2025年11月2日日曜日

アウステルリッツ - 忘却されたベルティエの報告書

  アウステルリッツなんて自分でも知っているぐらいの有名な会戦ですけど、あの戦い関連の本って意外と少ない、って感じのつぶやきを目にしまして。へ、そうなの、と思って調べてみました。いやー、三連休だというのに仕事が溜まっているから、こういう逃避作業が進むこと進むこと。でもよく考えたら自分、アウステルリッツの本って読んだことないわ。まあいつものことなんですけどね。ははは…。この戦いの基本を押さえようと思ったら何から読めばいいか、諸兄ご教授ください。

 それはさておき、Revue historique des Arméesっていう季刊誌があって、フランスのMinistère des Armées(軍事省でいいですんかね)が出しているんですけど、それが2005年にアウステルリッツ特集をやっているのを見つけました。2005年って言ったらアウステルリッツの200周年だからそういう号を出すのも当然ですかね。


 «À qui la faute ?» La recherche des responsables de la défaite dans l'armée russe après Austerlitz(「誰が悪かったのか?」アウステルリッツ後のロシア軍における敗北の責任者探し)なんて記事もあるんですけど、Le récit méconnu de de la bataille d'austerlitz par le marechal Alexandre Berthier: une relation officielle avortee(ほとんど知られていないアウステルリッツの戦いのAlxandre Berthier将軍による報告書: 日の目を見なかった公式記録)っていう記事が目を引きまして。目次みたいなところではLe récit oublié (忘れられた報告書)ってあるんですけど、ベルティエってナポレオンの参謀長でしょ。なんで忘れられちゃうのと思って読んでみました。

 読み始めるといきなり Le 11 frimaire an XIV で始まっていて、は?って面食らったんですけど、すぐあとにカッコつきで 2 décembre 1805 って続いていて、あー、フランス革命歴ね、ブリュメールとかテルミドールとか聞いたことあるけど、frimaireなんてどの月か知らんよ…。まあ、雰囲気が出るんでしょうけど。それはさておき、ベルティエは1806年7月1日に36ページのアウステルリッツ戦の報告書をナポレオンに送ったんですけど、ナポレオンはかなり修正しないといけないって答えてずっとそのまま塩漬けになって、1998年になってやっと出版されたそうなんですけど、マジ? もう20数年前のことなので、最近の研究には反映されているのかな。今日でもほとんど知られていないって記事には書いてあるけど。

 

 なぜベルティエの報告書はナポレオンの気に入らなかったのか。ministre de la Guerre(軍事大臣?)としてベルティエは、多くの主要な将軍、スールトやダヴーたちから«rapports du lendemain»(翌日の報告)を受け取っていたと筆者は述べているんですけどね。narratif(物語風の)すぎるからではないか、と指摘もしていますが。それでも、ベルティエの報告書は興味深いって筆者は言っています。物語風なので戦場の心理が伝わってくるし、地形の描写も詳細、それに、もし決定的な勝利を得られなかった場合ボヘミアに追撃するというナポレオンのプランの裏付けも得られる、とのことです。一方、スールトやダヴーの果たした役割についてはあまり焦点が当てられていないって指摘していますね。


 そう考察を述べた後、Mais jugeons plutôt.(だが、自分で判断してみよう)って言葉で締めて、ベルティエの報告書を乗せてくれています。全部じゃないんですけど、読みごたえは結構ありました。アウステルリッツ戦のゲームを広げて実際に叙述どおりにユニットを動かして確認したくなりましたよ。


 自分は結構ナポレオンのセリフがビシバシ来ました。例えば戦い前、もっとも突出した位置に配備された部隊に語りかけているシーンとか。

... vous l’avez défendu. Je vous en confie un plus important encore. Vous périrez tous plutôt que de vous rendre », et comme au moment même les tirailleurs ennemis s'avançaient, il ajoute : « Aujourd'hui ce ne sera rien ; mais demain la journée sera glorieuse. Il faut qu'elle soit plus funeste aux Russes que la journée d’Ulm ne l’a été pour les Autrichiens.


 それと戦い前日の午後、敵軍のミスを見て、« avant demain au soir cette armée sera à moi »って言ったりとか。かっこよすぎでしょ。あと、ここもいいです。

 Couvert de son sang et de celui de l’ennemi, le général Rapp vient donner à l’Empereur les détails de cette action et lui présenter les officiers les plus distingués. L’un d’eux, officier d’artillerie, se jette au devant de son cheval et invoque la mort « je suis indigne de vivre , s’écrit-il, j’ai perdu mes canons » « Jeune homme lui répond l’Empereur avec bonté, j’estime vos regrets, mais rassurez-vous, pour avoir été vaincu on ne cesse pas d’être au nombre des braves ».

