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2026年4月10日金曜日

南のノルマン・コンクエスト - 『The Normans in the South 1016-1130』

  11世紀のノルマン人って言ったら1066年のノルマン・コンクエスト思い浮かびますが、地中海のど真ん中でも派手な征服活動を繰り広げていますよね。「書泉と、10冊」で復刊した『ノルマン騎士の地中海興亡史』っていう分量的にも手軽な本があって、面白いのでみんな読んでね! でももう少し知りたいなと思って、『The Normans in the South 1016-1130』という本を読んでみました。11世紀初め、ノルマン人が南イタリアにやってきたころから、1130年のシチリア王国成立までの、ノルマン人の動きというか暴れ方を描いています。

 まー徒手空拳で南イタリアに乗り込んで、政治的に分裂状態だったのをいいことに暴れまくって領土を切り取っていきシチリア島も征服してしまうというある意味痛快な話なんですけど、一回の会戦で形勢がほぼ決まった1066年のノルマン・コンクエストとは対照的というか、さすがイタリアというか、教皇やらビザンツやらイスラムやら神聖ローマ帝国の皇帝やらいろんな勢力が入り混じっているだけでなく、各都市も全然言うことを聞かないんですよね。しかも少数であるノルマン人は団結していたのかと思いきや、初期のころはSelf-interest was the first considerationだそうだし。ただThe Normans had in fact already mastered the art of being on the winning side, cashing in on all victories and somehow avoiding involvement in all defeats.で、in any battle in which Normans had fought on both sides it had already become the regular practice for those on the winning side to seek clemency for their less fortunate compatriots.だったそうです。でもね、傭兵状態を抜け出して南伊で勢力を確立していってもworse than the Saracens, who at least confined themselves to isolated raids, while the Normans kept up an unrelenting pressure on all who were weaker than themselves.とか、Norman barons - always more trouble than Greeks and Saracens put togetherとか、まあやっかいな感じなんですよね。南伊の分裂状態やノルマン人の身勝手さを考えると、ロベール・ギスカールやロジェールが優れた統率者だったんだなってのが逆によくわかりました。

 あとね、そういう荒くれのノルマン人たちを率いなければならなかったからこそ、ロジェールはknew that he could win the support of his Norman barons only by presenting them with an unexceptionable, legally-constituted monarchy as it was understood in the Westと、王位を教皇に求めたわけだし、ノルマン人についてTo a people so conscious of due form and legality, such an advance in status was inestimable significance.って書かれていたのもなんだか納得しました。The right of feud was abolished from above ... - an achievement at that time unparalleled in Europe outside England and Normandy.ってのも、強権という面だけでなく、そうしないとあっという間に仲間内でケンカし始めたんだろうなって思います。

 意外だったのが、ノルマン人ってヴァイキングの末裔っていうイメージがあったんだけど海戦の能力が南伊初期はかなり低かったということ。A curious aspect of their forebears' transformation ... from Vikings to Frenchmen was the speed with which they had blotted out their Scandinavian maritime traditions. Even in Normandy they seem to have shown little awareness of the potentialities of a strong navy; those who had come to settle in Italy had all arrived on foot or on horsebackだそうです。でも、シチリア侵攻の際にロベールとロジェールはすぐに海軍の重要性を理解したそうですが。 海軍と言えば、ノルマン人はビザンツから馬の海上輸送方法を学び、1066年のノルマン・コンクエストの際にはシチリアからの騎士が参加していてその技術が役立ったとか。へ~。

 それと、ロベール・ギスカールの奥さんSichelgaitaも気丈な女性だったようで、A woman of immense build and colossal physical strength, she was to prove a perfect wife for Robert, and from the day of their wedding to that of his death she scarcely ever left her husband's side - least of all in battle, one of her favourite occupations.だったとか。戦いの最中にノルマン軍が敗走し始めたときには「どこまで逃げる気だ?」って槍を手に馬を駆って逃げる兵たちを追いかけた、ってアンナ・コムネナが書き残しているそうです。こえーよ。

 まあほかにも、モンテ・カッシーノ修道院やら教皇やらがもう臆面もなくコロコロ立場を変えたりとか、シチリアがアラブ人の征服後に栄えていたところに、ロジェールがイスラム教徒を保護し政治・軍事の両面で重用したってのもよくわかりました。『ノルマン騎士の地中海興亡史』が面白いと思った人にはお勧めです。

2026年3月15日日曜日

12世紀イングランドの内戦を引き起こした一隻の船、『The White Ship』

 「Men of Iron Tri-pack」が再版されましたね。しかもシリーズ第6作の「Purgatorio」も出て、いやー、嬉しい。MoIシリーズは比較的シンプルなルールで多くのシナリオを楽しめるので、ハマる人がもっと出てくるといいなー。



 というわけでMen of Ironシリーズの関連書籍をちらほら読んでいるんだけど、今回は第5作「Norman Conquests」関連。ノルマン・コンクエストって言ったら世界史で習うぐらいメジャーだし、ノルマン人の南イタリアとシチリアの征服も『ノルマン騎士の地中海興亡史』が去年復刊されてるんですけどね、収録シナリオの一つ、Tinchebrai 1106についてもっと知りたいな、と思いまして。1066年のノルマン・コンクエストから12世紀半ばのプランタジネット朝成立までの200年弱ってぼんやりとした印象しかないんですよね。

 今回読んだのは『The White Ship』という本。The White Shipって言葉だけ見るとなんかいいイメージが湧いてしまいますが、イギリスの歴史においては悲劇の船らしいんですね。1120年、The White Shipはノルマンディーの港を出てすぐに沈没、乗っていたイングランド王の跡継ぎをはじめ王族、貴族が多数死亡してしまいます。この海難事故はイングランドとノルマンディーでthe Anarchy(無政府状態)と呼ばれる15年の内戦を後に引き起こすことになるんですが、ニューヨークタイムズのベストセラーにもなったDan Jonesの『The Plantagenets』もこのThe White Shipの難破から書き起こしていますね。『The White Ship』ではThe shipwreck impacted spectacularly on the next generation, resulting in the bloodiest anarchy that England has ever suffered.  'No Ship that ever sailed brought England such Disaster,'なんて書いています。

 それだけインパクトのあったホワイトシップの難破ですが、この本『The White Ship』はそれを中心にノルマンコンクエストからプランタジネット朝の開始までを概説しています。冒頭に触れたTinchebraiは征服王ウィリアムの死後、兄弟間の争いで起こった戦いで、この経緯についても説明していて、あの戦いが自分の頭の中でその前後の歴史の流れとつながって助かりました。それに、この本、結構わかりやすい文章で書かれているんですよね。おかげでさくさく読めました。

 しかしまあ、イングランドって結構内紛続きだったんだなっていう印象です。まあ征服王ウィリアム自身がノルマンディーにいた子供のころから結構大変な状況に置かれていて、William even awoke one morning to find his chamberlain in the bed next to him, his throat slashed open in silent assassination.なんてエピソードも載っていました。ウィリアムが存命のうちはその強権で国内はある程度安定してたようですが、As soon as the Conqueror died... his attendants fell upon his belongings in an orgy of self-enrichmentだそうです。そりゃごたごたが起こってもおかしくない。

 でも1106年のTinchebraiの戦いでヘンリーⅠ世が兄弟喧嘩を制したあとは、His rigid control of the English aristocracy....had helped to lay down a third of a century of peace there.だそうです。そして跡継ぎもちゃんと育って安心……と思っていたら、ホワイトシップの悲劇が起こるわけですね。ヘンリーⅠ世の死後のthe Anarchyに関しては、The days of the Conqueror's strong rule - when, it had been claimed, a girl laden with gold could cross the land unmolested - were long gone.とか書かれちゃってます。ほかにもEngland had fallen spectacularly from the strictly administered harmony of Henry to the bloody purgatory of Stephen.ってあって、おお、Men of Ironの新作のタイトルとこんなところでつながるとは、と本筋と関係ないところで嬉しくなりました。

 ヘンリーの死後の内戦はDan Jonesの『The Plantagenets』でちょっとは知識があって助かりました。『The White Ship』では一方の主役Matildaのことが結構書かれていて面白かったです。女性が支配者になることに強い抵抗のある時代だってことが繰り返し書かれているんですが、she retained a 'mind steeled and unbroken in adversity'.とか、Matildaが窮地を脱したときはIt was an escape so daring that it drew the admiration of Matilda's enemies.とか、もっとMatildaのことが知りたくなりましたよ。

 もちろんタイトルとなっているthe White Shipについても、どういう状況だったのか説明されているんですけど、みんな酔っぱらってたようで、when monks appeared with holy water to bless the White Ship the more high spirited passengers chose to chase them away, shouting insults. This made the drunken spectators aboard howl with delight.とか、そりゃいかんだろ。

 ところで筆者のCharles Spencerはオックスフォードで歴史を専攻したあと、テレビの歴史番組にかかわったりしていたそうです。でも、そういう経歴よりも目を引いたのがNinth Earl Spencerだってこと。しかもA godson of Her Majesty the Queenだそうで、エリザベス二世が名付け親ってこと? この本は畳の上で寝ころびながら読んでいたんですけど、筆者がこんな貴族さまだって知って、ちゃんと背筋伸ばして紅茶淹れなきゃって思いましたよ。


2025年8月13日水曜日

『流血の夏』 — 1381年ワット・タイラーの乱

 ここんとこ『黒太子』とか他の本とか読んで14世紀のイングランドに興味が出てきたんですが、高校の世界史で習ったワット・タイラーの乱も14世紀だな、でも全然知らないなと思って簡単そうなものを探して読んでみました。

 この本、『Summer of Blood: The Peasants' Revolt of 1381』の筆者ダン・ジョーンズと言えば中世物をいくつか書いていますが、なかでも出世作の『The Plantagenets』、ニューヨークタイムズのベストセラーになったことからもわかるように無茶苦茶面白いんですよね。なんでまだ和訳が出ないんだろ。プランタジネットって日本人には馴染みがなくて売れないと思われているのかな。でもそんなこと言ったら比較的マイナーであろうテンプル騎士団を描いた『テンプル騎士団全史』は訳が出てるしね。『The Plantagenets』はあれだけ売れたから、翻訳権が高いのかなあ。


 それはさておきさっそく読んでみたんですけどね、The year 1381 is a signpost on the road from the battle of Hastings in 1066 and Magna Carta in 1215 to Bosworth 1485, the Armada 1588 and everything beyond.なんて序文に書かれていて、おお、そんなすごい出来事だったの?と期待が膨らみました。でもね、あれれ、なかなかワット・タイラーが出てこない? 第4章がA Call to Armsってタイトルになっていて、おお、やっとか、と思ったら次の章、全体の4分の1ぐらい進んだところで登場しましたよ。しかもね、残り4分の1ぐらいを残したところで死んじゃうんですよ。ワット・タイラーがこの乱の主役じゃないの? まあこの乱は英語では一般的にthe Peasants' Revoltって呼ばれているようで、ワット・タイラーはその初期の軍事的指導者だったみたいですね。ちなみに筆者のダン・ジョーンズはthe Peasants' Revoltという呼称について、the slightly misleading shorthand that historians have given the rebellionって序文に書いていて、本を読んでいくとなんか納得しました。

 ワット・タイラーについては、he certainly had the ability to marshal, muster and command a disparate band of recruits on long marches and flash raids.とか、He was a bold and inspirational general who seemed to leave a mark on many of those who came into contact with him.とかmilitary nousとか書いていて、軍事的な能力は評価しているようです。実際、この乱の初期は叛乱した群衆の統制が比較的とれていたことが繰り返し描写されていて、例えばロンドンになだれ込んだ反乱軍は圧政の象徴だったジョン・オブ・ゴーントの豪奢な屋敷を焼き討ちしていますが、無差別に略奪に走ったりしていないみたいなんですよね。しかしジョン・オブ・ゴーント、かなり嫌われていたんですなあ。

 どっちかというと、この本を読んで乱当時の王リチャード二世のことがよくわかりました。薔薇戦争関連の本を読んでいるとリチャード二世からヘンリー4世が王位を奪うあたりから書き始めていることが結構あるんですけど、あんまりリチャード二世にはいいイメージが無かったというかイメージを持つほどあの王について知っているわけではなかったんですよね。この乱のときリチャード2世はまだ14歳で、周りには頼りになる経験豊かな貴族もその時はいなかったようで、中学生の年齢で反乱を起こした民衆と対峙するってそんな無茶な、って思いましたよ。ボク、ぜったい無理。実際、反乱軍との一回目の交渉ではかなり譲歩してしまってRichard may as well have handed a blank charter to the rebels, upon which they could write his approval for any act they chose.なんて書かれています。でも二回目のSmithfieldでの交渉のとき、ワット・タイラーはロンドン市長に刺殺されるんですけど、その直後に人が変わったかのようにリチャードが王として威厳ある姿を見せるんですよね。読んでいてびっくり。こんな感じです↓。

He kicked his own horse forward ... on towards the rebels. As he approached he began to shout to them that he commanded them as their king to make their way out of Smithfield and follow him ...

