2024年5月7日火曜日

ディエン・ビエン・フー陥落から70年の日に読む、『HO』

 今年の5月7日はウォーゲーマーだったら誰でも知っているはずの、ディエン・ビエン・フー陥落から70年。……なんてことは全く知らなくて、Le Mondeの記事が目に止まって、おお、そうだったのかと知りました。

 この記事の動画では戦況図がわかりやすく示されていて、動画を眺めているだけでだいたいの流れが分かった気になりました。ベトナム人民軍の指揮官ヴォ―・グエン・ザップが出てきたときには、フランス軍が惨敗を喫した敵指揮官のことをフランス語で「赤いナポレオン」って言ってくんないかなー、って思っていたんですけど、ナポレオンのファン(passionné de Napoléon)って紹介されていましたね。そういやVae Victis33号のディエン・ビエン・フーの戦いも持っていてユニットまで自作したのに、どこか押入れの奥深くに眠っていますわ…。

 この第一次インドシナ戦争でのフランス敗北を決定づけた戦いですけど、ディエン・ビエン・フーで思い出したのが『HO』。え、HOって、水?いやあれはH2O…ってボケをかましたくなるぐらいシンプルなタイトルの本なんですけど、ベトナムの建国の父ホー・チミンのHOなんですね。

 筆者はデイヴィッド・ハルバースタム。ウォーゲーマーだったら彼の『朝鮮戦争』を読んだ人も多いんじゃないですかね。私も年末、蔵書の整理をしていたら本棚の奥底から出てきましたよ。それと、GMTに「Fire in the Lake」ってゲームがあるけど、あのタイトルってハルバースタムの書名から取っているんじゃないのかな。


 ハルバースタムは出世作『ベスト・アンド・ブライテスト』でベトナム戦争におけるアメリカ政府の過ちを描いていますが、彼、若い頃に特派員としてベトナムに派遣されているんですよね。その経験を基に書いた「娘への手紙(A Letter to My Daughter)」っていう小文があって、これまた味わい深いんですわ。以前もどこかで書いたけど、抑えた筆致がじわじわと来ます。それに最後の一文、 I wish in fact that someone had shown me a photo of Vietcong bodies and I had cried.は頭から離れません。


 ……ええっと、何の話してたっけ、そうそう、『HO』。そのタイトルどおり、ホー・チミンの生涯を描いた本なんですけど、なんでディエン・ビエン・フーで作品を思い出すかっていうと、ハルバースタムの知人がこのフランス軍の要塞を訪れたときのエピソードが印象的なんですね。ここは高地に囲まれていて、敵が周囲の高地を占領して砲を設置したらどうするんだって知人がフランス軍将校に聞くんですけど、その答えが、「やつらは砲を持っていない。たとえ持っていたとしても、使い方を知らない」。いやー、そんなふうに敵を見下していたらそりゃ負けるでしょ。というか、列強は植民地で現地の住民を見下しまくっていたんでしょうなあ。

 で実際はというと、ここはちょっと長いですがハルバースタムの文章を引用します。

 But they did have artillery. They had carried the pieces up and down mountains, through the monsoons, at night - hundreds of peasants, crawling over the mountain trails like ants, carrying one part after another. ... the willingness of peasants to bear great burdens under terrible conditions. And not only they have the artillery pieces, they knew how to use them. They had created extraordinary bunkers, perfectly camouflaged, almost impossible to detect from the air.

(拙訳: だが彼らは砲を持っていたのだ。夜、激しい雨にうたれながら、山々を越えて砲を運んでいった。数百の農民が、蟻のように山道を這いながら、部品を一つ一つ運んでいった。(中略)過酷な条件下であっても多大な負荷を担おうとする農民たちの意志だった。そして彼らは砲を持っていただけでなく、使い方も知っていたのだ。掩蔽壕を巧みに掘り、完全に隠匿していたため、空から発見するのはほとんど不可能だった)

 上のLe Mondeの記事の動画でも、ベトナム兵が山の中で砲を人力で引っ張り上げている様子が映っていますね。それと動画でも、フランス軍は軍事的優勢を確信していたって言われています。