いやー、pour avoir été vaincu on ne cesse pas d’être au nombre des bravesって皇帝から言われてみたいわー。


 でも、数で圧倒されて敵に鷲(の軍旗?)を奪われた部隊に対しては、戦いの後のナポレオンの言葉は

Vous deviez tous mourir 

ですよ。こええ~。こんなこと言われたらもう、次の戦いでは生きて帰らないっていう気持ちになっちゃいますよね。


(すみません、面倒くさいので和訳せず仏語の原文だけ載せています。まあ今は機械翻訳の性能が格段に向上しているみたいですからね。興味持った方は訳してみてください)


 この記事、一般に公開されているようで「著作権切れナポレオン戦争関連洋書Wiki」に入れておいたので興味ある人は読んでみてください。で、定説のアウステルリッツとどう違うか、教えてほしいなあ。


(追記)
 一般に流布しているアウステルリッツのイメージとこの報告書の内容がどれくらい違うのか(もしくは同じなのか)が自分にはわからないんですけど、巨匠リドリー・スコットの名作「ナポレオン」は見たことがあります。ミュラの子孫がこんなこと言っていたら、見ないわけにはいかないでしょ。
まあでも、乗っていた飛行機でたまたまやっていたので見ただけなんですけどね。アウステルリッツでは砲弾で湖の氷を割って敵をおぼれさせたのか、すげー、さすがナポレオン、ピラミッドに大砲打ち込むだけあるわ。マリー・アントワネットの処刑も目撃しているしね、って感動してたんですが、ベルティエの報告書でも湖の氷については言及されていました。

 Les débris de l’infanterie ennemie gagnent en désordre les hauteurs de Mennitz [Menitz]. La division Vandamme, la division Friant, quelques bataillons de chasseurs de la garde les poursuivent, l’épée dans les reins et ne leur laissent pas le temps de se former. Sans appui, sans ressource, sans retraite, foudroyés par l’artillerie de la garde, dont toutes les bouches tonnaient à la fois, ces malheureux saisis d’épouvante se jettent sur le lac glacé de Mennitz [Menitz] déjà ébranlé par nos boulets, et presque tous y trouvent la mort.
(敵歩兵の残余は混乱状態でMennitzの高地にたどり着いた。VandammeとFriantの師団、それに親衛猟兵の数個大隊が容赦なく追撃し、隊列を整える余裕を与えなかった。支援もなく兵や銃器も足らず、退却することもできずに、一斉に放たれた親衛隊の砲弾にさらされたこの不運な兵たちは、恐怖に駆られて凍ったMennitz湖に殺到したが、氷はすでにわが軍の砲弾によって砕かれており、兵たちのほとんど全員が死亡した。)

(追記その2)
 面倒くさいので訳しません、と書きましたが、訳してみました。仕事があるとほんと、こういう作業がサクサク進むわー。

... vous l’avez défendu. Je vous en confie un plus important encore. Vous périrez tous plutôt que de vous rendre », et comme au moment même les tirailleurs ennemis s'avançaient, il ajoute : « Aujourd'hui ce ne sera rien ; mais demain la journée sera glorieuse. Il faut qu'elle soit plus funeste aux Russes que la journée d’Ulm ne l’a été pour les Autrichiens.
(…君たちはすでに防いだことがあるのだ。より重要な地点を君たちに託す。降伏するのであれば、全員戦死するのだ」そしてちょうどその時、敵の散兵が前進してきた。皇帝は続けて言った「今日はただの一日になるだろう。だが明日は栄光に満ちた日になる。ロシア軍にとって、オーストリア軍にとってのウルムの日よりも悲惨な日になるに違いないのだ」)

« avant demain au soir cette armée sera à moi »
(「明日の夕方までに、あの軍は私のものとなる」)

Couvert de son sang et de celui de l’ennemi, le général Rapp vient donner à l’Empereur les détails de cette action et lui présenter les officiers les plus distingués. L’un d’eux, officier d’artillerie, se jette au devant de son cheval et invoque la mort « je suis indigne de vivre , s’écrit-il, « j’ai perdu mes canons » « Jeune homme lui répond l’Empereur avec bonté, « j’estime vos regrets, mais rassurez-vous, pour avoir été vaincu on ne cesse pas d’être au nombre des braves ».
(敵味方の血を浴びた状態で、Rapp将軍は皇帝に戦闘の詳細を報告するために現れ、もっとも勇敢だった士官たちを皇帝の前に並ばせた。そのうちの一人は砲兵士官で、皇帝の馬の前に身を投げ出し死を乞うた。「自分は生きている価値がありません」その士官は叫んだ「砲を失ってしまったんです」。「いいかね」皇帝は柔らかな声で言葉をかけた「君の後悔はよくわかる。だが安心したまえ。打ち破られたからと言って勇敢ではないということにはならないのだ」)

Vous deviez tous mourir. 
(諸君は全員、戦死すべきだった)

(追記その3)
アウステルリッツについてはこちらもどうぞ。

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