14歳の時って自分、ビビりであほなことしかしてなかったなあ。それはさておき、筆者もThe rebellion of 1381 was in many senses the making of King Richard II.って書いています。


 ワット・タイラーの乱は「アダムが耕しイヴが紡いだとき、誰が領主だったのか?」って言葉でも有名だと思うんですけど、この名台詞 When Adam delved and Eve span, Who, then, was the gentleman? も当然出てきました。この言葉からもわかるように平等を訴えるといいますか社会改革的な側面もこの乱にはあったみたいで、黒死病による農民と領主の関係の変化など社会・政治・経済的な側面についてもこの本は触れているんですが、200ページちょいぐらいでこの乱の流れが一通りつかめて自分には勉強になりました。




2025年6月29日日曜日

『黒太子』

  黒太子っていったらもうね、説明の必要もないくらいの名将ですよね。ポワティエで寡兵でもってフランス軍を叩きのめし仏王ジャン2世を捕虜にしたのを筆頭に、ナヘラでは敵を側面から奇襲して完勝、10代半ばにしてクレシーでも戦っていてるという、百年戦争時代のイングランド軍を代表する指揮官の一人。黒太子っていう呼び名もなんかカッコいいし。

 でも、上記の戦い以外は騎行でフランスの領土を荒らしまわったとか、ナヘラで勝ったはいいけど財政的にはかなり厳しくなったとか、そういうことぐらいしか知りませんでした。なんかいい本ないかなと思っていたところに見つけたのがこれ。タイトルもそのまんまの『The Black Prince』です。

 鎧関係の博物館の売店で売っていて、ここがおすすめしているんだったらあんまり外れの本ではないだろうと買ってみました。と思ったらその約一週間後にcou papaさんが「」Men of Iron」の「ナヘラ」をプレイしたってつぶやいていたんですよね。

 おお、こんな偶然があるなんて、早く読めという天の導きに違いない。でも、自分は読むのが遅いので結構時間がたってしまいましたよ。とほほ。


 この本は黒太子の生誕から死去までを追っているんですが、太子の生涯においては父王との結構問題のある関係が影響していて、そのことをより良く理解するためには父王エドワード三世の人生、とくにエドワード三世が大人になるときに起こったことをまずは知っておいた方がいい、なんて筆者は冒頭に言っています。そのため時代をさかのぼって黒太子が生まれる5年前から書き始めているんですが、エドワード三世の父と母の確執から始まって、対スコットランド戦の大敗とそのリターンマッチ、そしていよいよ対仏戦に乗り出して絶妙な機動を繰り広げてクレシーで仏軍を迎える……あれ? エドワード三世の本を読んでいたんだっけ? なんて思えるぐらい、黒太子の父王について書かれています。まあ、エドワード三世の話も面白いからいいんですけどね。クレシーの戦いでは当然、黒太子が苦戦に陥ったときのエドワード三世の台詞「let the boy win his spurs」も紹介されています。しかしまあ、スパルタ親父ですな。そのおかげで黒太子も鍛えられたと思うんですが。

 

 でもちゃんと途中から黒太子が主人公になっていろいろと熱い展開があるんですが、1355年の南仏での騎行なんて、敵の裏をかく行軍でさすが黒太子、かっけーと思いましたよ。ポワティエ戦の前、黒太子の軍が仏領で孤立する一方で仏王の大軍が接近してきていたときは、the Prince always an instinctive commander, felt that his men's morale was faltering and that the best remedy was to involve them in some action.と、敵の城塞を激しい攻撃で陥落させることで軍の士気を引き締めたりしています。ポワティエ戦が始まろうとしている時も、斥候が戦場を埋め尽くすような敵の大軍について報告すると、黒太子は簡潔にlet us now study how we shall fight with them to our advantageと答えた、と書かれています。うーん、かっこいい。……しかし自分、カッコいいしか書いていなくて結構バカっぽい? でも黒太子カッケーと読んでいて何度も思ったのは事実なんですよ。

 それと、財政的に大きな負担になったナヘラ戦を含むカスティーリャへの軍事介入ですが、もともと黒太子は反対していたそうで、父王エドワード三世の命令で仕方なくピレネーを越えて遠征したって描写されています。ここに限らず、エドワード三世の老害っぷりが次第にひどくなっていくんですよね。その一方で黒太子の病がどんどん進んでいって、ナヘラ以降は読んでいくのが結構つらくなりました。

 

 でも黒太子をほめまくっているわけではなく、出費には鷹揚で臣下にも大盤振る舞いをしたということが繰り返し書かれています。とはいえ、黒太子の汚点として伝えられている晩年のリモージュの住民虐殺については、The 'blackening' of his reputation, in part through the insinuations of Jean Froissart, can now be righted.と、このことについて下記残しているフロワサールを批判していますね。The chronicler Jean Froissart presents a challenge for every historian: at his best, he is well sourced and brings the period to life; however, he can also be unreliable and cavalier with the facts.なんて書いているですが、cavalierって言葉をこういうふうに使うんだ、うまいなーって思いました。


 と、本文400ページ強の中でここがよかったぜーという部分はもっといろいろあるんですが、キリがないのでこの辺で。この本は私のように黒太子についてもっと知りたいっていう場合にはピッタリだと思います。それに百年戦争に興味がある人も読んでみると面白いんじゃないでしょうか。


2025年6月14日土曜日

『ノルマン騎士の地中海興亡史』が復刊! ということで併せて読んでみた、『中世軍事史の研究』

  「書泉と、10冊」っていう企画で入手困難な本が復刊していますね。『鉄腕ゲッツ行状記』やオスプレイの戦史シリーズなどがこれまで出ていますが、げにありがたし。今回、5月末には『ノルマン騎士の地中海興亡史』が出ましたね。

 ヨーロッパ全域で暴れまわったノルマン人、それにビザンツとイスラム、西欧勢力という三つ巴の11~12世紀の地中海世界、この二つが合わさったら面白くないわけがないですよね。それなのに日本語で読める本って言ったらこれ以外にあんまりないので、この本はマストリードですよ。今回復刊にあわせて読み返してみたんですけど、いやー、途中で止まらなくて一気読みでした。

 ノルマン人に関しては『The Norman Commanders』、12世紀の地中海に関しては『La Méditerranée au XIIe Siècle』といった本をブログでこれまで紹介しましたが、今回『ノルマン騎士の地中海興亡史』と併せて読んだのがこれ、『Studi di Storia Militare Medievale』という本。タイトルからは中世軍事史一般について書いているのかなと思えるんですけど、実際は11~13世紀の南イタリアのことがほとんどです。しかも「Fino alle mura di Babilonia. Aspetti militari della conquista normanna del Sud(バビロンの壁まで。南方のノルマン・コンクエストの軍事的側面)」という章があって、この本の4分の1近くを占めています。伊語はあんまり得意じゃないけど、頑張って読みましたよ。だって、向こうの研究者はどんなことを書いているのかなって気になるじゃないですか。

 ノルマン軍に関していろいろ書かれていて勉強になったんですけど、ビザンツ軍との比較が面白かったです。両軍の基本的な違いは、ビザンツ軍は結束と規律を基本としていたが、それは多くの軍事技術書に書かれた理論に基づいて厳しく訓練されたことから生まれていたのに対し、ノルマン軍は獲得物への欲、それに指揮官への忠誠というゲルマンの意識がその強さの基にあったとのこと。たしかにノルマン騎士はどんどん征服していってますからね。ボエモンドとか。それと、ノルマン軍の戦術的な優越を有していたものの、ビザンツ帝国に対しては戦略で劣っていた、という指摘が面白かったです。まあほかにもノルマン騎兵の活用についていくつか会戦の例を挙げていて、「Norman Conquests」に入っているCivitateも何回か触れられていました。


 「中世南伊の軍事史における弓兵とクロスボウ (Arcieri e balestrieri nella storia militare del Mezzogiorno medievale)」という章では、フランドルや北イタリアなどの歩兵のように長槍を装備し密集隊形で戦った歩兵はほとんど見られない、と述べていました。弓兵やクロスボウに比べると、このような歩兵は接敵しないと攻撃できないため重騎兵を支援するには明らかに劣っているという趣旨のことを書いています。たまたまポワティエの戦いについて書かれた本を並行して読んでいて、イングランド軍は有利な地形に布陣したものの衆寡敵せず危うくなるんですけど、そこで黒太子が仏王の部隊を騎兵で襲撃するという賭けに出ます。そのとき、騎兵の攻撃を支援するために長弓兵を使ったっていう描写があって、南伊での話とつながってなんだか嬉しかったです。


 もちろんこの本にはアンナ・コムネナの名前は何度も出てきました。Fino alle mura di Babilonia. (バビロンの壁まで)という章タイトルもアンナからの引用で、「騎乗したケルト(西欧人のこと)はバビロンの壁まで道を切り開いていけるだろう」という言葉からのようです。ちなみに馬に乗っていないノルマン人はそれほど強くなかったようで、乗馬時と下馬時を比較したアンナの言葉も引用されています。


 それと、「イスラム弓兵の歴史(Storia dell'arcieria islamica)」っていう章が4つ入っているんですけど、イスラムの軍隊については漠然としたイメージしかなかったので勉強になりました。イスラムと言えば7世紀にアラビア半島から勃興して東西を征服していくわけですが、もともとアラブには弓騎兵が無かったそうです。トルコ系の民族など中央アジアの勢力との接触から弓騎兵がイスラム勢力に取り入れられていったって言うのを初めて知りました。そういえばMen of Ironシリーズの「Infidel」は十字軍とイスラム勢力の戦いが収録されていて、セルジュークなどは弓騎兵が主力なんですが、Ascalonのシナリオではアイユーブ朝の軍には弓騎兵が無かったというのを思い出しました。アイユーブ朝は弓騎兵を持っていなかったってたしかシナリオブックに書いてあったけど、あの王朝は北アフリカのチュニジアからアルジェリアにかけての地域から起こった勢力だもんね。弓兵と言ったら歩兵だったのも納得です。


 ウォーゲームの中でもマイナーな中世にあっても南伊はさらにマイナーだと思いますが、ロベール・ギスカールとかノルマンの冒険野郎のことを知るとほんと面白いですし、アンナ・コムネナが生きた時代・地域に大きくかかわっているので、漫画『アンナ・コムネナ』にはまった人は読んでみてもいいんじゃないでしょうか。どこかが新書で和訳を出してくれないかな。






