2024年5月7日火曜日

ディエン・ビエン・フー陥落から70年の日に読む、『HO』

 今年の5月7日はウォーゲーマーだったら誰でも知っているはずの、ディエン・ビエン・フー陥落から70年。……なんてことは全く知らなくて、Le Mondeの記事が目に止まって、おお、そうだったのかと知りました。

 この記事の動画では戦況図がわかりやすく示されていて、動画を眺めているだけでだいたいの流れが分かった気になりました。ベトナム人民軍の指揮官ヴォ―・グエン・ザップが出てきたときには、フランス軍が惨敗を喫した敵指揮官のことをフランス語で「赤いナポレオン」って言ってくんないかなー、って思っていたんですけど、ナポレオンのファン(passionné de Napoléon)って紹介されていましたね。そういやVae Victis33号のディエン・ビエン・フーの戦いも持っていてユニットまで自作したのに、どこか押入れの奥深くに眠っていますわ…。

 この第一次インドシナ戦争でのフランス敗北を決定づけた戦いですけど、ディエン・ビエン・フーで思い出したのが『HO』。え、HOって、水?いやあれはH2O…ってボケをかましたくなるぐらいシンプルなタイトルの本なんですけど、ベトナムの建国の父ホー・チミンのHOなんですね。

 筆者はデイヴィッド・ハルバースタム。ウォーゲーマーだったら彼の『朝鮮戦争』を読んだ人も多いんじゃないですかね。私も年末、蔵書の整理をしていたら本棚の奥底から出てきましたよ。それと、GMTに「Fire in the Lake」ってゲームがあるけど、あのタイトルってハルバースタムの書名から取っているんじゃないのかな。


 ハルバースタムは出世作『ベスト・アンド・ブライテスト』でベトナム戦争におけるアメリカ政府の過ちを描いていますが、彼、若い頃に特派員としてベトナムに派遣されているんですよね。その経験を基に書いた「娘への手紙(A Letter to My Daughter)」っていう小文があって、これまた味わい深いんですわ。以前もどこかで書いたけど、抑えた筆致がじわじわと来ます。それに最後の一文、 I wish in fact that someone had shown me a photo of Vietcong bodies and I had cried.は頭から離れません。


 ……ええっと、何の話してたっけ、そうそう、『HO』。そのタイトルどおり、ホー・チミンの生涯を描いた本なんですけど、なんでディエン・ビエン・フーで作品を思い出すかっていうと、ハルバースタムの知人がこのフランス軍の要塞を訪れたときのエピソードが印象的なんですね。ここは高地に囲まれていて、敵が周囲の高地を占領して砲を設置したらどうするんだって知人がフランス軍将校に聞くんですけど、その答えが、「やつらは砲を持っていない。たとえ持っていたとしても、使い方を知らない」。いやー、そんなふうに敵を見下していたらそりゃ負けるでしょ。というか、列強は植民地で現地の住民を見下しまくっていたんでしょうなあ。

 で実際はというと、ここはちょっと長いですがハルバースタムの文章を引用します。

 But they did have artillery. They had carried the pieces up and down mountains, through the monsoons, at night - hundreds of peasants, crawling over the mountain trails like ants, carrying one part after another. ... the willingness of peasants to bear great burdens under terrible conditions. And not only they have the artillery pieces, they knew how to use them. They had created extraordinary bunkers, perfectly camouflaged, almost impossible to detect from the air.

(拙訳: だが彼らは砲を持っていたのだ。夜、激しい雨にうたれながら、山々を越えて砲を運んでいった。数百の農民が、蟻のように山道を這いながら、部品を一つ一つ運んでいった。(中略)過酷な条件下であっても多大な負荷を担おうとする農民たちの意志だった。そして彼らは砲を持っていただけでなく、使い方も知っていたのだ。掩蔽壕を巧みに掘り、完全に隠匿していたため、空から発見するのはほとんど不可能だった)

 上のLe Mondeの記事の動画でも、ベトナム兵が山の中で砲を人力で引っ張り上げている様子が映っていますね。それと動画でも、フランス軍は軍事的優勢を確信していたって言われています。


 『HO』はディエン・ビエン・フーのことだけが扱われているのではなく、ホー・チミンが生まれた1890年からその生涯を追っています。自分が持っているペーパーバック版では約120ページしかないので、サクッとホーおじさんのことを知るのにいいかと。ディエン・ビエン・フー70周年なので、ちょっと読み返してみようと思います。


(追記)フランスの国防相が招待されてディエンビエンフーを訪れていますね。ベトナム政府がこの戦いの記念式典にフランスを招待したのは初めてだそうです。

「長年をかけて、フランスとベトナムは虚飾も憎悪もなくこの歴史を直視することを学んだ」とこの仏国防相は述べたようですね。

Invitée par le Vietnam, la France de retour à Diên Biên Phu (lefigaro.fr)

