2026年10月15日木曜日

ライプツィヒの戦いについて手軽にまとまった本を読むならー『ライプツィヒにおける諸国民の戦い』

  1813年10月18日の朝5時ごろ、アウグスト・フォン・グナイゼナウは妻に手紙をしたためていた。

 「世界の歴史の中でこれまでほとんど起こらなかったような戦いをむかえる朝に、これを書いている。我々はフランス皇帝を完全に包囲した。この戦いはヨーロッパの運命を決定づけるだろう」


 ぐはー、グナイゼナウ盛り上げてくれるわー。10月中旬といえばナポレオニック的にはライプツィヒの戦い。たしか高校の世界史の教科書にも載っているぐらいメジャーで、この戦い初日にあたるWachauは面白かったなー。

1813年、ライプツィヒ。ナポレオン最後のチャンス Wachau1813 (VV182) AAR part1


 でもね、両軍合わせて50万をこえる軍勢が数日にわたって繰り広げたこの戦いの全体像についてはよく知らなくて、以前読んだ『Russia against Napoleon』にはThe last two days of the battle of Leipzig – 18 and 19 October – were in one sense an anticlimax.なんて書かれているもんだから、まあいいかって思っていたんですけどね。Wachauの戦いが付いていたVaeVictisのヒストリカルノートも読んだはずなのに、ライプツィヒの戦いどころか1813年のドイツ戦役においてこの戦いまでの流れもよくわかっていないってことに改めて気が付いて、手軽に一冊まとまっているものがないかなーと探してみたらありましたよ。タイトルもそのまんまずばりの『Die Völkerschlacht bei Leipzig』。いつもお世話になっているC.H.BeckのWissenで、日本の新書ぐらいの分量でまとまっているんで読みやすいんですよね。このブログ冒頭のグナイゼナウの手紙のシーンからこの本は始まって、最後まで興味が途切れずに読めましたよ。


 この本はライプツィヒの戦いそのものだけでなく、当時のヨーロッパの政治状況なども概括してくれていて、この時代をよく知らない自分には助かりました。1812年のロシア遠征からライプツィヒの戦いに至るまでの戦況も20数ページでまとめてくれていて、今までばらばらだった知識がつながる感覚がありましたよ。でもナポレオンがカイザーってのは、自分いつまでたっても慣れないな…。

 1813年戦役に関してはオーストリアとプロイセンの温度差が面白くて、

Zwar beschwor Metternich Anfang 1809, vor dem Feldzug, die Möglichkeit eines nationalen Krieges für alle Deutschen und alle Stände – doch im Kern verfolgte Wien ganz eigennützige Ziele und blieb unter der Führung Metternichs letztendlich bei einer Politik des Bewahrens und der Opportunität.

とか、

Kaiser Franz I. .... verlangte ganz im Sinne der eigenen, österreichischen Interessen, dass eine starke österreichische Armee in Böhmen die habsburgischen Kernlande gegen einen möglichen Vormarsch Napoleons schützen sollte. 

とか、オーストリア側は自国の安泰を最優先していることが結構描かれています。

 一方プロイセン側はやる気十分で、例えば9月上旬に連合軍がフランス軍追撃を停止して主力のシュワルツェンベルグも様子見に入ったとき、Bei den preußischen Reformern und Patrioten keimte neues Misstrauen, schienen doch die dynastischen Interessen der Habsburger wichtiger zu sein als die gemeinsamen Kriegsziele.だそうです。クラウゼヴィッツなんかはWenn man jetzt nichts tun kann, wann meint man denn etwas zu tun?って嘆き、グナイゼナウもクラウゼヴィッツ宛の手紙でBei der großen Armee nämlich entwirft man stets neue Pläne und kommt nie zur Ausführung, und nach zwei Siegen treibt sich der Kronprinz von Schweden zwischen der Nuthe und der Elbe herum. Wir also sollen die Szene eröffnen und die Hauptrolle übernehmen, da die anderen es nicht wollen.なんて書いているそうです。あいつらにやる気がないんだったらうちらでやるしかないって感じだったんですかね。

 あと、ナポレオンのカリスマは敗勢が濃くなっても健在で、あるフランス兵士の手記によると、飢えて消耗しきり士気が最低となっている兵士たちが、ナポレオンを見ると電撃に打たれたかのように「Vive l'Empereur!」と叫んでまっしぐらに銃火の中に突っ込んでいったそうです。その直後にはVerbündeten, deren Herrscher sich nur auf dem «Monarchenhügel» in sicherer Entfernung vom Schlachtfeld aufhieltenなんて書かれていているんですけどね。

 デルブリュックのライヘンバッハプランに関する以下の指摘も面白かったです。ちょっと長いけど自分的には興味を引かれたので引用しますが、そうだったの?

Der Militärhistoriker Delbrück hat schon darauf hingewiesen, dass mit diesem Reichenbacher Operationsplan die Alliierten sich noch ganz im «Banne der militärischen Anschauungen des 18. Jahrhunderts befanden» und «im Gefühl der gewaltigen strategischen Überlegenheit Napoleons» den Gedanken einer raschen und mit allen Kräften herbeigeführten Entscheidung ablehnten. Indem sie sich auf eine Kriegführung beschränkten, so Delbrück weiter, die ganz im Sinne der klassischen Ermattungsstrategie mit «dilatorischen, kleinen Mitteln» auf Bedrohungen der Flanken und Operationen im Rücken des Gegners und auf Angriffe einzelner Korps beschränkt blieben, hätten sie trotz ihrer zahlenmäßigen Überlegenheit, die entschlossenes und rasches Vorgehen möglich gemacht hätte, unter Beweis gestellt, wie wenig sie von den «großen Lehren der napoleonischen Feldzüge» begriffen hatten.

