2024年3月8日金曜日

ノルマンディーとイングランドの兄弟喧嘩。殴り合いを制するのはどっちだ!? Tinchebrai 1106 - Norman Conquests(GMT) AAR ②

  ノルマンディー軍右翼(マップ左方)モルタン伯ギョームの先制攻撃で多くの被害を受けたイングランド軍左翼だが、敵の連携が取れていないのを見て取り、やられたらやり返せと反撃する。

 このシナリオでは両軍ともに槍兵が主力となっているが防御力が低く、いずれも白兵戦防御DRM(Shock Defence DRM)は+1。この数値は敵の攻撃の際のサイの目修正となり、数値がプラスだと攻撃側に有利になる。このDRM+1を持つ槍兵に対し、同じく槍兵が1対1で白兵戦をしかけた場合、攻撃側に不利な結果となるのは30%なのに対し防御側が混乱したり退却する確率は50%。守りを固めるよりも積極的に攻撃したほうがよく、殴り合いの展開となりがちである。


 ちなみにこの英左翼部隊の指揮官はサリー伯で名は正面の敵モルタン伯と同じくギョーム。「Norman Conquests」のシナリオ集Battle BookではWilliam de Warrene, 2nd Earl of Surreyと表記されているが、Warreneという家名はノルマンディーのVarenneという地名から由来している、なんてWikiに書かれていたので、この人はギョーム・ド・ヴァレンヌと呼ぶことにする。ちなみにヴァレンヌと聞くとフランス革命のときのヴァレンヌ逃亡事件を思い出す。ルイ16世とマリー・アントワネットがオーストリアへの逃亡を図ったものの露見しヴァレンヌで捕まってパリに送還された、という事件。このヴァレンヌはVarrenesで最後にsが付いていて、場所もフランス東部国境近くなので違う地名である。


 先ほど騎兵を率いて突撃してきたノルマンディー軍のギョームに対し、サリー伯ギョームが目には目を、騎兵には騎兵だ! と騎兵を率いて突撃。指揮官同士の激突で両者混乱状態となった。サリー伯部隊の弓兵や槍兵がこれに続き、敵1ユニットが敗走した。

 だが今度はイングランド軍が継続活性に失敗。ノルマンディー軍は中央のノルマンディー公の部隊を動かす。ギョーム同様、弓兵の射撃ののち指揮官が突撃、さらに歩兵も続く。この部隊には精鋭の重装歩兵(Dismounted Men-at-Arms, DM)が1ユニット含まれており、両翼の部隊よりはやや強力になっている。このユニットを中心にして槍兵も奮戦、正面の敵ロベール・ド・ボーモンの部隊の兵を後退させていく。


 このイングランド軍中央を率いるロベール・ド・ボーモンだが、「Norman Conquests」のBattle BookではRobert de Beaumont, Count of Montfortとなっている。これ、Count of MontfortじゃなくてCount of Meulan(ムーラン伯)じゃないかな。この戦いには同じくRobertという名のRobert de Montfortがイングランド軍に参加していたようなので、それと混同しているのかも。ただ前回紹介した、「Norman Conquests」の参考文献の『The Norman Commanders』のタンシュブレーの戦況図ではイングランド軍中央がRobert of Montfortとなっている。ただ本文ではRobert of Meulanという名前が出てくるんだよね。

 いずれにせよこのロベール・ド・ボーモン、タンシュブレーの戦いの40年前、1066年のノルマンコンクエストに加わり、ヘイスティングスの戦いでは右翼で歩兵を指揮して若いながらも奮戦したという古参で、イングランドでは初代レスター伯となっている。タンシュブレーの戦いのときには50代から60代になっていたらしい。


つづく

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