2025年6月1日日曜日

14世紀イングランドへのトラベルガイド

 中世の会戦ゲームをよくやるせいかTwitterで中世関連のつぶやきがよく流れてくるんですが、時折目にするのが、また中世についてこんな間違いが言われてるよ、というもの。暗黒時代だったとか、風呂に入らなかったとか、そういう誤った俗説があるそうなんですがね、そもそも自分、何が通説かなんてのも知らないんですよね。まあ中世のゲームをやっているから関連する軍事や歴史の本は読みますけど。当時の生活というか一般社会についてもうちょっと知っといた方がいいんだけどな、と思いつつ、結構いろんな本が出ているのでどれをまず読めばいいかわからないんだよなあ、俗説とかの本を読んじゃったら嫌だし。
 そんなことを思いながら本屋の歴史コーナーをぶらぶらしていると、面陳っていうんですかね、表紙を見せるように置かれていたのが『The Time Traveller's Guide to Medieval England』という本。結構な老舗書店だったので、この本屋が推しているんだったらまあ大きく外れはしないんだろうと思って買ってみました。表紙もなんだかかわいいし。リアルな書店ってこういうのがあるからいいですよね。知らなかった本に出合って、手に取って装丁を見てパラパラとページをめくれる、という。
 

 この本は中世という現代から何世紀も前の時代を読者が訪れたらどんなものを見るのだろうか、ということをビビッドに描写してくれています。As soon as you start to think of the past happening (as opposed to it having happened), a new way of conceiving historiy becomes possible.とも言っていますね。a travel book about a past age allows us to see its inhabitants in a sympathetic wayだそうです。なのでこの本、内容は昔のことですが現在形で書かれています。それだけじゃなくて文体も軽めなので、読み進めるのが楽でした。例えば当時のフットボールがかなり危険で死人が出たこともあるという話の後に、When medieval people roll on the ground during a football match, you can be sure they are not feigning an injury in the hope of being awarded a penalty.とかね。
 ただ『The Time Traveller's Guide to Medieval England』ってタイトルですが、中世は範囲が広すぎるため、内容は14世紀に集中しています。騎士道や一騎打ち、マナー、芸術、建築などからして、「中世」とは何かという一般的なイメージに14世紀は一番近いからだそうです。14世紀は、内戦や大聖堂の建築、最後の十字軍といった諸々、それに何といっても黒死病で、中世の縮図とも見なしうるであろうとも言っています。まあ、イングランドに限った話のようですが。
 当時の習慣や建築物、旅行の仕方、宿泊先、食事、賃金、健康と衛生、法律など内容は多岐にわたっていて、当然ですが軍事的なことはかなり少なめ。you would be crazy to think you could engage a fourteenth-century man in combat and have a chance of surviving. Most of them are much stronger than you.なんて書いているし。
 でもjoustingのことについても触れらています。joustingって一騎討ちって訳せばいいんですかね。そこのところでこんな一文がありまして。
 a Byzantine princess, seeing a massed charge of Frankish knights for the first time, exclaims that they could punch a hole in the walls of Constantinople
 これってアンナ・コムネナのことですよね。いやー、14世紀のイングランドについて書いた本でアンナ様の言葉が出てくるなんて思ってなかったので嬉しい。

 この筆者、『The Time Traveller's Guide to Elizabethan England』って本も出していてBBCのテレビシリーズにもなったそう。日本語で『シェイクスピアの時代のイギリス生活百科』って訳も出ているみたいですね。『The Time Traveller's Guide to Medieval England』も訳が出ないかな。知らない単語が多すぎて…。でも単に単語を日本語に置き換えられても、説明がないと結局わからないから、訳注が充実したものがいいなあ。

2025年5月24日土曜日

30ドルしなかった古文書が数百万ドルに?! ー 『マグナ・カルタ』

  約80年前に$27.50で購入された古文書が、マグナ・カルタの原本だと研究者によって認められたっていうニュースが最近ありまして。ずーっとハーバード大学の図書館で死蔵されていたんですけど、イギリスの中世史の教授が電子化された画像を見て、調査を始め一年を費やしたそうです。いまじゃ数百万ドルの価値だとのこと。すげー。実際、2007年にニューヨークのオークションでマグナ・カルタの1297年の原本が2,100万ドルで落札されたそうです。

Cut-price Magna Carta 'copy' now believed genuine


マグナ・カルタと言ったら高校の世界史でも習うぐらいメジャーですよね。1215年、ジョン王の時代に制定されて、国王の権限を制限した歴史的な文書。今回見つかったのは1300年のものの原本で、あれ、どういうこと、1215年制定じゃないの? と思うかもしれませんが、上の記事にもあるように1215年から1300年にかけて何度か作成されていて、おそらく200の原本が作られただろうとのこと。

 せっかくなんでもうちょっとマグナ・カルタについて知っておきたい、と思って、Dan Jonesの『Magna Carta』を読み返してみました。だいぶ前に読んだんで結構内容を忘れているし。


 憲法史に残る文書だもんね、わくわく、と思っていたら、いきなり冒頭で、For the most part, Magna Carta is dry, technical, difficult to decipher and constitutionally obsolete.なんて書いてあるんですよね。まあ法に関する文書ってそういうもんでしょ、と気を取り直して読み進めると、すぐあとにThose parts that are still frequently quoted ... did not mean in 1215 what we often wish they would mean today.なんて言っているんですよね。がっくり。Magna Carta ought to be dead, defunct and only of interest to serious scholoars of the thirteenth century.とまで書かれていて、もう読むのやめようかと思いましたよ。

 でもそんなことが述べられたすぐ後に、Yet it is very much alive ... written into the consitutions of numerous countries, and admired as a foundation stone in the Western tradition od liberty, democracy and the rule of law.って続いていて、なんでそうなったのか、これは読まないとって思っちゃいますよね。筆者Dan Jonesの語り口にまんまんとはめられてしまいました。

 この本はマグナ・カルタ誕生の背景や経緯、制定後のゴタゴタを描写していて、加えて今日までの影響まで触れています。ジョン王の前と言ったらリチャード獅子心王ですが、Richard probably spent the least time - and took the least personal interest - in his English kingdom.なんて書かれていて、そりゃイングランドの貴族が王様に不満を持つわけだよ。ジョン王と甥のブルターニュ公アーサー(アルテュール)の確執にも少し触れられていて、『ブルターニュ花嫁異聞』を読んでおいてよかったと思いましたよ。

 本の半分近くを、マグナ・カルタの原文と英訳とかのAppendixが占めていて、本文は百ページちょいなので読みやすかったです。ジョン王については、ダメダメな王様というイメージしかなかったんですが、ジョンはジョンなりにいろいろやろうとしたということがわかって勉強になりました。第一次バロン戦争のゲームは持っていないけど、「Norman Conquests」のLewesとEveshamが第二次の戦いなんで、どっちかやってみようかな。

2025年5月17日土曜日

城活にこの一冊(その2) — 今回は中世ドイツ、『騎士の城』

 前回紹介した『Castle』は中世イギリスの城についての本(ちなみに上の写真はイギリスのお城)だったので、別の地域はどうなのかな、と思ってドイツのを探してみました。だってね、中世のお城って言ったらノイシュバンシュタイン城とか、ドイツのイメージ、ありません? (しかし自分、いつもノイシュヴァインシュタインって言ってしまうんですよね。白鳥ではなく豚と言ってしまうところに己の俗物ぶりを感じて悲しい…)

 


 この本、『Ritterburgen』は「現代においてもっとも有名な城は20世紀から21世紀の変わり目に建てられた」なんて文章から第一章が始まっているんですが、え、どういうこと、と思っていたら、ハリポタのホグワーツのことを言っていました。高い壁と塔、そこには多くの出窓や胸壁があり、暗い廊下、秘密の通路、陰鬱な地下倉庫といった、中世の城によくあると思われているものがふんだんに盛り込まれているそうです。それだけでなく、「ちゃんとした」城と同様に、ホグワーツは最終的には攻囲され、強襲され部分的に破壊される。そして良い人々が城に立てこもって勇敢に悪の勢力の攻撃を防ぐ…といった典型的な中世のイメージを投影しているとか。

 でもこういったイメージは中世の実情を必ずしも忠実に反映しているわけではないそうです。この本の最後に、結びに代えて「城に関するもっともひどい12の誤解」なんてのも挙げられてますが、そうか、映画とかで流布している中世のイメージで考えちゃいけないんだと思いながら読みました。でもよく考えたら自分、あんまり具体的な中世の城のイメージって持ってなかったわ…。


 いろいろと面白い事例が載っていたんですが、必ずしも防御に有利な地形に城は築かれたわけではない、というのが結構意外。重要な交通路を抑えるために、より高い地点から攻撃されるような場所に城を築いたりとか。

 それと前回紹介した『Castle』でも、城は防御能力を必ずしも最重要視しているわけではないといった指摘がありましたが、実際の矢狭間を使った実験とかを挙げて、シンボル的な要素が城にとっては非常に重要だったと述べています。支配者の権力、地位を周囲にみせるために、低地から高地に城が築かれるようになったそうで、「垂直のシフト Vertikalverschiebung」なんて言葉もあるとか。

 あと、城を築くためにひつようなモルタル製造のために、大量の薪が必要だったとか、水も大量に消費しないといけなかったとか、具体的な数字を挙げています。城づくりで、建築材として木が伐採されるのは想像がつきましたが、石造りなだけにモルタルが必要で、そのためにすんごく火を炊かないといけないなんて知りませんでした。


 『Ritterburgen』では『Castle』同様、城とは何ぞや、ということについて冒頭で論じています。ややこしいのが、ドイツ語で城っていうとBurgのほかにSchlossっていう単語もあるんですよね。で、本の初っ端に「いつBurgはSchlossになったのか?」なんて書いてあります。SchlossはBurgの同義語として14世紀から使われ、19世紀になって、その歴史に反して、Schlossは城塞化されていないBurgの後継の建築物とみなされるようになった、そうです。うーん、ややこしい。Burgという単語に関しては他にも序文で「Ritterburgen」というタイトルに関して、もっと学問的に正確なAdelsburgやFeudalburgといった言葉はあるけれども一般にはまだ広まっていないので、この本の内容が簡単にわかるように「Ritterburgen」という言葉をタイトルに選んだって断っています。こういう細かい言葉のニュアンスや意味は自分はわからないんですが、bergやstein、fels、egg、eck、hausといった語尾がついている地名は城があった場所であることが多いっていうのはお役立ち知識かなと思いました。

 まあそれはそれとして、城(Burg)って何なのかってのを定義しようとしているんですが、中世を通じて城は変化し続けてきたので、城を定義すること自体が非常に難しいそうです。そりゃそうだ。それと言葉と言えば、中世を通じての城の変遷について一章設けて説明してくれているんですけど、知らん単語ばっかりで勉強になりましたよ。 


 ドイツで出版された本だけあって主にドイツの城の事例がふんだんに紹介してあります。もちろん他の地域のことにも触れられていて、例えばフランスで、中世の技術と材料を使って城を建てるというプロジェクトがあるんですが、その城Guédelonについてもいろいろと述べられていました。マーケティング的に非常に成功しているみたいで、一年のうち半年ちょいしかオープンしていないのに年間30万人が訪れるって、人気あるんですなー。それと再現と言えば、motte、ノルマン人が始めた土を盛り上げた城ですが、その再現が近年は博物館の屋外でなされるようになってきているとか。2010年にはこんなイベントもあったそうです。

Aufruhr 1215!

