2024年2月23日金曜日

「Norman Conquests」(GMT)のおともに - 『ノルマンの指揮官たち』

  高校の世界史でノルマン人がヨーロッパ各地に進出したのは習った覚えがあるけれど、ノルマン人って活動範囲が広すぎるんだよね。北フランスにノルマンディー公国を作ったり、ノルマン・コンクエストでイングランドを征服しちゃったり、地中海に冒険野郎たちが乗り込んでいって南伊とシチリアを獲ってしまって、さらには中東にアンティオキア公国なんてのも立ててしまう。そんなノルマン人についてまとまったものないかな、と思って「Norman Conquests」(GMT)に参考文献として挙げられていた『The Norman Commanders』を読んでみた。

 『The Norman Commanders』ではまず最初に、11世紀前半にノルマン人が南伊に進出していく頃までの歴史をざっくりと述べている。その後は、ロベール・ギスカール、ウィリアム征服王、ボエモンドといった有名な人物、それにヘイスティングスやチヴィターテといった個々の戦いについて章立てされているので、気になったところを拾い読みするのにも適している。それにちょろちょろとコラムが入っていて、集中力が落ちても読めたかな。最後の4分の1ぐらいを使ってノルマン人の戦略や戦術について解説しているんだけど、ここも兵站や訓練、騎兵、歩兵など細かい項目に分けられているため、読み進めていくのが楽だったなあ。

 この本で繰り返し強調されているのが、ノルマンの指揮官の有能さ。本の最後も、ノルマン人が戦争において勝ち続けたのは指揮官の質に起因するのだ、という一文で終わっている。まあ、本のタイトルが『The Norman Commanders』だからね。ヘイスティングスの戦いについても、ノルマンディー公ギョームは全部隊が士気範囲に入るような布陣で行軍した、なんて分析をしている。いまいち知名度が低いイングランド王ヘンリー一世についても、「戦うべき時と戦いを避けるべき時をわかっている指揮官だという印象を受ける」なんてコメントがある。ロベール・ギスカールについても結構ほめていて(まあ、あくまで指揮官として、だけど)、南伊に少数で傭兵として戦っていたノルマン人たちが次第に勢力を拡大していったとき、彼らをまとめあげ、ノルマン人のイタリアへの冒険に征服という意義を与えられる人物が必要とされた、その時に現れたのがロベール・ギスカールだ、なんてちょっと劇的な感じで紹介している。

 ヘイスティングスとチヴィターテの戦いについては結構詳述されているんだけど、チヴィターテは南伊でのノルマン人の優位を確立し戦いだし、ヘイスティングスなんかイギリスの歴史を大きく変えた戦いだからね、詳しく書くのも当然といえば当然でしょう。あと、分裂状態の南伊はノルマン人が時間をかけて浸透していけたけど、イングランドはアングロ・サクソンの王国の基で統一されていたためノルマンディー公ギョームはヘイスティングスの一戦で敵王を倒さなければならなかった、なんて感じでイングランドと南伊の比較も面白かったな。

 ビザンツ好きには嬉しいことに、ロベール・ギスカールとアンナ様のお父様のアレクシオス一世がぶつかった、Dyrrhachiumの戦いについても比較的ページが割かれている。でもアレクシオス、この戦いでは負けているんだけどね。Men of Ironシリーズでこの戦い、出してほしい。

 ノルマンコンクエストで負けたアングロ・サクソン人たちが遠くビザンツに渡ってヴァリャーギ親衛隊となっていたそうで、Dyrrhachiumではノルマン人の公が率いる軍勢によって二度目の敗北を味わったものもいただろう、なんてなことも書いている。ノルマンディー公によってヘイスティングスで負けたと思ったら、アプリアなどの公となっていたロベール・ギスカールにまた負けた、ということですな。ちょっとアングロ・サクソンが気の毒になる。


 個人的に結構嬉しかったのが、Roussel de Bailleulがコラムで紹介されていたこと。この人、VaeVictis162号のヒストリカルノートで触れられていて、ビザンツでノルマン人の傭兵部隊を指揮、反乱を起こしてアナトリアに実質的な自分の自治領を作っちゃったという人物。VaeVictisのこの号のヒストリカルノートはビザンツ東方の主に10~11世紀の軍事的状況を説明していたんだけど、ビザンツにとって傭兵はもろ刃の剣だっていうコラムでRoussel de Bailleulが出てきていた。『The Norman Commanders』を読んでいると結構有能な指揮官だったようで戦場でのエピソードが少し紹介されている。ビザンツでは反乱ののちアンナ様のお父様に捕らえられているんだけど、1076年のことなのでお父様がアレクシオス一世として即位する前のことですね。

