ここんとこ『黒太子』とか他の本とか読んで14世紀のイングランドに興味が出てきたんですが、高校の世界史で習ったワット・タイラーの乱も14世紀だな、でも全然知らないなと思って簡単そうなものを探して読んでみました。
この本、『Summer of Blood: The Peasants' Revolt of 1381』の筆者ダン・ジョーンズと言えば中世物をいくつか書いていますが、なかでも出世作の『The Plantagenets』、ニューヨークタイムズのベストセラーになったことからもわかるように無茶苦茶面白いんですよね。なんでまだ和訳が出ないんだろ。プランタジネットって日本人には馴染みがなくて売れないと思われているのかな。でもそんなこと言ったら比較的マイナーであろうテンプル騎士団を描いた『テンプル騎士団全史』は訳が出てるしね。『The Plantagenets』はあれだけ売れたから、翻訳権が高いのかなあ。
それはさておきさっそく読んでみたんですけどね、The year 1381 is a signpost on the road from the battle of Hastings in 1066 and Magna Carta in 1215 to Bosworth 1485, the Armada 1588 and everything beyond.なんて序文に書かれていて、おお、そんなすごい出来事だったの?と期待が膨らみました。でもね、あれれ、なかなかワット・タイラーが出てこない? 第4章がA Call to Armsってタイトルになっていて、おお、やっとか、と思ったら次の章、全体の4分の1ぐらい進んだところで登場しましたよ。しかもね、残り4分の1ぐらいを残したところで死んじゃうんですよ。ワット・タイラーがこの乱の主役じゃないの? まあこの乱は英語では一般的にthe Peasants' Revoltって呼ばれているようで、ワット・タイラーはその初期の軍事的指導者だったみたいですね。ちなみに筆者のダン・ジョーンズはthe Peasants' Revoltという呼称について、the slightly misleading shorthand that historians have given the rebellionって序文に書いていて、本を読んでいくとなんか納得しました。
ワット・タイラーについては、he certainly had the ability to marshal, muster and command a disparate band of recruits on long marches and flash raids.とか、He was a bold and inspirational general who seemed to leave a mark on many of those who came into contact with him.とかmilitary nousとか書いていて、軍事的な能力は評価しているようです。実際、この乱の初期は叛乱した群衆の統制が比較的とれていたことが繰り返し描写されていて、例えばロンドンになだれ込んだ反乱軍は圧政の象徴だったジョン・オブ・ゴーントの豪奢な屋敷を焼き討ちしていますが、無差別に略奪に走ったりしていないみたいなんですよね。しかしジョン・オブ・ゴーント、かなり嫌われていたんですなあ。
どっちかというと、この本を読んで乱当時の王リチャード二世のことがよくわかりました。薔薇戦争関連の本を読んでいるとリチャード二世からヘンリー4世が王位を奪うあたりから書き始めていることが結構あるんですけど、あんまりリチャード二世にはいいイメージが無かったというかイメージを持つほどあの王について知っているわけではなかったんですよね。この乱のときリチャード2世はまだ14歳で、周りには頼りになる経験豊かな貴族もその時はいなかったようで、中学生の年齢で反乱を起こした民衆と対峙するってそんな無茶な、って思いましたよ。ボク、ぜったい無理。実際、反乱軍との一回目の交渉ではかなり譲歩してしまってRichard may as well have handed a blank charter to the rebels, upon which they could write his approval for any act they chose.なんて書かれています。でも二回目のSmithfieldでの交渉のとき、ワット・タイラーはロンドン市長に刺殺されるんですけど、その直後に人が変わったかのようにリチャードが王として威厳ある姿を見せるんですよね。読んでいてびっくり。こんな感じです↓。
He kicked his own horse forward ... on towards the rebels. As he approached he began to shout to them that he commanded them as their king to make their way out of Smithfield and follow him ...
14歳の時って自分、ビビりであほなことしかしてなかったなあ。それはさておき、筆者もThe rebellion of 1381 was in many senses the making of King Richard II.って書いています。
ワット・タイラーの乱は「アダムが耕しイヴが紡いだとき、誰が領主だったのか?」って言葉でも有名だと思うんですけど、この名台詞 When Adam delved and Eve span, Who, then, was the gentleman? も当然出てきました。この言葉からもわかるように平等を訴えるといいますか社会改革的な側面もこの乱にはあったみたいで、黒死病による農民と領主の関係の変化など社会・政治・経済的な側面についてもこの本は触れているんですが、200ページちょいぐらいでこの乱の流れが一通りつかめて自分には勉強になりました。

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