 『HO』はディエン・ビエン・フーのことだけが扱われているのではなく、ホー・チミンが生まれた1890年からその生涯を追っています。自分が持っているペーパーバック版では約120ページしかないので、サクッとホーおじさんのことを知るのにいいかと。ディエン・ビエン・フー70周年なので、ちょっと読み返してみようと思います。


(追記)フランスの国防相が招待されてディエンビエンフーを訪れていますね。ベトナム政府がこの戦いの記念式典にフランスを招待したのは初めてだそうです。

「長年をかけて、フランスとベトナムは虚飾も憎悪もなくこの歴史を直視することを学んだ」とこの仏国防相は述べたようですね。

Invitée par le Vietnam, la France de retour à Diên Biên Phu (lefigaro.fr)

2024年5月5日日曜日

バルト海つながりで、『ハンザ同盟』

  Lyndanise1219の流れで12~13世紀バルト海沿岸の北方十字軍についてちょろちょろ調べたんだけど、そういえばこの時期だったかな、バルト海ってハンザ同盟というのを昔世界史の授業で習った気が…ということを思い出した。たしか北海からバルト海にかけての商業を支配した都市同盟だったはず、ぐらいの記憶しかなくて、改めて入門書を読んでみた。


 この本『Die Hanse』は、ハンザ同盟の黎明期の12世紀半ばから、その終焉の1669年までをカバーしている。ハンザは商業のための同盟なので、武力衝突に関する記述はほとんどないのがウォーゲーマー的には物足りないけど、まあ仕方ない。

 でもデンマーク王国などの領邦やドイツ騎士団といった、武力も領土も持つわかりやすい勢力のほかに、こういった都市同盟がどういうことをしていたのかを知るのは面白い。というか余計に中世のイメージがややこしくなった気もするけど、まあこれも自分の知識不足によるものなんでしょう。

 一応、Handelssperren und Kriege(貿易封鎖と戦争)という小見出しが付いた部分があるんだけど、ハンザ同盟としては戦争に関わる場合はたいていは財政的に支援したそうで、そうでなければ個々の加盟都市が他の都市の支援を受けながら戦争をしたらしい。要は同盟全体で一丸となって軍事力を発揮、ということはなかったようで、ウォーゲームにも登場しずらいっすよね。たいていの場合、敵はデンマークで、まあ北海とバルト海の商業を支配したいハンザ同盟としてはそのど真ん中に位置するデンマークは思いっきり邪魔だったでしょうな。戦争になった場合は通常は海賊行為が展開され、陸上での軍事行動はほとんどなかったそうだ。

 この本ではハンザ同盟は序列のはっきりした組織構造を持つ都市同盟というよりはむしろ、個々の都市の経済的利益を追求するために集まったエゴイストのグループだと述べている。そういや先日紹介した『Crusading and Chronicle Writing on the Medieval Baltic Frontier』だったかな、キリスト教勢力がバルト海東岸に進出するにあたってエストニア人など先住民にヨーロッパの武器を売ることを禁止していたのに、利益第一のドイツ商人が結構売っていた、なんて記述もあったな。これってハンザ同盟のことですかね。

 内容的にはハンザ同盟の形成、組織内容、消滅が説明されていて、ぜんぜん知識のない自分には勉強になりました。でも一番面白かったのは、ハンザ同盟のイメージの利用のされ方。現代のドイツではいいイメージが定着しているし、ソ連崩壊以降、バルト海沿岸諸国と他のヨーロッパの地域との結びつきの強まりはハンザ同盟を想起させているそうだ。それにとどまらず、19世紀末のドイツ帝国期にはドイツの北方での支配の先駆者として、第三帝国期には東方へのドイツ生存権の拡大に、冷戦期には東ドイツでは勃興する資産家階級の封建権力への階級闘争として、一方西側ではヨーロッパ統合の先例とされた……いやもう、こうやって並べるだけで政治的なご都合主義がよくわかる。「歴史とは何か確定したものではなく、歴史家によって『作られる』のだ」(Geschichte nicht etwas Feststehendes ist, sondern vom Historiker <<gemacht>> wird)という言葉が述べられているんだけど、たぶん筆者の自戒の念を込めているんでしょうなあ。そういやこれまた『Crusading and Chronicle Writing on the Medieval Baltic Frontier』でも、リヴォニア年代記がナショナリズムとの関連でいいように利用されてきた歴史が論じられていたな。