 この本、Bauwerk, Herrschaft, Kultur(建築、支配、文化)って副題みたいなのがついているんですけど、素人目には中世の城についてたいていのテーマはカバーしているように感じました。ちょうど新書ぐらいの手軽な分量で読みやすし。どこかの出版社が翻訳を出さないかなー。



2025年5月10日土曜日

城活にこの一冊 — ただし中世イギリスの

 城巡りって人気がありますよね。自分は城について詳しくなくて、虎口とか曲輪とか言われてもあんまりピンとこなくて、まあ有名な城は一応見ておいた方がいいかな、という感じでたまに行ったりしています。


 そんな感じであるお城に行ったんですけど、そこの売店で見つけたのがこの本。『Castle』ってそのまんまのタイトルだなと思いながらパラパラめくってみると、結構読みやすくて思わず買ってしまいました。

 筆者は子供のころから城が好きで、行くたびに甲冑をまとった騎士たちや、攻城戦の様子を想像してわくわくしてたとのこと。城は荒れたままであろうと修復されたものであろうと、magical placesだったそうです。でも、多くの砲が残されているのに王が食事をする場所がない城や、逆に豪華な寝室があるのに兵たちの寝る場所がないものがあったりして、城とは何ぞや、と疑問に思うようになったとのこと。

 城研究の古典的な本には、城とはbasically a fortified residence, or a residential fortressだって書かれているそうなんですが、筆者もだからこそ城にみんな惹かれるんだ、って言っています。how can a building be warlike and homely at the same time?と。ただ近年ではこの城の定義は疑問視され始めているそうで、見た目は城っぽいのに防御力にほとんど注意が払われていないものは城に含まれなくなってしまうからだそうです。建てられた当時、人々が城と呼んでいたのに、21世紀の我々の方がよくわかっているから城に含めないとするのは、非常に傲慢なことであろうと筆者は書いています。

 この本は"A History of the Buildings that Shaped Medieval Britain"っていう副題のとおり、11世紀のノルマン・コンクエストからイギリスの城について書かれているのですが、上記のとおり軍事面以外の城の機能というか役割についても結構言及しています。特に面白かったのは14世紀にたてられたBodiamという城についての章。この城、見た目は中世の城って感じがするんですよね。

Bodiam城の外観

写真を見ると、自分だったらこんな城攻めたくないなあと思ってしまいます。筆者曰く、すべての角には塔がたっているし、城壁のうえは胸壁になっているし、堀もある。城の見た目の特徴項目リストを作ったら、Bodiamはほぼすべての項目を満たすだろうとのこと。

 でも、あまりにも弱点が多くて、しかも外から見てわかるようになっているそうです。南面と東面には大きな窓があり、他の小さな窓も矢狭間になっていない。そもそも矢狭間がこの城にはない。城壁も薄く、堀の水もすぐに抜けるようになっている…と、これでもかというぐらい防御の弱い点が挙げられています。

 じゃあなんでこんな城が建てられたのか。14世紀の当時、イギリスは百年戦争の真っ最中ですが、そのころの社会状況と絡めて筆者は説明してくれていて、ふんふんと合点がいきました。


 こんなふうに書くとこの本では軍事的なことがあんまり説明されていないと思われるかも知れませんがそんなことはなくて、いろいろと勉強になりました。machicolationとかportcullisとかいった単語、知らんかったよ…。エドワード一世が建てたCaernafon城ではクロスボウの狭間がどうなっているか図解で説明してあったり。もちろん城の防御だけでなくて、trebuchetなど攻城兵器についても触れられていました。

 でも自分が面白いなと思ったのは、この本全体の傾向として個々の軍事技術というよりは当時の社会状況と絡めて城を説明している点。なぜmotteはフランスで11世紀に建てられるようになったのか、といった考察とか、薔薇戦争のときの城の状況とか。スコットランドについても、It would be wrong ... to suppose that just because Scotland has a lot of castles, it was a place where violence was an everyday occurence.なんて指摘は新鮮でした。だって中世のスコットランドって北斗の拳状態だったっていうイメージしかなくて…。

 17世紀の内戦、いわゆる清教徒革命のときまでこの本はカバーしているんですが、Pontefract城のエピソードが面白かったです。議会派は数ヶ月包囲したものの強襲では落とせず、兵糧切れになってやっと王党派の守備隊が降伏したという堅固な城塞だそうです。王党派は奪還を目論んで、夜、密かに自分たちの兵を城に入れるように議会派の守備隊の隊長を説得したとのこと。でもその隊長、酔っぱらってしまって別の夜警が立つことになり、王党派の兵は急いで退却します。このことを聞いた議会派政府は城の守備隊を増やすことに。これで防御完璧、となったはずが、兵が増えたせいで寝場所が足りなくなり、追加のベッドを城に運び入れることになりました。王党派の兵はベッドの運搬業者に変装して城に入り込み、まんまと城を奪還……ギャグですかって言いたくなる展開ですよね。

 

 城に関する知識がないまま読んだんですが、自分にはちょうどいい感じの内容で、最後まで一気に読めました。ペーパーバックで270ページほどしかないですし。それとこの本の最後には、現在では多くの城の修復が進んでいて、It only requires us to visit them and use our imaginations, and their restoration is complete.なんて書かれています。イギリスの城にかぎらず日本の城でもこれからは想像力を働かせようと思いました。でもその前に基本的な知識をもっと知っとかないと。とほほ。


2024年12月2日月曜日

アンナ・コムネナが生きた時代を知る-『12世紀の地中海』

  12月2日はアンナ様の誕生日。ということでアンナ・コムネナ関連の本を読んでみました。アンナが活躍したのは12世紀ですが、『La Méditerranée au XIIe Siècle』はそのタイトルどおり12世紀の地中海世界についてまとめた本。この時代の地中海って面白いんですよね。中央部ではフランスから来たノルマン人が勢力を拡大して、東と西では十字軍にレコンキスタ。というか、この本の目次を見たほうが早いんですけど、まずは西欧キリスト教世界の拡大、ビザンツ帝国の衰退、分裂したイスラム世界って地中海の3つの文明について前半で説明していて、次に3つの地域での異文化の接触として、南伊のノルマン人、スペインのレコンキスタ、東方の十字軍という章立てになっています。こうして巨視的な感じでまとめてくれるとバラバラだった知識がすっきりつながって嬉しい。自分が大学受験で世界史の論述問題の勉強していた時、こういう本を知っていたらありがたかっただろうな―と思いました。

 この時代のビザンツと言えば、前世紀に東ではマンジケルトでけちょんけちょんに負けて、西ではノルマン人に領土を奪われるという踏んだり蹴ったりで、アンナ様のお父様が何とか立て直してますね。この本でもお父様のアレクシオス一世や、アンナ様の宿敵、じゃなかった弟のヨハネスは何度か触れられています。アンナ様についても当然書かれている…って思ったら、あれ、無い。え、アンナ様の名前が出て無いの? 見落としちゃったのかな…。まあ、この本ではビザンツはメインではないですし、書かれている内容もあんまり嬉しいものじゃないんですよね。「ビザンツ帝国の衰退」っていう章タイトルからしてそれがわかるんですが、その章の中には「ビザンツ帝国の政治的・軍事的危機」とか「ビザンツ帝国の経済的・社会的危機」といった節が立っていて、危機ばっかりじゃねえかと突っ込みたくなりました。いやまあ、ビザンツの歴史って危機の連続だったと言えばそうなんですけどね。

 12世紀の十字軍と言ったらウォーゲーマー的にはリチャード獅子心王とサラディンが知られていると思いますが、サラディンはしばしば寛容の精神を示したためキリスト教徒たちが勇敢な騎士像をサラディンに見出した、なんて書かれている一方で、リチャードはアッコンを陥落させたときに抵抗した兵士だけでなく女性や子供も処刑したことが触れられていますね。あと、以前AARを書いたアンティオキアサグラハスといった戦いも出てくるのがちょっと嬉しい。イベリア半島では1195年にAlarcosでキリスト教勢力が大敗するんですが、第二のサグラハスなんて書かれていました。たしかにサグラハスでもアルフォンソ六世がぼろ負けしてたもんね。それと、Levy&Campaignシリーズの「Almohavid」が扱う時期の前後の流れもわかるようになっています。

 『La Méditerranée au XIIe Siècle』では政治・軍事的なことだけでなく、この時代の文化的側面も解説してくれています。12世紀の地中海と言ったらいわゆる12世紀ルネサンスがありましたが、スペインでの様々な文献がアラビア語からラテン語に翻訳されたことが述べられています。あと、『昼も夜も彷徨え マイモニデス物語』っていう小説があって、主人公のマイモニデスは中世最大のユダヤ思想家ともいわれ、迫害などを避けスペインからエジプトまで亡命しサラディンの侍医になったりした人なんですけど、『La Méditerranée au XIIe Siècle』でもマイモニデスが出てきて、医学と哲学の面での功績が解説されていましたね。それとユダヤ人と言えば、十字軍でもっとも被害を受けたのがユダヤ人だって書かれていました。

 というわけで、12世紀の地中海世界のゲームがやりたくなってきましたよ。十字軍関連のものでもやってみるかな。でも会戦級ばかりで、広い地域を扱ういわゆる戦略級的なものは持っていないんだった。バラバラだった知識がすっきりつながったとか書いておきながら、活用できないじゃん…。

2024年11月26日火曜日

(幕間その3)『Charles the Bold』 ― ブルゴーニュ公シャルル・ル・テメレールについて知りたくなって読んでみました

  またまた幕間なんですが、これまではブルゴーニュ全体についての書籍だったので、シャルル・ル・テメレールについての本もということで読んでみたのが『Charles the Bold』。筆者のRichard Vaughanは中世後期が専門の歴史家で、ヴァロア・ブルゴーニュ家について知りたかったらこの人の著作はまず読んどけ、という感じらしい。Vaughanはシャルル・ル・テメレールだけでなくヴァロア家のブルゴーニュ公4人ついてそれぞれ本を出してます。以前読んだ『L'Etat bourguignon』でも前書きのところでおすすめしていたな。でも、なぜかフランス語に訳されていないって書いてあったけど、なんでなんでしょうね。『Burgund』でも触れられていて、1970年代になってブルゴーニュの歴史を政治的文脈から離れて新しい資料の発見によって研究する流れが出てきたそうで、Vaughanは統治に関する文書を特に活用したって紹介していました。ちなみにVaughanは鳥類学者でもあるそうです。どういう経歴なんだ。まあとにかく、Vaughanはそれまでのシャルル・ル・テメレールのイメージを変え、より正確な形で描写しようとしたようです。猪突公とかとも訳されるLe Téméraireという呼び名にはネガティブなニュアンスがあるようだということは以前触れましたが、Vaughanはシャルルがseems to have been by no means over-ambitious, still less rash, conquerorとか、by no means rash in the sense of reckless, in spite of his nineteenth-century French nickname Téméraire: he was much too sensible or cautiousということを所々で書いて、シャルルはそんな無鉄砲じゃないよって伝えたいみたいですね。

 この本は1467年にシャルルの父であるブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボンが死去したときから始まっていて、1477年のナンシーの戦いでシャルルが亡くなるまでを描いているんだけど、本文がペーパーバック版で430ページほどあるので結構いい勉強になりました。

 軍事的なことを結構書いているのが結構嬉しかったりします。おかげであの辺の地理も少しはわかるようになりました。シャルルがかかわった戦いとしてはLa guerre du Bien public(一般的になんて訳されてんの?公益同盟戦争?)とブルゴーニュ戦争が昔VaeVictis誌でゲームになっていて、両方ともL'or et l'acierシリーズですなんですけど、手に入んないだろうなあ。