 この本ではさらに話は東に広がって、第一回十字軍まで絡んでくる。第一回十字軍のときにボエモンドが建てたアンティオキア公国って言ったら中東で、ノルマンディーから遠く離れているけど、シチリアやイングランドの二つのノルマン王朝よりも長続きしたって書いてあって、ああそうかって改めて気づかされた。アンティオキア公国は1268年までつづいたけど、ノルマン人が打ち立てた王朝はシチリア王国では1194年まで、ノルマンディーのお隣のイングランドでは1154年までなんだよね。個々の王朝についてはなんとなく知識があるけど、こうやってつなげてくれると新鮮な目で見られる。


 というわけで、10世紀から12世紀にかけてのノルマン人の活躍ぶりがよくわかるこの本、「Norman Conquests」をプレイするんだったらおススメです。

2024年2月18日日曜日

ノルマン騎士に、シュヴァーベンの意地を見せろ! Civitate 1053 - Norman Conquests(GMT) AAR ③

  リシャールに続け、ロベール。ノルマン軍の指揮官の優秀さを見せつけるのだ、と檄を飛ばすも、左翼(マップ下方)のロベールが継続活性に失敗。このシナリオでのノルマン軍の強みの一つである指揮官の活性化値の高さが生きない。

 逆に、敵の連携ミスを見て取った教皇軍のヴェルナーが自隊正面のロベール隊に攻撃をしかける。弓兵で敵の混乱状態のユニットを壊滅させ、敵最左翼のユニットを包囲、壊滅させる。ノルマン軍の累積敗走ポイント(FP)は10に上った。

 ノルマン軍の敗走レベル(Flight Level)は15で、10面体サイコロを振って出た目と累積敗走ポイントを足してこの数値を越えると負けてしまう。ノルマン軍としては余裕がなくなってきた。


 ちなみにこのロベール・ギスカール、後に南伊ノルマン人の間で突出したリーダーとなり、シチリアに侵攻、そして南伊に残るビザンツ帝国の拠点を落としている。さらにはバルカン半島に攻め込みビザンツ皇帝アレクシオスと死闘を繰り広げるのだが、漫画「アンナ・コムネナ」では、ビザンツ皇帝アレクシオスの宿敵呼ばわりされている。なお、ロベールの容姿についてはアンナ様は結構ほめていたりする。イケメンはこれだから困るよ。同じくイケメンだったロベールの息子のボエモンドは、第一回十字軍の主要指揮官の一人となり、中東の主要都市アンティオキアをとったりしている。Men of Ironシリーズの「Infidel」に収録のDorylaeumAntiochのシナリオに指揮官として登場してますね。

 

 ノルマン軍左翼(マップ下方)のロベールが危うい。だが他の2隊はフレデリック隊と交戦状態にあるうえ、ロベールとも距離がある。ノルマン軍は救援に駆け付けるよりも右翼正面の脆弱な敵フレデリック隊の殲滅に注力する。そうはさせない、と教皇軍がSeizureカウンターを出して継続奪取を試みるも、ノルマン軍が奪取無効(Seizure Nagation)のカウンターでしのぐ。ノルマン軍はオンフロワ、そしてリシャールと連携のよさを見せつけ、怒涛の連続攻撃。フレデリック隊はもうボロボロだ。

 教皇軍の累積敗走ポイントは9に上った。教皇軍の敗走レベルは12で、現状だと敗北チェックでは60%で負けとなる。教皇軍のほうも後がなくなってきた。

 

 だが、教皇軍は多くのユニットが壊滅している割には、槍兵は壊滅しても2FPにしかならないため累積敗走ポイントが増えていない。一方、ノルマン軍の主力である重装騎兵は1ユニットが壊滅すると3FP。包囲され退却できない状態で攻撃されたり、射撃で強制下馬となって脆弱となったところを狙われたりすると、今回のノルマン軍のように一気に累積敗走ポイントが跳ね上がるのである。

