2022年10月11日火曜日

最後の騎士と呼ばれた男  Guinegatte 1479 - La Trêve ou l'Epée (Ludifolie) AAR ①

  「中世最後の騎士」、と聞くと大仰というか中二? と個人的には思ってしまうんだけど、こう呼ばれたのが神聖ローマ皇帝マクシミリアン一世。スペイン王国と神聖ローマ帝国の両大国を治めたカール五世(スペイン王としてはカルロス一世)、GMTの「Here I Stand」でも登場する有名人だけど、マクシミリアンはカール5世のおじいちゃんにあたる。

 マクシミリアンは武芸に優れるだけでなく、芸術にも理解を示すという騎士の理想像を体現していたことから、「中世最後の騎士」と呼ばれたそうだ。「勇猛果敢な胆力」とか「権謀術数を知りながら自ら裏切ることをしなかった」とかいろいろと称賛されている。活躍したのは中世から近世に移り変わっていく15世紀末から16世紀初頭で、まさに中世の終わりである。


 このマクシミリアンが神聖ローマ皇帝になる前、まだ20歳の時にブルゴーニュ軍を率いてフランス軍を打ち破ったのが1479年のギネガテの戦いなんだけれども、百年戦争関連の本を読んでいて、そういやブルゴーニュはどうなったと思ってギネガテの戦いをプレイすることにしてみた。

 中世のブルゴーニュはざっくりいうとフランスの王権を認めながらも半ば独立した公国となっていたらしい。百年戦争の後半ではフランス側はアルマニャック派とブルゴーニュ派に分かれて内紛を繰り返していたけど、百年戦争に勝利してイングランド勢力をほぼ大陸から追い出した後、フランスはブルゴーニュ公国にも手を伸ばす。当時のブルゴーニュは現在のオランダからフランス南東部にかけてを支配下に置き、宮廷文化が爛熟していたそうだ。ホイジンガの『中世の秋』にその辺は詳しいそうだけど、昔読んだはずなのに忘れちゃったな。1430年には金羊毛騎士団なんてのも創設されている。

 百年戦争ののち、1467年にブルゴーニュ公となった突進公シャルル(Charles le Téméraire)がフランスやスイスとガンガン戦争したんだけど1477年にナンシーの戦いで戦死、その一人娘マリーと結婚したマクシミリアンがフランス軍を迎え撃ったのがギネガテの戦いである。ちなみにこの時期、イギリスは薔薇戦争の真っ最中で1470年には白薔薇ヨークのイングランド王エドワード四世が1470年に亡命してきたりしている。


 ゲームは「La Trêve ou l'Epée」(Ludifolie)で、Au fil de l'épée(剣の刃によって)という中世の会戦を扱うシリーズの一つ。このシリーズはVae Victis誌の付録で何作か出されていたけど、DTPやジップロックの単体ゲームとしてもいくつか出ている。比較的ルールが簡単でプレイ時間が短いものが多い。ちなみにあれかな、Au fil de l'épéeってド・ゴールの著書「Le fil de l'épée」(剣の刃)にかけてんのかな。「La Trêve ou l'Epée」は直訳すると「停戦か剣か」。今回プレイするギネガテの戦いのほかに、ブランシュタックの浅瀬の戦いも収録されている。これは仮想戦で、1475年にイングランドのエドワード四世がフランスに遠征するとルイ十一世は戦うことなく金を払ってお引き取りを願ったのだが、もし両者がソンム川の浅瀬でぶつかっていたら、というものである。



 ギネガテの戦いの初期配置は写真の通り。槍兵(Piquiers, Pi)では質量ともにブルゴーニュ軍が上だが、弓兵(Archers, Ar)はフランス軍が質では劣るものの数ではブルゴーニュ軍の1.5倍で5ユニット多く、騎兵に至ってはフランス軍がブルゴーニュ軍の2倍の数を擁するうえ質も高い。しかもマップ下方はスペースが開けており、フランス軍騎兵が数と機動力を生かしやすいようになっている。この戦いは12ターンとAu fil de l'épéeシリーズの中では長丁場になっており、数に劣るブルゴーニュ軍が果たして守り切れるかどうか。


つづく


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