 ブルゴーニュ軍での傭兵についても書かれていて、イタリアの兵に特にシャルルは頼っていたそう。イタリア兵はブルゴーニュ軍で占める比率が次第に高まったそうで、1472年の夏の対仏戦役でシャルルの軍にイタリア兵が実質的いなかった状態が終わり、Grandsonを含む1476年の対スイス戦役ではブルゴーニュ軍はイタリア兵が主力を占め、少なくとも指揮官レベルではそうだったということを書いています。そういえばシャルルから約150年後の30年戦争でも、ブルゴーニュ公国にあたる地域がスペイン回廊Spanische Straßeと呼ばれてイタリアからスペイン領ネーデルラントへの兵の供給路となっていたんじゃなかったかなあ。でもあの時はイタリア兵じゃなくてスペインからの兵でしたっけ。あと、ブルゴーニュ軍ではイタリア兵に次いでイングランドの兵が重用されたそうですね。

 Grandsonの戦いもこの本では数ページを割いて記述しています。この戦いのほんの3か月前、1475年12月はperhaps marks the high peak of Charles the Bold's political fortunes; the zenith of Burgundian power in Europa.なんてなことも書いていて、ほかの本でLa défaite inattendueとかeine überraschende Niederlageとか、Grandsonが思いがけない敗北って描写されていたのもよくわかりました。あと、AARを書いているゲームでユニット化されているScharnachtalやChâteau-Guyon、Campobassoといった名前もこの本で出てきて、ちょっと嬉しい。

 相変わらず知らないことだらけで勉強になりまくりだったんですけど、シャルル・ル・テメレールに興味があるんだったらかなりためになる本じゃないですかね。シャルルが活躍するであろうVaeVictisの「Les Guerres de Bourgogne 1474-1477」や「La Guerre du Bien Public 1465」を何とか手に入れてプレイしてみたいって思いましたよ。

2024年11月16日土曜日

(幕間その2) ドイツから見たブルゴーニュ

  ブルゴーニュの歴史に関しては流れがつかめずモヤモヤしていて、手軽に読めるものはないかな、と思って見つけたのが『Burgund』。ドイツの本なんだんけど、やっぱりブルゴーニュ地方と歴史的に関係が深かったドイツ、こういう入門書もいろいろ出ているだろうな―と思ってたんですけどね。前書きに、今日までブルゴーニュの通史がほとんど出ていないのは、中世のブルゴーニュは国民国家に発展しなかったという事実のせいである、って書かれていて、あードイツでもそうなんだとちょっと安心しました。

 この本は一応古代末期からフランス革命までをカバーしているけど、主に扱っているのは中世。全四章のうち第二章がDas hochmittelalterliche Burgund(中世盛期のブルゴーニュ)、第三章がDie Herzöge von Burgund im späten Mittelalter(中世後期のブルゴーニュ公たち)。最終章もDie Teilung Burgunds nach 1477 und ihre Folgen(1477年以降のブルゴーニュ分割とその結果)で、シャルル・ル・テメレールのナンシー戦での死後、15世紀後半から16世紀がメインの内容。本全体でも120ページほどしかなく、ブルゴーニュ公国の歴史についてその前後を含めざっと知りたいと思っていた自分にとっては結構ありがたかったです。

 まあでも、当然ドイツ語なので自分の乏しい知識と結びつけるのが読んでいて結構面倒でした。金羊毛騎士団はOrden vom Goldenen Vliesでこれはそのまんまなので分かったけど、自由伯領(Freigrafschaft)って何? って思っていたらフランシュ=コンテ(Franche-Comté)のことだったり。Karl der Kühneって書かれてもピンと来なくて、シャルル・ル・テメレールのことだっていつも頭の中で置き換えないといけませんでした。ちなみにkühnって言葉、Duden見てもそこまでネガティブな意味が含まれているようには思えなかったけど、どうなんでしょうね。それと、当然だけど地図には神聖ローマ帝国の境界(Reichsgrenze)もちゃんと引かれているんだけど、結構くっきりというか一番目立つようになっているのはやっぱりドイツの本だからかな、と邪推してしまいました。


 ページ数が少ない本なのでGrandsonの戦いは出てこないかな、と思っていたらちょっと触れていました。前回紹介した『L'État bourguignon』ではこの戦いはLa défaite inattendue(思いがけない敗北)って書かれていましたが、この本でも同じようにeine überraschende Niederlageと描写されていました。この戦いは番狂わせだったんですかね。で、Grandsonの戦いについてはこんな風に述べられています。

Das wäre an sich ohne größere Konsequenzen geblieben, hätte der Herzog nicht wie besessen die Scharte möglichst schnell wieder auswetzen wollen.

(ブルゴーニュ公がこの損失をできる限り速やかに打ち消そうと執着しなければ、この戦いの結果は重大ものとはならなかっただろう)

そして、同年6月Murtenの戦いで敗北し指揮官としての評判は大きく損なわれた、と続けています。


 本の最後でブルゴーニュの歴史の、ドイツやベルギー、スイスなどの国々における19世紀以降の捉えられ方についても説明していて、19世紀っていったらナショナリズムが勃興してきた時代ですが、ブルゴーニュの歴史というかイメージがナショナリズムに利用されてきたとのこと。例えば19世紀半ば以降のフランスの政策はベルギーにおいて国の存続を脅かすものと受け止められ、シャルル・ル・テメレールはフランスの拡張に真っ向から対抗したと見られるようになったそうです。20世紀初頭には、ル・テメレールが「興奮した」フランスと「気の荒い」ドイツの間(zwischen dem <hitzigen> Frankreich und dem <rauen>Deutschland)にベルギーを作り出した、なんて称賛されたとか。

 あと、スターリングラードや武装SSがほんのちょっとですが出てきたのがウォーゲーマー的にはツボでした。いや、目が引かれるところがそこかい、と自分で突っ込んでしまいましたが、それはさておきブルゴーニュの歴史をざっと知るには手ごろな本だと思います。


2024年11月7日木曜日

(幕間)『ブルゴーニュ国家』

  AARを書いているGrandsonの戦いはブルゴーニュ公率いる軍隊とスイス軍の戦いですが、ブルゴーニュの歴史ってよくわからないんですよね。薔薇戦争とかその他14-15世紀のヨーロッパの本を読んでいると「ブルゴーニュ公国」って言葉がちらほら出てきて、なんじゃらほいとずっとモヤモヤした気がしてたので、概説書を見つけて読んでみました。だってね、領土がフランス王国に含まれているうえに百年戦争中はアルマニャック派と対抗するブルゴーニュ派なんてものが出てきて、フランス王国の一部なのかなとぼんやり思っていたら、イギリスと同盟して仏王に対抗したりしているし。地図を見たら今のオランダ・ベルギーから独仏国境地帯にかけて広がっていて、神聖ローマ帝国も一部入っているし、うーん、よくわからん。

 で、見つけた本はタイトルもそのまんまの『L'État bourguignon』。14世紀後半から15世紀後半にかけてブルゴーニュ公となったヴァロア家の時代を扱っています。シャルル・ル・テメレールはヴァロア・ブルゴーニュ家最後の公ですね。この本の裏表紙によると、フィリップ・ル・アルディ(1363-1404)からシャルル・ル・テメレール(1467-1477)まで、ブルゴーニュ公たちは南はブルゴーニュ公領から北はオランダまで広がる領土を支配下に置き、百年戦争、十字軍、そして外交や経済的な争いに加わった、とのこと。

 筆者はフランスの大学教授で14-15世紀のブルゴーニュを専門にしているそうで、本のタイトルにÉtat(国)という言葉を使ったことについては、実際に14世紀から15世紀までブルゴーニュという「国」が存在したと考えているからだ、と前書きで述べています。ただし近代的な意味での国家、つまり国民国家や主権国家ではないと断っていますが。うーん、ややこしい。ブルゴーニュ公たちによって創設され発展されたのはun État princierだそうですけど、なんて訳せばいいんですかね。そういった国家は君主の一家に体現される政治権力、その国独自の行政、司法、財政そして軍事制度、政治的な集団と特定の考えの発展、それに自立的な外交の展開によって特徴づけられるそうですけど、素人の私にはわかったようなわからなかったような。まあ細かいことはいいんですよ。ははは。

 この本はヴァロア・ブルゴーニュ家の約百年を時系列的に追いつつ、制度なども解説しています。Les armées des ducs de bourgogne(ブルゴーニュ公の軍隊)という章があって当然そこに目が引かれたんですけど、15世紀前半では外国出身の兵が4分の1を占めていたとか。それに14世紀後半から15世紀前半にかけて徴募兵、弓兵とクロスボウ兵の比率が上昇し、10%ちょいから70%ぐらいにまでなったとのこと。これはイギリスとの同盟による影響が反映されているって分析していますね。あと砲の普及についても説明していて、AARを書いているGrandsonの戦いでもそういえばブルゴーニュ軍には砲や弓兵が多かったなあと納得。 それとこの章にはLes réformes au temps de Charles le Téméraire(シャルル・ル・テルメールの時代の改革)という節が面白かったです。領土拡大をしフランス王と抗争を繰り広げていくにあたって、常備軍をもつ仏王に対抗するためにブルゴーニュ公国でも常備軍を整備していく必要があったとのこと。そういや百年戦争の後期にフランスは常備軍を創設していたなあ。

 十字軍という章も設けられていて、時代的にあれ?と思ったんですけど、いわゆる第7回まであった十字軍ではなくて、対オスマン帝国の十字軍。ブルゴーニュ公は艦隊を編成して派遣していて、ブルゴーニュに海軍のイメージがなかったので意外でした。まあ、政治的状況のせいでブルゴーニュ公が最後に計画していた十字軍は実現しなかったようですが。

 Grandsonの戦いにも触れていて、La défaite inattendue(思いがけない敗北)って書かれていました。兵的な損失は少なかったけど、物資や砲が敵の手に渡ってシャルルは結構落ち込んでいたそうです。でもすぐにGrandsonの敗戦の教訓から軍を再編成し、<<piquenaires>> suisses(スイスの「槍兵」)の戦術に対応するために歩兵を強化したとか。でもGrandsonの3か月後にはまた負けてしまうんですけどね。

 この本、知識のない自分にとっては消化不良な部分も結構ありましたが、というかヴァロア・ブルゴーニュ家4代のことなんて新しく知ることばかりだったんですけど、いい勉強になりました。AARを書いているGrandsonの戦いに限らず、ブルゴーニュが出てくるゲームをやるときは思い入れが変わってくるんじゃないかなと思います。


2024年5月5日日曜日

バルト海つながりで、『ハンザ同盟』

  Lyndanise1219の流れで12~13世紀バルト海沿岸の北方十字軍についてちょろちょろ調べたんだけど、そういえばこの時期だったかな、バルト海ってハンザ同盟というのを昔世界史の授業で習った気が…ということを思い出した。たしか北海からバルト海にかけての商業を支配した都市同盟だったはず、ぐらいの記憶しかなくて、改めて入門書を読んでみた。


 この本『Die Hanse』は、ハンザ同盟の黎明期の12世紀半ばから、その終焉の1669年までをカバーしている。ハンザは商業のための同盟なので、武力衝突に関する記述はほとんどないのがウォーゲーマー的には物足りないけど、まあ仕方ない。

 でもデンマーク王国などの領邦やドイツ騎士団といった、武力も領土も持つわかりやすい勢力のほかに、こういった都市同盟がどういうことをしていたのかを知るのは面白い。というか余計に中世のイメージがややこしくなった気もするけど、まあこれも自分の知識不足によるものなんでしょう。

