナーズノートを読んでみた。VaeVictisのヒストリカルノートはたいていコラムがいくつかついているんだけれど、今回は5ページがっつりコラムなしの本文で勉強になりました。しかし、普墺戦争の開始時にプロイセンはザクセン王国に侵攻しているんだけど、オーストリア軍はザクセン軍をボヘミアに撤退させているんだよね。自国領土を一時的にせよ見捨てさせるほどオーストリアに統率力があったのかな。それと、普墺戦争ってドイツ語でDeutscher Krieg(ドイツの戦争)とも呼ばれるらしいんだけど、そういえばこの時期ドイツ統一をめぐってプロイセン中心の小ドイツ主義とオーストリア中心の代ドイツ主義の対立があったって世界史で習ったのを思い出しました。Deutscher Kriegっていうのはドイツのあり方を決める戦争だったってことなんですかね。


つづく

マーケット・ガーデン80周年なので読んでみた、『9月に雪なんて降らない』

 1944年9月17日の午後、アルンヘムに駐留していた独国防軍砲兵士官のJoseph Enthammer中尉は晴れわたった空を凝視していた。自分が目にしているものが信じられなかったのだ。 上空には 白い「雪」が漂っているように見えた。「ありえない」とその士官は思った。「9月に雪な...