2025年5月18日日曜日

旧東ドイツ小史『小さな国、大きな壁』

  ベルリンの壁、と言ったら「ソ連」と同じく過去の遺物というかもう歴史として習うようなものになっているかと思いますが、Twitterでフォローさせていただいているケンケンさんがベルリンの壁を訪れられていていました。

そういや旧東ドイツについて書かれた本を持っていたはず、と本棚の奥からサルベージして読み返してみました。

 この本、『Kleines Land, große Mauer』はベルリンの壁崩壊から20年後に出ているんですけど、Für alle, die die DDR nur aus dem Geschichtsbuch kennen(ドイツ民主共和国を歴史の本でしか知らないすべての人に)なんて副題的なものがついています。実際、若いドイツ人の知り合いが、自分のように東西分裂時代を知らない世代こそこういう本を読むべきなんだって言ってました。まあ自分は旧東ドイツについて簡単な本がないかなって思って買っただけなんですけどね。


 旧東ドイツ、ドイツ民主共和国の成立から崩壊までの経緯や教育や経済など様々な分野についてわかりやすく書かれているだけでなく、文体も固くなくて自分にはありがたかったです。それはさておき、ベルリンの壁を越えようとして射殺された最後の犠牲者、Chris Gueffroyについても2ページを割かれていました。東ベルリンでウェイターをしていたChrisは、壁を越えようとしても撃たれることはない、という噂を信じて西側に行こうとしたそうです。Er war 20 Jahre alt, er wollte in den Westen. Mehr nicht.(彼は20歳で、西側に行きたかった、それだけなんだ。)という言葉でこの章が結ばれていますが、Chrisが撃たれた年、筆者は21歳で、まさに同年代です。壁の向こう側に行きたいという若者の気持ちはよくよくわかっていたでしょう。Mehr nicht.という簡潔な言葉に深い怒りを感じてしまいました。しかもこれは1989年2月のことで、9カ月後の11月にはベルリンの壁が崩壊し自由に西側に行けるようになるんです。「1989年2月には、誰もそんなことは予想できなかった。ほとんどの人は、国境が永遠に存在すると信じていた」と筆者は述べています。

 ベルリンの壁についても一章が割かれているんですが、壁の警備について同国人を撃った兵はどんな人間だったのかと疑問を呈していますね。徴兵制があって、運が悪ければ国境警備に就き、国から出ようとする人が警告しても止まらなかった時は撃たないといけなかった。そういう命令だったんだと書いています。でもその一方で、国境警備に付きたくないとはっきりと表明した兵はそのような地帯には送られなかったとも指摘しています。指揮官たちは信用できない兵士を非常に恐れたのだ、と。さらには、正確に狙って撃つ必要はなかった、「たまたま」外しても罰せられなかったのだから、と、西側に行こうとした人々を撃った兵たちを非難してます。筆者自身、徴兵で一年半、東ドイツで兵役に就いて実情を知っていただけに、許せない気持ちがあったんじゃないでしょうか。

 とはいえ旧東ドイツについて批判的なことばかり書いているわけではありません。冒頭に、旧東ドイツでは素晴らしい生活を送ったんだ、幸せな子供時代、それにいい思春期を過ごした、って言ってますし。


 久しぶりに読み返してみたんですが、また旧東ドイツに興味が出てきました。再統一から35年以上たってもドイツ国内の東西の違いはいまだに問題になっているようで、去年もこんな本が結構売れたみたいですし。なんか読みやすそうなのを探してみようかな。

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