 一応、Handelssperren und Kriege(貿易封鎖と戦争)という小見出しが付いた部分があるんだけど、ハンザ同盟としては戦争に関わる場合はたいていは財政的に支援したそうで、そうでなければ個々の加盟都市が他の都市の支援を受けながら戦争をしたらしい。要は同盟全体で一丸となって軍事力を発揮、ということはなかったようで、ウォーゲームにも登場しずらいっすよね。たいていの場合、敵はデンマークで、まあ北海とバルト海の商業を支配したいハンザ同盟としてはそのど真ん中に位置するデンマークは思いっきり邪魔だったでしょうな。戦争になった場合は通常は海賊行為が展開され、陸上での軍事行動はほとんどなかったそうだ。

 この本ではハンザ同盟は序列のはっきりした組織構造を持つ都市同盟というよりはむしろ、個々の都市の経済的利益を追求するために集まったエゴイストのグループだと述べている。そういや先日紹介した『Crusading and Chronicle Writing on the Medieval Baltic Frontier』だったかな、キリスト教勢力がバルト海東岸に進出するにあたってエストニア人など先住民にヨーロッパの武器を売ることを禁止していたのに、利益第一のドイツ商人が結構売っていた、なんて記述もあったな。これってハンザ同盟のことですかね。

 内容的にはハンザ同盟の形成、組織内容、消滅が説明されていて、ぜんぜん知識のない自分には勉強になりました。でも一番面白かったのは、ハンザ同盟のイメージの利用のされ方。現代のドイツではいいイメージが定着しているし、ソ連崩壊以降、バルト海沿岸諸国と他のヨーロッパの地域との結びつきの強まりはハンザ同盟を想起させているそうだ。それにとどまらず、19世紀末のドイツ帝国期にはドイツの北方での支配の先駆者として、第三帝国期には東方へのドイツ生存権の拡大に、冷戦期には東ドイツでは勃興する資産家階級の封建権力への階級闘争として、一方西側ではヨーロッパ統合の先例とされた……いやもう、こうやって並べるだけで政治的なご都合主義がよくわかる。「歴史とは何か確定したものではなく、歴史家によって『作られる』のだ」(Geschichte nicht etwas Feststehendes ist, sondern vom Historiker <<gemacht>> wird)という言葉が述べられているんだけど、たぶん筆者の自戒の念を込めているんでしょうなあ。そういやこれまた『Crusading and Chronicle Writing on the Medieval Baltic Frontier』でも、リヴォニア年代記がナショナリズムとの関連でいいように利用されてきた歴史が論じられていたな。

 この本、初版は2000年なんだけど、読んだのは第六版で2021年に出たもの。なので結構最近の研究が反映されているはず。筆者のRolf Hammel-Kiesowは、ハンザ同盟の中心都市だったリューベックにある、ハンザ同盟とバルト海の研究センターのForschungsstelle für die Geschichte der Hanse und des Ostseeraumesというところで長年所長を務めていて、ハンザ歴史協会の理事も務めていたので、ハンザ同盟研究の第一人者って考えていいのかな。この第六版が出たのと同じ年に亡くなっているそうです。そういうことを知ると、身を正して読めました。

2024年5月1日水曜日

天からデンマーク国旗が降ってきた Lyndanise 1219(VV118) AAR③

 ●第3ターン

 デンマーク軍の反撃が始まったがエストニア軍としても攻撃の手を緩めるわけにはいかない。上方では先ほどの攻撃で損害を被っていた敵歩兵にとどめを刺し、下方では指揮官やダンネブロのいる強力なユニットは避けて中央の2戦闘力の歩兵を攻撃。たまらず後退するデンマーク軍を追撃する。あと一押しでデンマーク軍の士気は崩壊する。敵の防御態勢を突き崩すのだ。


 デンマーク軍ターンになって、やっとヴァルデマールの位置が判明。3つある指揮官ユニットのうち2つはダミーで、両軍ともどれがヴァルデマールかわからない状態で初期配置をしていたのだが、国王がいたのは下方左。デンマーク歩兵と一緒だった。このゲームのデンマーク軍は、デンマーク部隊のほか、Roskildeのデンマーク兵、Lundのドイツ兵、Schleswigのドイツ兵、Rügenのスラブ兵から構成されている。やっぱり国王はデンマーク本隊と一緒にいたということか。ちなみにRügenはバルト海南西の島だが、12世紀にデンマーク軍の侵攻を受けこのLyndaniseの戦いの少し前にデンマーク王に臣従している。


 なお、指揮官ユニットをエストニア軍が討ち取ったとしても、やはり第3ターンになるまでそれがダミーなのかヴァルデマールなのかわからないことになっている。史実ではデンマーク軍野営地を襲撃したエストニア軍はエストニア司教を殺害したが、デンマーク王だと思っていたそうで、このことを反映したルールとなっているらしい。指揮官ユニットが除去された場合、4戦闘力分の除去となるのでかなり大きいのだが、エストニア軍はせっかく敵指揮官を討ち取ったと思ったらダミーでポイントにはならない、ということもありうるため、両軍ともに第3ターンのデンマーク軍ターンまで気が抜けないようになっている。


 デンマーク軍は前ターンに続き上方で反撃を続ける。消耗していたエストニア歩兵が壊滅。この勢いでさらに敵を蹴散らせ、と3対1で2戦闘力の歩兵を攻撃するものの、逆に撃退されてしまった。そしてマップ下方。先ほどの攻撃で突出してきていたエストニア軍ユニットを包囲、ヴァルデマールが陣頭に立ちダンネブロの効果も得て最大比率である4対1で攻撃、壊滅させた。これでエストニア軍の累積損害は7。エストニア軍は損害が16に達すると負けである。


●第4ターン

 エストニア軍の熾烈な攻撃が続く。マップ上部ではデンマーク軍のルンド騎兵をステップロスさせた。エストニア軍としては敵騎兵が上部に展開した結果生じた隙間に右側面からつけこみたいのだが、すべて歩兵であるため移動力が足りず、下方中央の敵に10戦力を集中して攻撃する。デンマーク軍はダンネブロを掲げ果敢に防御するものの衆寡敵せず後退。その後方にいた歩兵は、ダンネブロが敵の攻撃を撃退してくれないことに衝撃を受け、隊列を乱して退却してしまった。

 このゲームでは味方ユニットのいるヘクスに後退した場合、連鎖退却が起き、連鎖退却となったユニットは士気チェックが課される。今回はダンネブロとスタックしたユニットが後退しその後方の歩兵ユニットが連鎖退却、士気チェックに失敗してステップロスした、という形である。


 デンマーク軍は上方で攻撃を続ける。騎兵の集中攻撃、それに弓兵の支援のもとでのスラブ歩兵の攻撃で2ユニットをステップロスさせ、この方面のエストニア軍をかなり消耗させた。


●第5ターン

 最終ターンである。あと3戦闘力、壊滅させればエストニア軍の勝ちだ。海の向こうから侵略してきて我々の信ずる神々まで奪おうとする敵を打ち破るのだ。デンマーク軍の騎兵2ユニットを包囲、攻撃する。スラブ騎兵は出血しつつも攻撃に耐えたものの、すでに消耗していたルンド騎兵が壊滅してしまった。


 デンマーク軍の累積損害は20になり、士気崩壊閾値に達してしまった。エストニア軍の損害が同軍閾値の16に達しない限り負けてしまう。いや、我々には神のご加護があるのだ。異教徒どもに負けるはずがない!

 デンマーク軍は必死に最後の攻撃を行う。先ほど包囲攻撃を受けたスラブ騎兵が弓兵の支援を得て反撃、敵を壊滅させる。さらにダンネブロを掲げたRoskilde騎兵が突進、敵を蹴散らす。これでエストニア軍の累積損害は14。よし、ここで勝負をつける! ヴァルデマール自らが陣頭に立ち、渾身の一撃をくらわす。だが民族の自由と独立に燃えたエストニア兵が奮起、損害を被りつつも壊滅には至らなかった。

 こうしてデンマーク軍の侵攻は撃退された。だがバルト海の制海権を握り勢力拡大を目指すデンマーク王は再び遠征してることだろう。南部からはリヴォニア帯剣騎士団、後にはドイツ騎士団の攻撃が続きキリスト教化が進められ、Lyndaniseの約20年後には「Nevsky」の時代を迎えるのである。


 ミニゲームだけど最後まで両プレイヤーとも楽しめました。以前も書いたと思うけど、A la Chargeシリーズは中世の会戦を扱いつつ、移動・戦闘のシンプルなターン構成、ZOCあり、戦闘力比での解決と、ウォーゲームの基本的なルールを使っています。なので、中世に興味のあるウォーゲーム未経験者にプレイしてもらって、そこから「ドイツ戦車軍団」とかWWⅡに引きずり込むのに使えるんじゃないかなーと思っています。


2024年4月28日日曜日

(幕間)北方十字軍関連の書籍

  13世紀のバルト海沿岸って言ったらウォーゲームでもマイナーで、ある程度知られているのは1242年の氷上の戦いぐらいじゃないかなと。ソ連のエイゼンシュテインが映画にしているし、凍った湖の上での戦いっていうのもキャッチ―だし。あとこの時期のこの地域で知名度があると言ったらドイツ騎士団(チュートン騎士団)ぐらいですかね。13世紀は、中東にむかった十字軍の影響を受けて前世紀に始まった、いわゆる北方十字軍がバルト海東岸に進出していった時期。12世紀にキリスト教勢力がバルト海南岸を征服し、今のリトアニアやエスニアにも手を伸ばしてくるのである ― という、いわばLevy&Campaignシリーズ「Nevsky」(GMT)の前日譚にあたる時期なんだけど、マイナーですよね…。


 でも北方十字軍に関しては日本語で『北の十字軍』がある。これ一冊読めばだいたいOK、と素人の自分は思ってしまうんだけれども、他にも何かないかなと探してみたら、以前紹介した『十字軍全史』にも北方十字軍についてちょろっと述べられていた。それよりなにより、「Nevsky」のPlaybookに参考文献として挙げられた『The Northern Crusades』っていうのがあった。タイトルどおり一冊丸ごと北方十字軍なんだけれども、The Conquest of the East Baltic Lands, 1200-1292という章があって、デンマークのエストニア進出に関しては数ページを使って解説しているし、その前段階のバルト海南岸のデンマークの進出も別の章で叙述してある。

 それと、『Crusading and Chronicle Writing on the Medieval Baltic Frontier』収録の2章“Bigger and Better: Arms Race and Change in War Technology in the Baltic in the Early Thirteenth Century”と“Mechanical Artillery and Warfare in the Chronicle of Henry”が同じく「Nevsky」の参考文献に入っていたんだけど、タイトルからわかるようにウォーゲーマー向きの内容。この本はリヴォニア年代記についてのいろんな論文を集めたものなんだけど、個人的にはナショナリズムとこの年代記との関わりを論じた最後の章が面白かったな。それと、リヴォニア年代記は12世紀後半から13世紀前半にかけてのエストニアとラトヴィアのことが描かれているんだけど、筆者は実際に北方十字軍に参加した宣教師と考えられている。でもこの年代記が本格的に研究されるようになったのはこの数十年だそうで、考古学的発見も併せて新しいことがこれからわかるかも、という状況らしい。なんか楽しみ。


 ゲーム「Lyndanise 1219」が収録されているVaeVictis118号には北方十字軍に関して12世紀後半から13世紀前半にかけてのヒストリカルノートが8ページで載っている。もともとこの号のメインの付録ゲームは帯剣騎士団のエストニア進出を扱った「De Sang et de Tourbe」(血と泥)で、1ターン1年で1208年から1225年までカバーする戦略級ゲームである。そのためヒストリカルノートも長い期間をカバーしているのだけれども、Lyndaniseの戦いのコラムもある。ちなみにLyndaniseはLyndanisseとs二つにする表記もあるようだけれども、ゲームはsひとつでコラムは二つ。どっちかに統一してほしい。まあ、別のコラムではバルト諸国の歴史に関しては地名が問題、なんてことが書かれていて、エストニア語やラトヴィア語のほかにドイツ語やラテン語でも表記されるからややこしいらしい。

