2025年9月17日水曜日

1813年のドイツ戦役、Wachauの戦いって?(VaeVictis182)

 今月発売のVaeVictis最新号はナポレオニックでWachau 1813。でもどんな戦いか全然知りませんわって以前つぶやいたところ、いろいろと教えてもらいまして。Twitterって気分を害するような言説を目にすることも多いですが、こうして人の善意に触れたり思いがけず知識を得たりすることがあってありがたいです。

 Wachauってライプツィヒの戦いの緒戦のようなんですけど、ライプツィヒも1813年戦役も全然知らなくて、VaeVictis最新号が届いたのでヒストリカルノートを読んでみました。

 LA DERNIÈRE CHANCE..(最後のチャンス…)なんて見出しがついていて、え、どういうことって思ったんですけど、

1813年10月、ドイツ戦役は終わりに近づいていた(中略)諸国民戦争として知られるこの戦いは、フランス軍の運命を決定づけようとしてた

なんてリードが続いていて、チャンスなんてないじゃん、連合軍にとってのチャンスってこと?と知識不足の自分は混乱したんですが、ライプツィヒの戦いが本格的になる10月18日より前、連合軍が集結しきる前にオーストリアのボヘミア軍を撃破できた可能性があり、ライプツィヒの戦いの結果も変わったのではないかということです。もしかしたらオーストリアを無力化できたかもしれないそうですが、でもこの可能性については、フランス軍の士気は高かったものの、指揮官の質が低下しているうえに連合軍側の士気も高いのでおそらく難しかっただろうとヒストリカルノートの最後で述べています。なんだ、やっぱりナポレオンの大逆転は無理だったってこと?

 ヒストリカルノートではライプツィヒにいたるまで両軍の動きや、このゲームで取り扱っている10月16日の戦いの流れを描写していて勉強になったんですけどね、戦況図が載っていないんですよ。自分でグーグルマップとかで確認していけばいいんですけどね、そういうのが好きな人がぜひ戦況図を作ってほしいと他力本願丸出しで思ってしまいましたよ。このWachauの戦い、最初は連合軍の攻勢から始まったものの仏軍は増援の到着で反撃に転じ、ミュラの突撃とかもあったりするんですが決定的な勝利は得られなかった、というのがだいたいの流れのようです。Le coup de grâce avorté(挫折したとどめの一撃)とか、Une petite victoire tactique sans lendemain(次につながらない小さな作戦的勝利)とか、なんか悲哀を感じさせる見出しが1813年っぽいのかなって思いました。

 ゲームは比較的簡単なルールで、基本的にいわゆるIGO UGOシステム。ただ両軍に士気が設けられていて重要拠点の占領や部隊の損害などに影響されるんですが、ターン開始時に士気の高いほうがイニシアティブプレイヤーとなって先にプレイするんですね。このため、イニシアティブを持っていなかったけど士気が逆転した場合、次のターンは先にプレイできるのでダブルインパルスって言ったらいいんですかね、連続してプレイできるという、戦況のドラスティックな変化が起こるようになっているようです。

 またイベントチット的なものがあってゲームの展開に変化を与えるようです。プレイしてないからわからないけど。でも「Napoléon: Vive l'Empereur!」なんてチットがあって、うーん、使ってみたい。ほかにブルッヒャーなどゲームの地図には含まれてない他地域の戦況の影響を表すものもあります。それと、このゲームはVV150の「Bautzen 1813」やVV169の「Lützen 1813」と基本ルールは共通なので、他の2ゲームもプレイしやすいんじゃないかと思います。

(追記)

  ヒストリカルノートによるとこの戦いではナポレオンはGalgenbergというところから指揮をしていて、敵戦列に穴を見つけてミュラに突撃を命じたとのこと。ミュラはロシア皇帝のいる司令部まで迫ったそうです。 

Galgenbergはおそらくここ↓
ナポレオンが指令所Befehlsstandを置いたって書かれていますね。

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