 この本、初版は2000年なんだけど、読んだのは第六版で2021年に出たもの。なので結構最近の研究が反映されているはず。筆者のRolf Hammel-Kiesowは、ハンザ同盟の中心都市だったリューベックにある、ハンザ同盟とバルト海の研究センターのForschungsstelle für die Geschichte der Hanse und des Ostseeraumesというところで長年所長を務めていて、ハンザ歴史協会の理事も務めていたので、ハンザ同盟研究の第一人者って考えていいのかな。この第六版が出たのと同じ年に亡くなっているそうです。そういうことを知ると、身を正して読めました。

2024年5月1日水曜日

天からデンマーク国旗が降ってきた Lyndanise 1219(VV118) AAR③

 ●第3ターン

 デンマーク軍の反撃が始まったがエストニア軍としても攻撃の手を緩めるわけにはいかない。上方では先ほどの攻撃で損害を被っていた敵歩兵にとどめを刺し、下方では指揮官やダンネブロのいる強力なユニットは避けて中央の2戦闘力の歩兵を攻撃。たまらず後退するデンマーク軍を追撃する。あと一押しでデンマーク軍の士気は崩壊する。敵の防御態勢を突き崩すのだ。


 デンマーク軍ターンになって、やっとヴァルデマールの位置が判明。3つある指揮官ユニットのうち2つはダミーで、両軍ともどれがヴァルデマールかわからない状態で初期配置をしていたのだが、国王がいたのは下方左。デンマーク歩兵と一緒だった。このゲームのデンマーク軍は、デンマーク部隊のほか、Roskildeのデンマーク兵、Lundのドイツ兵、Schleswigのドイツ兵、Rügenのスラブ兵から構成されている。やっぱり国王はデンマーク本隊と一緒にいたということか。ちなみにRügenはバルト海南西の島だが、12世紀にデンマーク軍の侵攻を受けこのLyndaniseの戦いの少し前にデンマーク王に臣従している。


 なお、指揮官ユニットをエストニア軍が討ち取ったとしても、やはり第3ターンになるまでそれがダミーなのかヴァルデマールなのかわからないことになっている。史実ではデンマーク軍野営地を襲撃したエストニア軍はエストニア司教を殺害したが、デンマーク王だと思っていたそうで、このことを反映したルールとなっているらしい。指揮官ユニットが除去された場合、4戦闘力分の除去となるのでかなり大きいのだが、エストニア軍はせっかく敵指揮官を討ち取ったと思ったらダミーでポイントにはならない、ということもありうるため、両軍ともに第3ターンのデンマーク軍ターンまで気が抜けないようになっている。


 デンマーク軍は前ターンに続き上方で反撃を続ける。消耗していたエストニア歩兵が壊滅。この勢いでさらに敵を蹴散らせ、と3対1で2戦闘力の歩兵を攻撃するものの、逆に撃退されてしまった。そしてマップ下方。先ほどの攻撃で突出してきていたエストニア軍ユニットを包囲、ヴァルデマールが陣頭に立ちダンネブロの効果も得て最大比率である4対1で攻撃、壊滅させた。これでエストニア軍の累積損害は7。エストニア軍は損害が16に達すると負けである。


●第4ターン

 エストニア軍の熾烈な攻撃が続く。マップ上部ではデンマーク軍のルンド騎兵をステップロスさせた。エストニア軍としては敵騎兵が上部に展開した結果生じた隙間に右側面からつけこみたいのだが、すべて歩兵であるため移動力が足りず、下方中央の敵に10戦力を集中して攻撃する。デンマーク軍はダンネブロを掲げ果敢に防御するものの衆寡敵せず後退。その後方にいた歩兵は、ダンネブロが敵の攻撃を撃退してくれないことに衝撃を受け、隊列を乱して退却してしまった。

 このゲームでは味方ユニットのいるヘクスに後退した場合、連鎖退却が起き、連鎖退却となったユニットは士気チェックが課される。今回はダンネブロとスタックしたユニットが後退しその後方の歩兵ユニットが連鎖退却、士気チェックに失敗してステップロスした、という形である。