 このLyndaniseの戦いのコラムではダンネブロについての伝説ももちろん紹介してある。

デンマーク軍が苦戦する中、ルンド大司教が両手を天に向かって掲げ祈り始めた。するとすぐに、デンマーク軍は敵の攻撃を跳ね返した。だが両手を下ろした途端、敵が勢いを回復してしまう。そうしている間に疲れ切った大司教は、もう両手を掲げて祈ることはできなくなった。エストニア軍はここぞとばかりに攻め立て守るデンマーク軍を圧倒し始める。だがそのとき、神のご加護によって、白い十字が描かれた赤い旗が空から降ってきた。この奇蹟に鼓舞されたデンマークの兵たちは敵を打ち破ったのだった。

 そりゃずっと両手を上げていたら疲れるよね、ライブやフェスじゃあるまいし……って、そこじゃない。苦境に陥ったデンマーク軍に、十字架が描かれた旗が空から降ってきて勝利するなんて、キリスト教のプロパガンダじゃねえか。たしかコンスタンティヌス帝でもそんな感じのエピソードあったよな…と思っていたら、このコラムでもちゃんと指摘してありましたよ。

 でもまあ、こうやって歴史的背景や伝説を知るとゲームもより一層楽しめるんじゃないかな。Levy&Campaignシリーズは定評があるから、参考文献を読んでぜひ「Nevsky」を……って、違った、今回はLyndanisseの戦いのAARの幕間だった。面白いミニゲームなので上記関連書籍もおススメです。

2024年4月17日水曜日

ビザンツ帝国軍vs歴戦の傭兵部隊。フランク重騎兵は裏切るのか、ヴァリャーギ親衛隊は敵の猛攻をしのげるのか Pont de Zompos 1074 - Basileus II(VV162) AAR③

 ●第5ターン(続き)

 ついに強力なフランク重騎兵が敵に寝返ってしまい、ラテン軍の攻撃で壊滅する部隊が出てきたビザンツ軍だが、必死に反撃。先ほどフランク騎兵の攻撃をしのいだマップ左端の騎兵が逆に敵の歩兵を壊滅させる。そして弓兵と弓騎兵をかき集め、突出してきているラテン軍騎兵に集中射撃、4戦闘力の敵精鋭騎兵をステップロスさせた。


●第6ターン

 指揮官のルーセル・ド・バイユールが陣頭に立ち、中央部で激しく攻め立てる。マップ左方ではヴァリャーギ親衛隊が意地を見せラテン軍騎兵2ユニットの攻撃を撃退したものの、これまでの激戦で消耗していたビザンツの歩兵が次々と壊滅していった。これでビザンツ軍の累積損害は一気に15に上り、ラテン軍の損害を上回ってしまった。


 そして迎えたビザンツ軍ターン。これまで静観していたビザンツ軍右翼だったが、友軍の苦戦を見かねてついに動いた。前進して敵の左翼(マップ右方)を抑えにかかる。


 このビザンツ軍右翼を率いるニケフォロス・ボタネイアテスは戦闘経験豊富で、戦いの前に指揮官のドゥ―カスに対して慎重に行動するように進言したが、ドゥ―カスは聞かずにZompos橋を渡って敵に攻撃をしかけたらしい。ちなみにこの戦いの4年後に皇帝となるが、1081年にアンナ様のお父様によって帝位を奪われている。


 やっと動いたニケフォロスの部隊に戦場の右方はまかせ、指揮官のドゥ―カスが中央に転進してルーセルに突撃。傭兵の分際でビザンツ帝国に反旗を翻すやつは生かしておけん! ヴァリャーギ親衛隊の支援も受けて、ルーセル直属のラテン精鋭騎兵に損害を与える。さらにはマップ左方で敵騎兵を壊滅、ラテン軍の累積損害は14とビザンツのそれに迫った。


 この戦いのビザンツ軍の指揮官ヨハネス・ドゥ―カスは名門ドゥ―カス家の一員で、当時の皇帝ミカエル7世の叔父。だがこの戦いで敗北しルーセル・ド・バイユールの捕虜となった。その後ルーセルがコンスタンティノープルの皇帝ミカエル7世の政権を転覆させるためにこのヨハネス・ドゥ―カスを皇帝に擁立、ヨハネス・ドゥ―カスは甥である皇帝に反旗を翻すことになる。だがビザンツと手を組んだセルジューク・トルコによって捕えられるという人生を送っている。


●第7ターン

 戦場の中央と左方で激戦が続き、両軍とも消耗が激しい。ラテン軍はいまだ無傷でいるマップ右方の騎兵2ユニットを中央にシフトさせようとするも、猪突猛進のチェックに失敗、全く意のままに動かない。この激戦でラテン軍騎兵は興奮しているのか、さきほど前進してきた、目の前のビザンツ軍右翼にむかってしまった。

 マップ左方ではビザンツ騎兵を包囲、寝返ったフランク騎兵が攻撃するもAR。やはり裏切者に対してはビザンツの兵たちも通常以上の力が出るのか。しかし、これまで攻守ともにビザンツ軍を支えてきた精鋭のヴャリャーギ親衛隊が、ルーセル・ド・バイユールの攻撃でついに壊滅した。


 これでビザンツ軍の累積損害は19となった。20に届いたら負けである。自軍が崩壊する前に敵を打ち破らなくては。指揮官のドゥ―カスが猛攻、敵騎兵をステップロスさせる。自軍指揮官の奮戦に士気が上がったか、マップ左方でこれまで何度も敵の攻撃をはねえしてきたビザンツ騎兵がラテン軍歩兵を蹴散らす。そして弓兵と弓騎兵の集中射撃でラテン軍の弓兵が壊滅。ラテン軍の累積損害が17に上る。ラテン軍は累積損害が18になったら負けなので、ビザンツ軍同様に後がなくなってしまった。


●第8ターン

 両軍ともに、あと1ユニット敵を壊滅すれば勝ちである。ラテン軍は各所で必死に攻撃して敵に損害に与えるものの、除去には至らず。逆にビザンツ軍は、指揮官のドゥ―カスが陣頭に立って敵騎兵を包囲、殲滅した。これでラテン軍は累積損害が18を超えてしまい、敗北となった。


 傭兵の反乱は抑えられ、ビザンツ帝国は一息つけることになる。だが一筋縄ではいかないルーセル・ド・バイユールはこの戦いに敗北しても性懲りもなく帝国に反旗を翻すことが予想される。実際、史実ではルーセルはこの勝利するもののその後アンナ様のお父様に捕らえられ、釈放されて反乱鎮圧に派遣されるもののもまた反乱に加わっている。こんなノルマン傭兵を使わざるを得ないビザンツ帝国の苦悩がうかがえますな。しかもZomposの約20年後にはセルジューク・トルコに対抗するため西欧から蛮族を呼び寄せたと思ったら、宗教的熱狂に包まれた騎士たちが大挙してやってきちゃったという。よくまあビザンツは千年続いたもんだとまたも思ってしまいます。


 この「Basileus II」、ルールはもちろんヒストリカルノートも和訳しているんで、ご興味持たれた方はぜひプレイしてみてください。


2024年4月13日土曜日

ビザンツ帝国軍vs歴戦の傭兵部隊。フランク重騎兵は裏切るのか、ヴァリャーギ親衛隊は敵の猛攻をしのげるのか Pont de Zompos 1074 - Basileus II(VV162) AAR②

 ●第3ターン(続き) 

 敵ラテン軍の一斉攻撃を受けたビザンツ軍だが、ひるむことなく反撃。将軍ドゥ―カスは精鋭騎兵のAthanatoiを率いて突撃する。ちなみにこのAthanatoi、「不死」という意味らしい。中央では3ユニットいるヴァリャーギ親衛隊が奮戦。ビザンツ軍の激しい攻撃でラテン軍も損害を被っていった。


●第4ターン

 両軍がやっとぶつかったこのタイミング。フランク騎兵よ、寝返ってくれ! というラテン軍の思いに反して、またもビザンツを裏切らず。このフランク騎兵は戦闘力4と強力なので、相対している右翼(マップ左方)が危ない。ラテン軍は中央の精鋭騎兵を右翼の支援に回そうとするが、猪突猛進(Impétuosité)のチェックに失敗。目の前の敵に突っ込んでいってしまう。マップ右方の騎兵も左方にシフトさせようとするが、これまたチェックに失敗しすぐ近くの敵に向かって突進してしまった。ええい、この脳筋どもめ、目の前の敵に飛びかかるのではなく、もっと頭を使え! 頭に血が上っている兵たちを思うように動かせないラテン軍だったが、右翼(マップ左方)で反撃、敵を壊滅させ包囲されていた騎兵を救出した。

 また中央では指揮官のルーセル・ド・バイユールが精鋭騎兵を率いてヴァリャーギ親衛隊を強襲。ルーセルはスタックしているユニットの戦闘力に+2できるため、さしものヴァリャーギも損害を被って後退した。

 ヴァリャーギはビザンツの精鋭部隊で、皇帝の親衛隊となっていた。主にスカンディナビア出身の兵からなっていたが、北欧から西にむかって略奪行を繰り返したのがヴァイキングと呼ばれていたのであり、東に向かってビザンツに雇われたのがヴァリャーギなわけである。

 「ヴィンランド・サガ」でいい味出しているキャラの蛇は、漫画でははっきり描かれていなかったけどアニメではビザンツでヴァリャーギとして戦っていたことが示唆されていましたね。以前紹介したヴァイキング小説「The Long Ships」はスウェーデン南部が主な舞台の一つですが、ビザンツ皇帝に仕えたって人が登場していました。それになにより、漫画「アンナ・コムネナ」の第一巻でも金髪碧眼でひげもじゃのヴァリャーギ親衛隊とアンナ様が会話しているシーンがちょろっと出てきますね。

 ただ1066年にビザンツから遠く離れたイングランドでノルマン・コンクエストが起き、敗北したアングロ・サクソン系の兵がビザンツに流れ来たそうだ。Zomposの戦いがあったのは1074年で、この時期のヴァリャーギにはイングランド出身の兵が多く含まれていたと推測する資料もあった。


 ラテン軍の激しい攻撃に対してビザンツ軍も負けずにやり返す。マップ右方では指揮官のドゥ―カスが陣頭で奮戦、敵騎兵を壊滅させる。またマップ左方ではビザンツ陣営にとどまっているフランク騎兵がその戦闘力を発揮、敵騎兵を蹴散らした。そしてステップロスして1戦闘力となっているラテン軍歩兵をヴァリャーギ親衛隊が鎧袖一触。合計ラテン軍3ユニットを壊滅させた。


 A la charge!シリーズでは基本的に、勝敗は敵に与えた損害の数で決まる。両軍とも壊滅したユニットの戦闘力を合計していき、シナリオで決められた軍士気閾値(seuil de Moral d'Armée)に達すると負けとなる。このZompos橋の戦いでの両軍の士気閾値は、ビザンツ軍は20、ラテン軍は18だ。

 このターンのビザンツ軍の攻撃でラテン軍の累積損害は8に上った。一方、ビザンツ軍はまだ3。フランク騎兵が早く寝返らないとラテン軍としては苦しい戦いとなる。


●第5ターン

 形勢不利となってきたラテン軍だが、ここでフランク騎兵が寝返り! ビザンツを捨て、同じ西欧出身の傭兵としてルーセルたちと運命を共にする気になったのか。

 マップ左端で孤立することになったビザンツ騎兵を歩兵とともにフランク重騎兵が攻撃するも、傭兵の裏切りに憤ったビザンツの兵たちが奮戦、3ユニットによる攻撃を持ちこたえた。だが中央では再びルーセル・ド・バイユールの攻撃を受けたヴァリャーギ親衛隊が消耗、さらにはマップ右端でこれまで敵の猛攻をしのいでいたビザンツ騎兵もついに力尽きて壊滅した。


つづく


2024年4月10日水曜日

ビザンツ帝国軍vs歴戦の傭兵部隊。フランク重騎兵は裏切るのか、ヴァリャーギ親衛隊は敵の猛攻をしのげるのか Pont de Zompos 1074 - Basileus II(VV162) AAR①

  漫画「アンナ・コムネナ」の第5巻が出ましたね。これでビザンツ関連の話題がまた盛り上がると思うんですけど、おりしもVaeVictisの最新号の付録ゲームは、6世紀東ローマ帝国を扱った「Romanitas」。プレイの例までデザイナーさんが公開してくれていたので和訳したし、ルールも和訳したし、それにソリティアだからプレイのハードルはかなり低いはず。アンナ様より数世紀前のビザンツが、ユスティニアヌス帝のもとでかつての栄光を回復し、その後は四方を敵に囲まれながら帝国を存続させる過程を味わえます。みんなプレイしようね!