2024年5月5日日曜日

バルト海つながりで、『ハンザ同盟』

  Lyndanise1219の流れで12~13世紀バルト海沿岸の北方十字軍についてちょろちょろ調べたんだけど、そういえばこの時期だったかな、バルト海ってハンザ同盟というのを昔世界史の授業で習った気が…ということを思い出した。たしか北海からバルト海にかけての商業を支配した都市同盟だったはず、ぐらいの記憶しかなくて、改めて入門書を読んでみた。


 この本『Die Hanse』は、ハンザ同盟の黎明期の12世紀半ばから、その終焉の1669年までをカバーしている。ハンザは商業のための同盟なので、武力衝突に関する記述はほとんどないのがウォーゲーマー的には物足りないけど、まあ仕方ない。

 でもデンマーク王国などの領邦やドイツ騎士団といった、武力も領土も持つわかりやすい勢力のほかに、こういった都市同盟がどういうことをしていたのかを知るのは面白い。というか余計に中世のイメージがややこしくなった気もするけど、まあこれも自分の知識不足によるものなんでしょう。

 一応、Handelssperren und Kriege(貿易封鎖と戦争)という小見出しが付いた部分があるんだけど、ハンザ同盟としては戦争に関わる場合はたいていは財政的に支援したそうで、そうでなければ個々の加盟都市が他の都市の支援を受けながら戦争をしたらしい。要は同盟全体で一丸となって軍事力を発揮、ということはなかったようで、ウォーゲームにも登場しずらいっすよね。たいていの場合、敵はデンマークで、まあ北海とバルト海の商業を支配したいハンザ同盟としてはそのど真ん中に位置するデンマークは思いっきり邪魔だったでしょうな。戦争になった場合は通常は海賊行為が展開され、陸上での軍事行動はほとんどなかったそうだ。

 この本ではハンザ同盟は序列のはっきりした組織構造を持つ都市同盟というよりはむしろ、個々の都市の経済的利益を追求するために集まったエゴイストのグループだと述べている。そういや先日紹介した『Crusading and Chronicle Writing on the Medieval Baltic Frontier』だったかな、キリスト教勢力がバルト海東岸に進出するにあたってエストニア人など先住民にヨーロッパの武器を売ることを禁止していたのに、利益第一のドイツ商人が結構売っていた、なんて記述もあったな。これってハンザ同盟のことですかね。

 内容的にはハンザ同盟の形成、組織内容、消滅が説明されていて、ぜんぜん知識のない自分には勉強になりました。でも一番面白かったのは、ハンザ同盟のイメージの利用のされ方。現代のドイツではいいイメージが定着しているし、ソ連崩壊以降、バルト海沿岸諸国と他のヨーロッパの地域との結びつきの強まりはハンザ同盟を想起させているそうだ。それにとどまらず、19世紀末のドイツ帝国期にはドイツの北方での支配の先駆者として、第三帝国期には東方へのドイツ生存権の拡大に、冷戦期には東ドイツでは勃興する資産家階級の封建権力への階級闘争として、一方西側ではヨーロッパ統合の先例とされた……いやもう、こうやって並べるだけで政治的なご都合主義がよくわかる。「歴史とは何か確定したものではなく、歴史家によって『作られる』のだ」(Geschichte nicht etwas Feststehendes ist, sondern vom Historiker <<gemacht>> wird)という言葉が述べられているんだけど、たぶん筆者の自戒の念を込めているんでしょうなあ。そういやこれまた『Crusading and Chronicle Writing on the Medieval Baltic Frontier』でも、リヴォニア年代記がナショナリズムとの関連でいいように利用されてきた歴史が論じられていたな。

 この本、初版は2000年なんだけど、読んだのは第六版で2021年に出たもの。なので結構最近の研究が反映されているはず。筆者のRolf Hammel-Kiesowは、ハンザ同盟の中心都市だったリューベックにある、ハンザ同盟とバルト海の研究センターのForschungsstelle für die Geschichte der Hanse und des Ostseeraumesというところで長年所長を務めていて、ハンザ歴史協会の理事も務めていたので、ハンザ同盟研究の第一人者って考えていいのかな。この第六版が出たのと同じ年に亡くなっているそうです。そういうことを知ると、身を正して読めました。

2024年5月1日水曜日

天からデンマーク国旗が降ってきた Lyndanise 1219(VV118) AAR③

 ●第3ターン

 デンマーク軍の反撃が始まったがエストニア軍としても攻撃の手を緩めるわけにはいかない。上方では先ほどの攻撃で損害を被っていた敵歩兵にとどめを刺し、下方では指揮官やダンネブロのいる強力なユニットは避けて中央の2戦闘力の歩兵を攻撃。たまらず後退するデンマーク軍を追撃する。あと一押しでデンマーク軍の士気は崩壊する。敵の防御態勢を突き崩すのだ。


 デンマーク軍ターンになって、やっとヴァルデマールの位置が判明。3つある指揮官ユニットのうち2つはダミーで、両軍ともどれがヴァルデマールかわからない状態で初期配置をしていたのだが、国王がいたのは下方左。デンマーク歩兵と一緒だった。このゲームのデンマーク軍は、デンマーク部隊のほか、Roskildeのデンマーク兵、Lundのドイツ兵、Schleswigのドイツ兵、Rügenのスラブ兵から構成されている。やっぱり国王はデンマーク本隊と一緒にいたということか。ちなみにRügenはバルト海南西の島だが、12世紀にデンマーク軍の侵攻を受けこのLyndaniseの戦いの少し前にデンマーク王に臣従している。