 デンマーク軍は上方で攻撃を続ける。騎兵の集中攻撃、それに弓兵の支援のもとでのスラブ歩兵の攻撃で2ユニットをステップロスさせ、この方面のエストニア軍をかなり消耗させた。


●第5ターン

 最終ターンである。あと3戦闘力、壊滅させればエストニア軍の勝ちだ。海の向こうから侵略してきて我々の信ずる神々まで奪おうとする敵を打ち破るのだ。デンマーク軍の騎兵2ユニットを包囲、攻撃する。スラブ騎兵は出血しつつも攻撃に耐えたものの、すでに消耗していたルンド騎兵が壊滅してしまった。


 デンマーク軍の累積損害は20になり、士気崩壊閾値に達してしまった。エストニア軍の損害が同軍閾値の16に達しない限り負けてしまう。いや、我々には神のご加護があるのだ。異教徒どもに負けるはずがない!

 デンマーク軍は必死に最後の攻撃を行う。先ほど包囲攻撃を受けたスラブ騎兵が弓兵の支援を得て反撃、敵を壊滅させる。さらにダンネブロを掲げたRoskilde騎兵が突進、敵を蹴散らす。これでエストニア軍の累積損害は14。よし、ここで勝負をつける! ヴァルデマール自らが陣頭に立ち、渾身の一撃をくらわす。だが民族の自由と独立に燃えたエストニア兵が奮起、損害を被りつつも壊滅には至らなかった。

 こうしてデンマーク軍の侵攻は撃退された。だがバルト海の制海権を握り勢力拡大を目指すデンマーク王は再び遠征してることだろう。南部からはリヴォニア帯剣騎士団、後にはドイツ騎士団の攻撃が続きキリスト教化が進められ、Lyndaniseの約20年後には「Nevsky」の時代を迎えるのである。


 ミニゲームだけど最後まで両プレイヤーとも楽しめました。以前も書いたと思うけど、A la Chargeシリーズは中世の会戦を扱いつつ、移動・戦闘のシンプルなターン構成、ZOCあり、戦闘力比での解決と、ウォーゲームの基本的なルールを使っています。なので、中世に興味のあるウォーゲーム未経験者にプレイしてもらって、そこから「ドイツ戦車軍団」とかWWⅡに引きずり込むのに使えるんじゃないかなーと思っています。


2024年4月28日日曜日

(幕間)北方十字軍関連の書籍

  13世紀のバルト海沿岸って言ったらウォーゲームでもマイナーで、ある程度知られているのは1242年の氷上の戦いぐらいじゃないかなと。ソ連のエイゼンシュテインが映画にしているし、凍った湖の上での戦いっていうのもキャッチ―だし。あとこの時期のこの地域で知名度があると言ったらドイツ騎士団(チュートン騎士団)ぐらいですかね。13世紀は、中東にむかった十字軍の影響を受けて前世紀に始まった、いわゆる北方十字軍がバルト海東岸に進出していった時期。12世紀にキリスト教勢力がバルト海南岸を征服し、今のリトアニアやエスニアにも手を伸ばしてくるのである ― という、いわばLevy&Campaignシリーズ「Nevsky」(GMT)の前日譚にあたる時期なんだけど、マイナーですよね…。


 でも北方十字軍に関しては日本語で『北の十字軍』がある。これ一冊読めばだいたいOK、と素人の自分は思ってしまうんだけれども、他にも何かないかなと探してみたら、以前紹介した『十字軍全史』にも北方十字軍についてちょろっと述べられていた。それよりなにより、「Nevsky」のPlaybookに参考文献として挙げられた『The Northern Crusades』っていうのがあった。タイトルどおり一冊丸ごと北方十字軍なんだけれども、The Conquest of the East Baltic Lands, 1200-1292という章があって、デンマークのエストニア進出に関しては数ページを使って解説しているし、その前段階のバルト海南岸のデンマークの進出も別の章で叙述してある。