 あと、ライプツィヒの戦いの軍事的意義は限定的っていう指摘も意外でした。1812年のモスクワから続く退却と防衛線の一環であって、フランスではあんまり注意されておらず、フランスではナポレオンの没落はライプツィヒではなくワーテルローと結びついているとか。

 ベートーヴェンがWellingtons Siegなんて曲を作っていたってのも知りませんでした。この曲はウィーンで熱狂的に受け入れられベートーヴェンは時代の精神をつかんだって書いてあるんですけど、wiewohl künstlerisch gewiss keine Sternstunde und musikalisch eher nervtötendっていうのには笑いました。ウェリントンがこの曲を聴いたのかどうか知りませんが、聴いていたらどんな感想を持ったんですかね。

 この本は市民の被った被害についても詳述されていました。夫の遺骸を探すため、男性のふりをして兵士になった女性もいたそうです。当然ながらナショナリズムに関係する話も多く出てきていて、BefreiungskriegeとFreiheitskriegeの違いも書かれていたんですけど日本語だとどう訳されているんですかね。あと、戦いの後から現代にいたるまで、どのように集団の記憶としてある意味利用されていったのかも結構書かれていました。

 まあ、一冊まとまったものを読めてなんかライプツィヒの戦いについてわかったような気になれました。どこか新書で訳を出してくれないかなー。



2026年10月8日木曜日

『ナポレオンの騎兵とその指揮官たち』

  いつものことなんですが本って自分でなかなか選べずにほかの人が勧めているのを読むのが多いんですけどね、先日こういうポストを目にしまして。

値段もページ数も手ごろだったので買ってみました。

 『Napoleon's Cavalry and its Leaders』っていうタイトルどおりナポレオンの騎兵とその指揮官たちについて書かれているんですけどね、結構エピソード的なことが多い印象。エジプト遠征中に指揮官同士で決闘はじめちゃってナポレオンが激怒したこととか。そりゃナポレオンもキレるでしょう。基本的には時系列に沿って書かれていて、アウステルリッツやアスペリン・エスリンク、ボロディノなど有名な会戦での騎兵の奮闘も描かれています。

 ちょうど『La révolution militaire napoléonienne』第三巻の騎兵の章を読んでいたところで、こっちの本は騎兵の編成とか、偵察やら追撃やら騎兵の運用について述べられているんだけど、エピソード中心の『Napoleon's Cavalry and its Leaders』と対照的というか相互補完的になってよかったです。まあ『La revolution ...』のほうも、第三巻に限らずこのシリーズはちょいちょい将兵の手記を引用していてエピソード的なものが結構載っているんですけどね。ナポレオンが大きな地図の上で腹ばいになるようにして見ていて、同じように見ていた幕僚とごつんと頭をぶつけたとか、漫画にしたらいいんじゃないかっていうことも書かれていたし。

 それはさておき『Napoleon's Cavalry and its Leaders』はベシエールなど騎兵指揮官のエピソードが盛りだくさんで、どういう人物か具体的に想像できる気分になりましたよ。ベシエールとミュラは同郷で、They often talked together in the Cahorsin patois, which to their colleagues sounded almost as incomprehensible as Arabic.とか。まあミュラはあんまりいい感じには書かれていない印象でした。The son of an inn keeper, Murat was arrogant and unprincipled, a boaster and a womanizer.とか。あと、Grouchy belonged to one of France 's oldest families, and had never had any particular affection for Napoleon.って書かれてたけど、そうなんですかね。騎兵指揮官じゃないけど、Davout, who possessed the worst eyesight in the French army.ってあって意外でした。

 ケレルマンなんか一章が割かれていていて、マレンゴからワーテルローまで活躍してたことが描写されているんですけど、そんな優秀で戦闘経験が豊富な騎兵指揮官だとは知りませんでしたよ。Wachau1813でケレルマンのユニットがあって使ったはずなんだけどなあ。レーティングは悪くないとしか思わなかった気が。でも次プレイするときはもっと感情移入して動かすと思います。


 指揮官だけでなく騎兵全般についても触れられていて、1813年の仏軍騎兵の状況は、知っていたけどやっぱりね、厳しいものがあったんすね…。

 all that the cavalry conscripts of 1813 knew about their trade was whatever they had been able to pick up during the ride from the regimental depots to the frontiers. Some of them, however, had served an even shorter apprenticeship; having marched into Germany on foot, they only met their horses on the eve of going into action.

 The cuirassier recruits complained bitterly about the weight of their helmets, swords and cuirasses, and could barely manage to charge in column at the trot.

と、悲哀が漂う感じでした。1815年のナポレオン退位後はもっと哀愁が漂うと言いますか、

Many of the horses were turned over to the farmers, who found that they could not afford to keep them. They were led into woods and meadows and abandoned. Harness, saddlery and equipment was taken to farms and convents, piled in sheds or out buildings, and left to rot.

なんて、仕方ないんでしょうけど、狡兎死して走狗烹らるって言葉を思い出しましたよ。でも、意味あってる?

 本文は150ページもないのでサクッと読めました。エピソード集的に読める本なので、またナポレオニックのゲームをやる際に騎兵指揮官のユニットがあったら、この本に出てきてないかなって探すと思います。


ライプツィヒの戦いについて手軽にまとまった本を読むならー『ライプツィヒにおける諸国民の戦い』

  1813年10月18日の朝5時ごろ、アウグスト・フォン・グナイゼナウは妻に手紙をしたためていた。  「世界の歴史の中でこれまでほとんど起こらなかったような戦いをむかえる朝に、これを書いている。我々はフランス皇帝を完全に包囲した。この戦いはヨーロッパの運命を決定づけるだろう」 ...