 と一人で盛り上がっていたんだけれど、ビザンツの戦いをやりたくなって出してきたのがVaeVictis162号の「Basileus II」。10~11世紀のビザンツ帝国の東方での戦いが5つ収録されている。でもね、5つの戦いのうちビザンツが勝ったのは1つだけなんですよ。そのうちの一つはビザンツが大敗したマンジケルト。この時期の中東方面の戦いでマンジケルトは外せないってのはわかるけど、でも他のはビザンツ勝利のものをもっと選んでくれてもよかったんじゃない、とちょっと文句言いたくなる。


 それはさておき今回プレイするのはZompos橋の戦い。場所は現在のアンカラの南西のほうらしい。西欧からやってきた傭兵隊長ルーセル・ド・バイユールRoussel de Bailleulが反乱、アナトリア地方に自分が支配する地域を打ち立てようとするが、3年前のマンジケルトで大敗してから落ち目のビザンツ帝国としてはそんなことを認めるわけにはいかず討伐軍を送った、というもの。時代的には第一回十字軍の約20年前で、アンナ様のお父様のアレクシオス一世はまだ帝位についていないどころか20歳前後の若造だったころ。

 この戦いでもビザンツ側は負けたんだけど、なんでこのシナリオを選んだかというと、以前読んだ『The Norman Commanders』にルーセル・ド・バイユールが出ていたから。11世紀後半、南伊で急速に勃興したノルマン勢力のもとで戦歴を積んだ後、ビザンツの傭兵となり重騎兵を率いて活躍したというこの人物、いっぺん戦わせてみたくなるじゃないですか。

 このZompos橋の戦いのシナリオは、両軍が相対しての初期配置となる。マップ上には橋はないが、ビザンツ軍は橋を渡り、ルーセル・ド・バイユールの軍勢にむかって進軍してきたそうだ。

 ビザンツ軍はラテン軍(ビザンツでは西欧人のことをラテンと呼んだ)よりわずかに数で勝っているように見えるが、右翼の4ユニットは毎ターン動向チェックがあり、20%弱の確率でしか動かない。しかもサイの目によっては移動のみで戦闘不可とか、2ユニットのみ移動・戦闘可能などかなり制限があるため、ビザンツ軍は右翼をあてにできなくなっている。それに加えて、ビザンツ軍の左翼にいる強力なフランク騎兵は敵に寝返る可能性がある。そのため、ビザンツ軍はかなり不確定要素を抱えながら戦うことになる。

 一方のラテン軍は戦闘力+2となる強力な突撃能力をもつ騎兵が主力。ただし同軍の騎兵はすべて猪突猛進(Impétuosité)の性質を持ち、敵の3へクス以内で移動しようとすると3分の1の確率で一番近い敵に向かって移動してしまう。血気盛んな西欧の傭兵たちが、指揮官の言うことを聞かず目の前にいる敵に突進していくって感じかな。このため、ラテン軍は計算どおりに攻撃できないということが起こりえるのだ。


●第1~第3ターン

 ラテン軍は少しずつ距離を詰めていく。敵左翼にいるフランク騎兵は毎ターン寝返りチェックがあり6分の1の確率で裏切るため、時間を稼いで裏切りが発生したときにここぞとばかりに攻撃すればいいのだ。

 一方のビザンツ軍もじわじわと敵に前進していく。フランク騎兵が寝返る前に攻撃したいが、ビザンツ軍の主力は歩兵で移動力が2しかなく、歩騎が協調して攻撃するためには歩兵の移動力に合わせる必要がある。またラテン軍の騎兵は戦闘力が+2となる突撃が行えるが、そのためには3へクス離れたところから移動してきて攻撃する必要がある。敵の強力な突撃を封じるよう、ビザンツ軍は距離を詰めていった。

 先にしびれを切らしたのはラテン軍の方だった。フランク騎兵が裏切るまで交戦を避けて後退しようにも、敵を眼前にして興奮した騎兵たちが勝手に攻撃をしかけてしまうかもしれない。ならばこちらから打って出る! と早くも第3ターンに攻撃をしかけた。このゲームは「A la charge! (突撃!)」というシリーズの一つなのだが、このシリーズでは1.5対1の低比率でも3分の2の確率で攻撃が成功するため、積極的に攻撃したほうがいい場合が多い。


 マンジケルトで惨敗したビザンツ帝国など恐るるに足らず。俺たち傭兵がいなけりゃろくに戦争もできないだろうが! 一斉にビザンツ軍に襲いかかったラテン軍。敵中央のヴァリャーギ親衛隊の奮戦で指揮官ルーセルが撃退されたものの、ビザンツ軍に次々と損害を与えていった。


つづく

2024年3月29日金曜日

ノルマンディーとイングランドの兄弟喧嘩。殴り合いを制するのはどっちだ!? Tinchebrai 1106 - Norman Conquests(GMT) AAR ⑤

  イングランド軍右翼のラヌルフ隊の猛烈な攻撃に続いて、中央のロベール・ド・ボーモンが動く。先ほど奮戦した敵の精鋭歩兵を再び攻撃。さすがの精鋭も2度目の攻撃は支えきれず、混乱状態になって後退する。こうして敵に損害を与えつつ、ロベール・ド・ボーモンは混乱状態にあるユニットの回復に努めた。

 イングランド軍の好きにさせてたまるか。敵も大いに出血しているのだ、死力をふるって攻撃し続けろ! と中央のノルマンディー公ロベールがやり返す。先ほど敵の波状攻撃で損害を被っていたにもかかわらず精鋭歩兵が奮戦、同じく消耗していた敵槍兵を敗走させる。そして弓兵が敵指揮官ロベール・ド・ボーモン率いる重装騎兵に至近距離まで近づいて矢を放つ。イングランド軍は次々と馬を失い混乱状態に陥った。そこに槍兵が白兵戦をしかける。この槍兵自身も混乱状態だったが、奮戦し敵を敗走させた。必死に兵を押しとどめようとしたイングランド軍の老将ロベール・ド・ボーモンは、この混戦の中で戦死してしまった。 

 そしてノルマンディー軍右翼(マップ右方)のモルタン伯ギョームが動く。敵の重装騎兵を指揮官ギョームが自ら仕留め、配下の槍兵が軍旗の下に敗走していたサリー伯部隊の兵を掃討していった。イングランド軍左翼は崩壊である。さらにノルマンディー軍左翼(マップ左方)のポンティユー伯ロベール・ド・べレームが続く。先ほどのイングランド軍右翼のラヌルフ隊の攻撃で大損害を受けていたため、後退して態勢を整えようと努めた。

 ここでやっとイングランド軍に自由活性が回ってくる。このシナリオではイングランド軍は自軍の自由活性の際に増援の登場チェックが行える。失敗するごとに有利なサイの目修正がつくので、時間がたてばたつほど増援が現れる確率が高くなる。これまでずっと登場チェックに失敗していたが、頼む、イングランド軍の最後の攻撃に間に合ってくれ、との祈りを神が聞き入れたか、ブルターニュ公アラン四世の重装騎兵部隊がついに登場! だが遅い。遅すぎる。史実ではイングランド王ヘンリーI世がブルターニュ騎兵に戦場を迂回させ、敵の側面から後方にかけて奇襲、ノルマンディー軍を崩壊させている。このシナリオでも増援の重装騎兵3ユニットは強力なのだが、すでにイングランド軍の累積敗走ポイントは敗走レベル(Flight Level)の21を上回っており、敗北が決まっている。イングランド軍としてはブルターニュ騎兵の攻撃でできる限り敵に損害を与え、この自由活性の終了時の敗北チェックでノルマンディー軍も崩壊させ、引き分けに持ち込むしかない。


 増援として現れるブルターニュ公アランはタンシュブレーの戦いの10年前に第一回十字軍に参加している。ちなみにブルターニュはノルマンディーの西隣にあたり、両地方はずっと抗争を続けていたらしい。ブルターニュ公国は中世の間、実質的な独立を保つが、百年戦争の後にフランスに屈服する。これはVaeVictis160号でゲームになっていますね。あと、漫画『ブルターニュ花嫁異聞』はまさにブルターニュが主な舞台で、これは13世紀のお話。

 

 マップ右方から重装騎兵部隊が土煙を上げて敵の側面に突撃。突然現れた騎兵集団にノルマンディー軍左翼の兵たちは浮足立ち、ブルターニュ公アラン四世率いる重装騎兵の突撃を防ぐすべもない。歩兵が次々と蹴散らされていき、さらには指揮官のロベール・ド・べレームは戦死してしまった。ちなみにこのロベール・ド・べレーム、史実では敵の騎兵部隊が出現すると一目散に戦場から逃走したらしい。

 このブルターニュ部隊の奇襲攻撃でノルマンディー軍の累積敗走ポイントは15に上った。敗走レベルは18で、10面体ダイスを振って60%の確率で敗北となる。そしてサイの目は5。これまでの激戦に耐えられず、ノルマンディー軍の士気も崩壊してしまった。イングランド軍も敗走レベルを超えているので、この兄弟間の死闘は引き分けとなる。ボクシングの最終ラウンド、それまでの激しい殴り合いで立っているのもやっとの赤コーナー・ヘンリー。最後の力を振り絞って放った右ストレートが青コーナー・ロベールの顔面をとらえ、両者ともにリングに崩れ落ちた ― という感じでのゲーム終了である。


 このAAR冒頭で書いたように、このシナリオではノルマンディー軍が不利である。だが既述のように攻撃側が有利なので、果敢に攻撃して殴り合いを制すれば勝機はあると思われる。まあ、もちろんイングランド軍の増援がいつ現れるかにもよるんだけど。

 タンシュブレーの戦いはウォーゲーム的にはマイナーだと思うけど、Hollandspielの「Shields & Swords II」シリーズの、「House of Normandy」というゲームにTinchebraiのシナリオが収録されている。PnP版が12ドルと廉価で手に入るので、「Norman Conquests」のこのシナリオと比較してみるのもいいんじゃないでしょうか。


共和国軍の攻勢から反乱軍の反撃、そして機動戦から消耗戦へ Brunete 1937 (Alea43) AAR part5

 ●第5ターン  残り2ターンである。このゲーム、序盤は共和国軍が圧倒的に優勢であるものの、反乱軍には続々と増援が登場する。下の写真はこのショートシナリオが扱う第1~6ターンの両軍の増援で、一目瞭然、共和国軍には微々たる数しか現れないのに対し、反乱軍は大量の援軍を受け取る。ヒスト...