 それと、『Crusading and Chronicle Writing on the Medieval Baltic Frontier』収録の2章“Bigger and Better: Arms Race and Change in War Technology in the Baltic in the Early Thirteenth Century”と“Mechanical Artillery and Warfare in the Chronicle of Henry”が同じく「Nevsky」の参考文献に入っていたんだけど、タイトルからわかるようにウォーゲーマー向きの内容。この本はリヴォニア年代記についてのいろんな論文を集めたものなんだけど、個人的にはナショナリズムとこの年代記との関わりを論じた最後の章が面白かったな。それと、リヴォニア年代記は12世紀後半から13世紀前半にかけてのエストニアとラトヴィアのことが描かれているんだけど、筆者は実際に北方十字軍に参加した宣教師と考えられている。でもこの年代記が本格的に研究されるようになったのはこの数十年だそうで、考古学的発見も併せて新しいことがこれからわかるかも、という状況らしい。なんか楽しみ。


 ゲーム「Lyndanise 1219」が収録されているVaeVictis118号には北方十字軍に関して12世紀後半から13世紀前半にかけてのヒストリカルノートが8ページで載っている。もともとこの号のメインの付録ゲームは帯剣騎士団のエストニア進出を扱った「De Sang et de Tourbe」(血と泥)で、1ターン1年で1208年から1225年までカバーする戦略級ゲームである。そのためヒストリカルノートも長い期間をカバーしているのだけれども、Lyndaniseの戦いのコラムもある。ちなみにLyndaniseはLyndanisseとs二つにする表記もあるようだけれども、ゲームはsひとつでコラムは二つ。どっちかに統一してほしい。まあ、別のコラムではバルト諸国の歴史に関しては地名が問題、なんてことが書かれていて、エストニア語やラトヴィア語のほかにドイツ語やラテン語でも表記されるからややこしいらしい。

 このLyndaniseの戦いのコラムではダンネブロについての伝説ももちろん紹介してある。

デンマーク軍が苦戦する中、ルンド大司教が両手を天に向かって掲げ祈り始めた。するとすぐに、デンマーク軍は敵の攻撃を跳ね返した。だが両手を下ろした途端、敵が勢いを回復してしまう。そうしている間に疲れ切った大司教は、もう両手を掲げて祈ることはできなくなった。エストニア軍はここぞとばかりに攻め立て守るデンマーク軍を圧倒し始める。だがそのとき、神のご加護によって、白い十字が描かれた赤い旗が空から降ってきた。この奇蹟に鼓舞されたデンマークの兵たちは敵を打ち破ったのだった。

 そりゃずっと両手を上げていたら疲れるよね、ライブやフェスじゃあるまいし……って、そこじゃない。苦境に陥ったデンマーク軍に、十字架が描かれた旗が空から降ってきて勝利するなんて、キリスト教のプロパガンダじゃねえか。たしかコンスタンティヌス帝でもそんな感じのエピソードあったよな…と思っていたら、このコラムでもちゃんと指摘してありましたよ。

 でもまあ、こうやって歴史的背景や伝説を知るとゲームもより一層楽しめるんじゃないかな。Levy&Campaignシリーズは定評があるから、参考文献を読んでぜひ「Nevsky」を……って、違った、今回はLyndanisseの戦いのAARの幕間だった。面白いミニゲームなので上記関連書籍もおススメです。

2024年4月24日水曜日

天からデンマーク国旗が降ってきた Lyndanise 1219(VV118) AAR②

 ●第1ターン(続き)

 エストニア軍の奇襲で大きな損害を受けたデンマーク軍だが、ダンネブロをゲット。このマーカーは、同じヘクスおよび隣接へクスのユニットの戦闘力と士気に1プラスする。このゲームではスタック禁止で多くのユニットが戦闘力2か3なので、+1となるのは大きい。


 奇襲効果で1ステップロスで配置されたデンマーク軍だが、自軍開始時に敵と隣接している場合は自動的に正常状態に戻る。それ以外のユニットは自軍ターン開始時にサイコロを振り、第1ターンは3分の1の確率で混乱から回復する。第2ターンは3分の2の確率、そして第3ターンはすべて回復するため、デンマーク軍にとっては最初は損害を抑えつつ時間を稼ぐのが重要となる。逆にエストニア軍としては敵が奇襲効果が続いているうちになるべく多くの敵を壊滅させる必要がある。


