●第5ターン(続き)
ついに強力なフランク重騎兵が敵に寝返ってしまい、ラテン軍の攻撃で壊滅する部隊が出てきたビザンツ軍だが、必死に反撃。先ほどフランク騎兵の攻撃をしのいだマップ左端の騎兵が逆に敵の歩兵を壊滅させる。そして弓兵と弓騎兵をかき集め、突出してきているラテン軍騎兵に集中射撃、4戦闘力の敵精鋭騎兵をステップロスさせた。
●第6ターン
指揮官のルーセル・ド・バイユールが陣頭に立ち、中央部で激しく攻め立てる。マップ左方ではヴァリャーギ親衛隊が意地を見せラテン軍騎兵2ユニットの攻撃を撃退したものの、これまでの激戦で消耗していたビザンツの歩兵が次々と壊滅していった。これでビザンツ軍の累積損害は一気に15に上り、ラテン軍の損害を上回ってしまった。
そして迎えたビザンツ軍ターン。これまで静観していたビザンツ軍右翼だったが、友軍の苦戦を見かねてついに動いた。前進して敵の左翼(マップ右方)を抑えにかかる。
このビザンツ軍右翼を率いるニケフォロス・ボタネイアテスは戦闘経験豊富で、戦いの前に指揮官のドゥ―カスに対して慎重に行動するように進言したが、ドゥ―カスは聞かずにZompos橋を渡って敵に攻撃をしかけたらしい。ちなみにこの戦いの4年後に皇帝となるが、1081年にアンナ様のお父様によって帝位を奪われている。
やっと動いたニケフォロスの部隊に戦場の右方はまかせ、指揮官のドゥ―カスが中央に転進してルーセルに突撃。傭兵の分際でビザンツ帝国に反旗を翻すやつは生かしておけん! ヴァリャーギ親衛隊の支援も受けて、ルーセル直属のラテン精鋭騎兵に損害を与える。さらにはマップ左方で敵騎兵を壊滅、ラテン軍の累積損害は14とビザンツのそれに迫った。
この戦いのビザンツ軍の指揮官ヨハネス・ドゥ―カスは名門ドゥ―カス家の一員で、当時の皇帝ミカエル7世の叔父。だがこの戦いで敗北しルーセル・ド・バイユールの捕虜となった。その後ルーセルがコンスタンティノープルの皇帝ミカエル7世の政権を転覆させるためにこのヨハネス・ドゥ―カスを皇帝に擁立、ヨハネス・ドゥ―カスは甥である皇帝に反旗を翻すことになる。だがビザンツと手を組んだセルジューク・トルコによって捕えられるという人生を送っている。
●第7ターン
戦場の中央と左方で激戦が続き、両軍とも消耗が激しい。ラテン軍はいまだ無傷でいるマップ右方の騎兵2ユニットを中央にシフトさせようとするも、猪突猛進のチェックに失敗、全く意のままに動かない。この激戦でラテン軍騎兵は興奮しているのか、さきほど前進してきた、目の前のビザンツ軍右翼にむかってしまった。
マップ左方ではビザンツ騎兵を包囲、寝返ったフランク騎兵が攻撃するもAR。やはり裏切者に対してはビザンツの兵たちも通常以上の力が出るのか。しかし、これまで攻守ともにビザンツ軍を支えてきた精鋭のヴャリャーギ親衛隊が、ルーセル・ド・バイユールの攻撃でついに壊滅した。
これでビザンツ軍の累積損害は19となった。20に届いたら負けである。自軍が崩壊する前に敵を打ち破らなくては。指揮官のドゥ―カスが猛攻、敵騎兵をステップロスさせる。自軍指揮官の奮戦に士気が上がったか、マップ左方でこれまで何度も敵の攻撃をはねえしてきたビザンツ騎兵がラテン軍歩兵を蹴散らす。そして弓兵と弓騎兵の集中射撃でラテン軍の弓兵が壊滅。ラテン軍の累積損害が17に上る。ラテン軍は累積損害が18になったら負けなので、ビザンツ軍同様に後がなくなってしまった。
●第8ターン
両軍ともに、あと1ユニット敵を壊滅すれば勝ちである。ラテン軍は各所で必死に攻撃して敵に損害に与えるものの、除去には至らず。逆にビザンツ軍は、指揮官のドゥ―カスが陣頭に立って敵騎兵を包囲、殲滅した。これでラテン軍は累積損害が18を超えてしまい、敗北となった。
傭兵の反乱は抑えられ、ビザンツ帝国は一息つけることになる。だが一筋縄ではいかないルーセル・ド・バイユールはこの戦いに敗北しても性懲りもなく帝国に反旗を翻すことが予想される。実際、史実ではルーセルはこの勝利するもののその後アンナ様のお父様に捕らえられ、釈放されて反乱鎮圧に派遣されるもののもまた反乱に加わっている。こんなノルマン傭兵を使わざるを得ないビザンツ帝国の苦悩がうかがえますな。しかもZomposの約20年後にはセルジューク・トルコに対抗するため西欧から蛮族を呼び寄せたと思ったら、宗教的熱狂に包まれた騎士たちが大挙してやってきちゃったという。よくまあビザンツは千年続いたもんだとまたも思ってしまいます。
この「Basileus II」、ルールはもちろんヒストリカルノートも和訳しているんで、ご興味持たれた方はぜひプレイしてみてください。
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