 なお、指揮官ユニットをエストニア軍が討ち取ったとしても、やはり第3ターンになるまでそれがダミーなのかヴァルデマールなのかわからないことになっている。史実ではデンマーク軍野営地を襲撃したエストニア軍はエストニア司教を殺害したが、デンマーク王だと思っていたそうで、このことを反映したルールとなっているらしい。指揮官ユニットが除去された場合、4戦闘力分の除去となるのでかなり大きいのだが、エストニア軍はせっかく敵指揮官を討ち取ったと思ったらダミーでポイントにはならない、ということもありうるため、両軍ともに第3ターンのデンマーク軍ターンまで気が抜けないようになっている。


 デンマーク軍は前ターンに続き上方で反撃を続ける。消耗していたエストニア歩兵が壊滅。この勢いでさらに敵を蹴散らせ、と3対1で2戦闘力の歩兵を攻撃するものの、逆に撃退されてしまった。そしてマップ下方。先ほどの攻撃で突出してきていたエストニア軍ユニットを包囲、ヴァルデマールが陣頭に立ちダンネブロの効果も得て最大比率である4対1で攻撃、壊滅させた。これでエストニア軍の累積損害は7。エストニア軍は損害が16に達すると負けである。


●第4ターン

 エストニア軍の熾烈な攻撃が続く。マップ上部ではデンマーク軍のルンド騎兵をステップロスさせた。エストニア軍としては敵騎兵が上部に展開した結果生じた隙間に右側面からつけこみたいのだが、すべて歩兵であるため移動力が足りず、下方中央の敵に10戦力を集中して攻撃する。デンマーク軍はダンネブロを掲げ果敢に防御するものの衆寡敵せず後退。その後方にいた歩兵は、ダンネブロが敵の攻撃を撃退してくれないことに衝撃を受け、隊列を乱して退却してしまった。

 このゲームでは味方ユニットのいるヘクスに後退した場合、連鎖退却が起き、連鎖退却となったユニットは士気チェックが課される。今回はダンネブロとスタックしたユニットが後退しその後方の歩兵ユニットが連鎖退却、士気チェックに失敗してステップロスした、という形である。


 デンマーク軍は上方で攻撃を続ける。騎兵の集中攻撃、それに弓兵の支援のもとでのスラブ歩兵の攻撃で2ユニットをステップロスさせ、この方面のエストニア軍をかなり消耗させた。


●第5ターン

 最終ターンである。あと3戦闘力、壊滅させればエストニア軍の勝ちだ。海の向こうから侵略してきて我々の信ずる神々まで奪おうとする敵を打ち破るのだ。デンマーク軍の騎兵2ユニットを包囲、攻撃する。スラブ騎兵は出血しつつも攻撃に耐えたものの、すでに消耗していたルンド騎兵が壊滅してしまった。


 デンマーク軍の累積損害は20になり、士気崩壊閾値に達してしまった。エストニア軍の損害が同軍閾値の16に達しない限り負けてしまう。いや、我々には神のご加護があるのだ。異教徒どもに負けるはずがない!

 デンマーク軍は必死に最後の攻撃を行う。先ほど包囲攻撃を受けたスラブ騎兵が弓兵の支援を得て反撃、敵を壊滅させる。さらにダンネブロを掲げたRoskilde騎兵が突進、敵を蹴散らす。これでエストニア軍の累積損害は14。よし、ここで勝負をつける! ヴァルデマール自らが陣頭に立ち、渾身の一撃をくらわす。だが民族の自由と独立に燃えたエストニア兵が奮起、損害を被りつつも壊滅には至らなかった。

 こうしてデンマーク軍の侵攻は撃退された。だがバルト海の制海権を握り勢力拡大を目指すデンマーク王は再び遠征してることだろう。南部からはリヴォニア帯剣騎士団、後にはドイツ騎士団の攻撃が続きキリスト教化が進められ、Lyndaniseの約20年後には「Nevsky」の時代を迎えるのである。


 ミニゲームだけど最後まで両プレイヤーとも楽しめました。以前も書いたと思うけど、A la Chargeシリーズは中世の会戦を扱いつつ、移動・戦闘のシンプルなターン構成、ZOCあり、戦闘力比での解決と、ウォーゲームの基本的なルールを使っています。なので、中世に興味のあるウォーゲーム未経験者にプレイしてもらって、そこから「ドイツ戦車軍団」とかWWⅡに引きずり込むのに使えるんじゃないかなーと思っています。


マーケット・ガーデン80周年なので読んでみた、『9月に雪なんて降らない』

 1944年9月17日の午後、アルンヘムに駐留していた独国防軍砲兵士官のJoseph Enthammer中尉は晴れわたった空を凝視していた。自分が目にしているものが信じられなかったのだ。 上空には 白い「雪」が漂っているように見えた。「ありえない」とその士官は思った。「9月に雪な...