 このターンでは騎兵を中心としてデンマーク軍の一部が混乱から回復した。 エストニア軍の強力な部隊はマップ右下方面にいるので、デンマーク軍は左方に部隊を後退させる。まだ混乱しているユニットが回復するまで時間を稼ぐのだ。その一方で、ダンネブロを得て戦力が向上している騎兵部隊が敵歩兵に反撃、損害を与える。さらに先ほどの攻撃失敗でステップロスしていた敵を、デンマーク軍指揮官が壊滅させた。

 このゲーム「Lyndanise 1219」が属する「A la Charge!」シリーズでは、低比率でも防御側士気チェック(DT)を含め攻撃側が有利な戦闘結果が出る確率が高い。戦闘力=士気なので、戦闘力の低いユニットはすぐにチェックに失敗して損害を被ってしまう。逆に戦闘力が高いユニットや指揮官とスタックしているユニットは士気チェックに成功する可能性が高く、DTの結果を被っても無傷でいられる。そのため、敵の強力なユニットに対して戦力をかき集めて高比率で攻撃するよりも、低比率で戦闘力1や2のユニットを狙い撃ちにして攻撃し敵にじわじわと出血を強いる、という戦い方も有効である。


 ちなみに、このターンにデンマーク軍が撤退したマップ右下に展開する強力なエストニア軍だが、Revalaの部隊。このゲームのエストニア軍のユニットにはエストニアの旧地方名が書かれて、Revalaと言ったらこの戦いのあったLyndanise、今のタリンを含む地方だ。地元なだけに多くの兵を集められたということか。なおタリンはドイツ語では、地方名のRevalaからRevalと呼ばれていた。タリンはエストニア語で「デーン人の城」という意味だったらしく、ヴァルデマールが築いた城に由来する。


●第2ターン

 後退していくデンマーク軍をエストニア軍が猛追する。マップ上方で先ほど混乱から回復したばかりの敵歩兵を3対1の集中攻撃で壊滅させた。マップ下方では、ダンネブロを得たもののまだ混乱状態から回復していない騎兵を攻撃、後退させる。さらに戦闘力4と3の強力なユニットの攻撃で敵歩兵に損害を与えた。


 第1ターンから大きな損害を被っているデンマーク軍の累積損害は15。20に達したら負けである。だがこのターン、混乱状態で残っていたユニットがすべて回復した。敵の包囲網が縮まり行動の自由が奪われてしまう前に反撃すべし。マップ下方の敵は比較的強力だが、上方はほとんどが戦力2のユニットだ。狙うならそれらの弱小ユニット。下方の守りを指揮官とダンネブロに任せればいい。ダンネブロとスタックした騎兵ユニットには指揮官もいて、合計5戦闘力になるため下方からの敵を食い止める支柱になるだろう。デンマーク軍は騎兵を中心にして上方の敵に反撃を開始。敵1ユニットに損害を与えたものの、こちらも歩兵がステップロスと痛み分けに終わった。


つづく


2024年4月20日土曜日

天からデンマーク国旗が降ってきた Lyndanise 1219(VV118) AAR①

  先日、「デンマーク侵攻のゲームはあるかな?」ってつぶやきを見て、そういや4月9日はドイツ軍がデンマークに侵攻した日だったなと思い出した。

デンマークは一日も持たずあっさり降伏したのでそりゃゲームにはなりづらい。まあ、ASLのシナリオではデンマーク戦があるらしいし、「Noruega 1940」というノルウェー侵攻を扱ったゲームのシナリオとして、ALEA38号にデンマーク侵攻の仮想戦が載っているけど。

 ぶっちゃけWW2ではデンマークってしょぼいというか、思いっきり弱小国の印象だけど、でもね、昔っからそんな感じだったわけじゃないんですよ。かつては北欧の強国で、トルフィンの時代に西はイングランドを征服しているし、東はバルト海に勢力を広げている。クヌートのイングランドの戦いは以前プレイしたことがあるので、今回はバルト海方面での戦いをやってみた。


 プレイしたのは1219年に今のエストニアの首都タリンにあたる場所で起こった戦い。11世紀末に始まった十字軍の影響でバルト海沿岸もキリスト教勢力による征服が進んだ。12世紀末ごろには今のリトアニア、そしてエストニアもキリスト教化の対象となる。だが先住民である異教徒の執拗な抵抗にあい、デンマーク王ヴァルデマールII世に援軍を派遣するよう要請が来る。1219年、ヴァルデマールII世は大艦隊を率いて現在のタリン付近Lyndaniseに上陸した。強力なデンマーク軍にエストニア人は抵抗するべくもなく降伏を申し出る。だが、そうして油断させておいたところにエストニア人は奇襲をしかけた、という戦い。

