「1868 戊辰戦争」が発売されたと思ったらあっという間に完売して、ウォーゲーム界では戊辰戦争が盛り上がっているようだけれども、VaeVictisの最新号の付録ゲームは1866年の普墺戦争の会戦。おお、1866年と言えば戊辰戦争と同時代じゃないですか。いつもは中世の会戦ばっかりやっていてこの時代のゲームは全くと言ってやったことがないメンツだけれど、便乗するしかないだろこの戊辰戦争のビッグウェーブに! ということでプレイしてみた。
今回VaeVictisでゲームになっているのはミュンヘングレーツMünchengrätzとギッチンGitschinの二つの戦い。ズデーテン山地を越えボヘミア(現在のチェコ)の中心部に向けて急進してくるプロイセン軍に対し、オーストリア軍は後退し戦力を集中しようともくろむ……ということらしいけど、普墺戦争ってモルトケ無双っていうイメージとケーニヒグレーツの戦いぐらいしか知らない。ミュンヘングレーツとギッチンはそのケーニヒグレーツの数日前に起こっていて、VVのヒストリカルノートも「ケーニヒグレーツの前の最後の戦い(Derniers combats avant Sadowa)」ってサブタイトルが付いている。ちなみにケーニヒグレーツの戦いってSadowaの戦いとも言うんですね。知らんかった。
プレイしたのはミュンヘングレーツの戦いで、オーストリア軍は損害を抑えつつ撤退できるかというもの。ゲームはLes Grandes Batailles du temps de Napoléon III(ナポレオン三世時代の主要会戦) シリーズで、これまでもこのシリーズはVaeVictisの付録で何作か出ている。
チットプルで部隊ごとに活性化し、砲撃・移動・戦闘を行うという比較的シンプルなルール。戦闘解決方法がやや特徴的だが、これは後述する予定。1ターン1時間、1へクス800m、高度レベルは1ごとに約50mの差。シリーズの作品によって規模が違うのかな、未確認なんだけど、ミュンヘングレーツとギッチンは1ユニットが連隊もしくは大隊で、1戦闘力が歩兵700-800名、騎兵だと500-600騎ほどを表している。
初期配置は写真のとおり。マップの右上から左下にかけて流れるIser川が平野部と左上の山地を区切っている。このIser川はマップ右上の橋を除けば基本的にミュンヘングレーツ左方にある橋でのみ渡河が可能で、マップ中央の上と下にある橋は破壊されていて通行不可。また、ミュンヘングレーツ近くの橋はオーストリア軍が火を放つと通行不可になる。ただしプロイセン軍は橋の消火が可能なほか、渡渉点を探したり架橋することもできる。
兵力的に劣勢なオーストリア軍は地形を利用して時間を稼ぎつつ秩序だった退却を行わなければならない。第6ターンにマップ南端の道路からマップ外に撤退するとユニット数に応じてVPが得られるが、逆にゲーム終了時にマップ上にユニットが残っているとVPが減少する。一方のプロイセン軍は敵の撤退を阻止しつつ、ミュンヘングレーツの村へクス、および制高点であるMusky山を5ターンまでに占領するとVPを得られる。
早速プレイ開始、と言いたいところなんだけど本当に普墺戦争については全く知らないので、ヒストリカルノートとデザイナーズノートを読んでみた。VaeVictisのヒストリカルノートはたいていコラムがいくつかついているんだけれど、今回は5ページがっつりコラムなしの本文で勉強になりました。しかし、普墺戦争の開始時にプロイセンはザクセン王国に侵攻しているんだけど、オーストリア軍はザクセン軍をボヘミアに撤退させているんだよね。自国領土を一時的にせよ見捨てさせるほどオーストリアに統率力があったのかな。それと、普墺戦争ってドイツ語でDeutscher Krieg(ドイツの戦争)とも呼ばれるらしいんだけど、そういえばこの時期ドイツ統一をめぐってプロイセン中心の小ドイツ主義とオーストリア中心の代ドイツ主義の対立があったって世界史で習ったのを思い出しました。Deutscher Kriegっていうのはドイツのあり方を決める戦争だったってことなんですかね。
つづく
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