 ゲームは「Lyndanise1219」といってVaeVictis118号の付録で、前回AARを書いた「Basileus II」と同じく中世の会戦を簡単なルールでシミュレートしたA la Charge!シリーズである。

 デンマーク軍をエストニア軍が挟撃する形になるのだが、奇襲効果でデンマーク軍は最初はステップロスの状態となっており、時間がたつにつれ回復していく。またデンマーク軍の指揮官は3ユニットあるが、そのうち1ユニットだけが本物のヴァルデマールII世でほかの2つはダミー。どれが本物かはエストニア軍にはもちろん、奇襲による混乱を反映してデンマーク軍にもゲーム中盤になるまでわからない。

 このLyndaniseの戦いでは、デンマーク軍は油断しきっていたところにエストニア軍の攻撃を受けて苦戦に陥る。危うしデンマーク軍! そのとき、天から白い十字架が描かれた赤い旗が降ってきた。おお、これこそ神のご加護が我らにあることの印! デンマークの兵たちはこの奇蹟に奮起、エストニア軍を打ち破った。そしてこの時現れた旗がのちのデンマーク国旗ダンネブロになったのである……という伝説があったりする。このゲームでも、デンマーク軍の壊滅したユニット戦闘力合計が12になるとダンネブロが現れることになっている。

 このゲーム、以前MAでAARを書いたことあるけど、ルールはシンプルでコマ数が少なく5ターンなのでサクッと終る。そのわりには上記のようにいくつか仕掛けがあるので飽きがこず、個人的には気に入っている。


●第1ターン

 エストニア軍が東西(マップ下と上)から奇襲をしかけた。混乱状態のデンマーク軍は次々と壊滅していく。唯一、マップ下方では攻撃側にも出血を強いたものの、その隣の精鋭騎兵が士気チェックを強いられ失敗、兵は恐慌状態となり戦場から逃げ出した。この騎兵ユニットは正常状態だと戦闘力4とデンマーク軍最強なので、初っ端から壊滅してしまうのは非常に痛い。

 だがその時、おお、天からダンネブロが降ってきた。神のご加護を信じて戦うのだ!


つづく

2024年4月17日水曜日

ビザンツ帝国軍vs歴戦の傭兵部隊。フランク重騎兵は裏切るのか、ヴァリャーギ親衛隊は敵の猛攻をしのげるのか Pont de Zompos 1074 - Basileus II(VV162) AAR③

 ●第5ターン(続き)

 ついに強力なフランク重騎兵が敵に寝返ってしまい、ラテン軍の攻撃で壊滅する部隊が出てきたビザンツ軍だが、必死に反撃。先ほどフランク騎兵の攻撃をしのいだマップ左端の騎兵が逆に敵の歩兵を壊滅させる。そして弓兵と弓騎兵をかき集め、突出してきているラテン軍騎兵に集中射撃、4戦闘力の敵精鋭騎兵をステップロスさせた。


●第6ターン

 指揮官のルーセル・ド・バイユールが陣頭に立ち、中央部で激しく攻め立てる。マップ左方ではヴァリャーギ親衛隊が意地を見せラテン軍騎兵2ユニットの攻撃を撃退したものの、これまでの激戦で消耗していたビザンツの歩兵が次々と壊滅していった。これでビザンツ軍の累積損害は一気に15に上り、ラテン軍の損害を上回ってしまった。


 そして迎えたビザンツ軍ターン。これまで静観していたビザンツ軍右翼だったが、友軍の苦戦を見かねてついに動いた。前進して敵の左翼(マップ右方)を抑えにかかる。


 このビザンツ軍右翼を率いるニケフォロス・ボタネイアテスは戦闘経験豊富で、戦いの前に指揮官のドゥ―カスに対して慎重に行動するように進言したが、ドゥ―カスは聞かずにZompos橋を渡って敵に攻撃をしかけたらしい。ちなみにこの戦いの4年後に皇帝となるが、1081年にアンナ様のお父様によって帝位を奪われている。


 やっと動いたニケフォロスの部隊に戦場の右方はまかせ、指揮官のドゥ―カスが中央に転進してルーセルに突撃。傭兵の分際でビザンツ帝国に反旗を翻すやつは生かしておけん! ヴァリャーギ親衛隊の支援も受けて、ルーセル直属のラテン精鋭騎兵に損害を与える。さらにはマップ左方で敵騎兵を壊滅、ラテン軍の累積損害は14とビザンツのそれに迫った。


 この戦いのビザンツ軍の指揮官ヨハネス・ドゥ―カスは名門ドゥ―カス家の一員で、当時の皇帝ミカエル7世の叔父。だがこの戦いで敗北しルーセル・ド・バイユールの捕虜となった。その後ルーセルがコンスタンティノープルの皇帝ミカエル7世の政権を転覆させるためにこのヨハネス・ドゥ―カスを皇帝に擁立、ヨハネス・ドゥ―カスは甥である皇帝に反旗を翻すことになる。だがビザンツと手を組んだセルジューク・トルコによって捕えられるという人生を送っている。


●第7ターン

 戦場の中央と左方で激戦が続き、両軍とも消耗が激しい。ラテン軍はいまだ無傷でいるマップ右方の騎兵2ユニットを中央にシフトさせようとするも、猪突猛進のチェックに失敗、全く意のままに動かない。この激戦でラテン軍騎兵は興奮しているのか、さきほど前進してきた、目の前のビザンツ軍右翼にむかってしまった。

 マップ左方ではビザンツ騎兵を包囲、寝返ったフランク騎兵が攻撃するもAR。やはり裏切者に対してはビザンツの兵たちも通常以上の力が出るのか。しかし、これまで攻守ともにビザンツ軍を支えてきた精鋭のヴャリャーギ親衛隊が、ルーセル・ド・バイユールの攻撃でついに壊滅した。


 これでビザンツ軍の累積損害は19となった。20に届いたら負けである。自軍が崩壊する前に敵を打ち破らなくては。指揮官のドゥ―カスが猛攻、敵騎兵をステップロスさせる。自軍指揮官の奮戦に士気が上がったか、マップ左方でこれまで何度も敵の攻撃をはねえしてきたビザンツ騎兵がラテン軍歩兵を蹴散らす。そして弓兵と弓騎兵の集中射撃でラテン軍の弓兵が壊滅。ラテン軍の累積損害が17に上る。ラテン軍は累積損害が18になったら負けなので、ビザンツ軍同様に後がなくなってしまった。


●第8ターン

 両軍ともに、あと1ユニット敵を壊滅すれば勝ちである。ラテン軍は各所で必死に攻撃して敵に損害に与えるものの、除去には至らず。逆にビザンツ軍は、指揮官のドゥ―カスが陣頭に立って敵騎兵を包囲、殲滅した。これでラテン軍は累積損害が18を超えてしまい、敗北となった。


 傭兵の反乱は抑えられ、ビザンツ帝国は一息つけることになる。だが一筋縄ではいかないルーセル・ド・バイユールはこの戦いに敗北しても性懲りもなく帝国に反旗を翻すことが予想される。実際、史実ではルーセルはこの勝利するもののその後アンナ様のお父様に捕らえられ、釈放されて反乱鎮圧に派遣されるもののもまた反乱に加わっている。こんなノルマン傭兵を使わざるを得ないビザンツ帝国の苦悩がうかがえますな。しかもZomposの約20年後にはセルジューク・トルコに対抗するため西欧から蛮族を呼び寄せたと思ったら、宗教的熱狂に包まれた騎士たちが大挙してやってきちゃったという。よくまあビザンツは千年続いたもんだとまたも思ってしまいます。


 この「Basileus II」、ルールはもちろんヒストリカルノートも和訳しているんで、ご興味持たれた方はぜひプレイしてみてください。


ディエン・ビエン・フー陥落から70年の日に読む、『HO』

 今年の5月7日はウォーゲーマーだったら誰でも知っているはずの、ディエン・ビエン・フー陥落から70年。……なんてことは全く知らなくて、Le Mondeの記事が目に止まって、おお、そうだったのかと知りました。 Dien Bien Phu, la bataille expliqué...