 教皇軍右翼(マップ下方)のヴェルナー隊の主力は重装歩兵(Men-at-Arms, MA)で兵種として強力なうえ、個々のユニットの防御力もそこそこ高い。一方でフレデリック隊の槍兵は兵種として劣るうえに、防御力も低いユニットが多いためノルマン軍としてはフレデリック隊を主要攻撃目標としたくなる。だが前述のように槍兵の敗走ポイント(FP)は2。その一方で突撃などで突出してしまった騎兵が包囲され壊滅してしまったら3FPとなってしまう。一方、ヴェルナー隊のMAは重装騎兵と同じく3と高価。そのため、ノルマン軍としてはフレデリック隊への攻撃は陽動にとどめて、状況に応じてヴェルナー隊に主力を向け教皇軍に出血を強いるほうがいいかもしれない。


 一気に勝負をつけたいノルマン軍だが、ロベールが継続活性に失敗。おいおい、チヴィターテではロベールの側面攻撃が戦いを決めたんじゃなかったのかよ。

 そして教皇軍に活性化が移る。自軍の崩壊が迫っている教皇軍としては、死に物狂いに攻撃して先に敵の戦意を喪失させるしかない。やるかやられるかだ。わがシュヴァーベンの強者どもよ、勝負はこの一撃で決まる! と檄を飛ばして兵たちを奮い立たせるヴェルナー。教皇軍の弓兵が矢を降り注ぎ、ロベールの重装騎兵を混乱状態にし馬も失わせる。さらに、すでに混乱状態だったノルマンユニットを射撃で壊滅させた。

 こうして手薄になったロベール隊にヴェルナーのシュヴァーベン精鋭歩兵が長剣をふるって襲いかかる。包囲されたノルマン騎兵は逃げ場がないうえ、教皇軍がノルマン軍の戦列の裂け目に突入してきたため(SeizureカウンターのInto the breachを使用)到底敵の攻撃を防ぐことができない。結果、2ユニットが壊滅してしまった。

 ここで教皇軍の自由活性が終わり、両軍の敗北チェックとなる。この時点でノルマン軍の累積FPは16で、敗走レベルの15を上回っている。せめて教皇軍が敗北チェックに失敗して引き分けになれば。そんなノルマン軍の願いもむなしく、教皇軍のサイの目は3。ぎりぎりで踏みとどまり、ノルマン軍の敗北となった。


 このシナリオ、騎兵対歩兵という対照的な両軍のぶつかり合いであるだけでなく、ユニット数が少なく特別ルールもほとんどないので1時間ほどで気軽にプレイできる。それに「Norman Conquests」は「Men of Iron Tri-pack」のルールをそのまま使っているため、MoIシリーズの導入にも向いているかも。

 チヴィターテの戦いについて書かれた読みやすい日本語の本って多くはないと思うんだけど、『ノルマン騎士の地中海興亡史』(白水社)が読みやすかったな。帯に「南イタリアのノルマン騎士の活躍を描く一大叙事詩。」とあるように、ノルマンディーから南伊に乗り込んできたオートヴィル家の若者たちがどのようにかの地を征服していったかがよくわかります。この本を読んでからプレイするともっと感情移入ができるんじゃないでしょうか。



2024年2月15日木曜日

(幕間)もう一つのCivitate - A la charge! (VV87)

  ウォーゲーム的にはマイナーなCivitateの戦い(というか中世全般がマイナー…)だが、Vae Vicits87号でもゲーム化されている。A la charge! (突撃!)という、中世の会戦を簡単なルールでシミュレートしたもので、1078年のKalavrayaiの戦いとセットで収録。Kalavrayaiって言ったらアンナ様のお父様の若き頃の戦いですね。なおA la charge!は以降シリーズ化され、何作か出ている。

 ノルマン軍の指揮官はオンフロワが登場(もちろん、Onfroyとフランス語表記。英表記のHumphreyって誰だよって言いたくなる)。

オンフロワ
 ノルマン騎兵の突撃がとにかく強力で、ワンサイドゲームの展開だった記憶が。あ、もちろんシュヴァーベン兵のユニットも登場して、教皇軍の中ではシュヴァーベンの2ユニットだけが例外的に強く戦闘力3と4と。4と言ったらノルマン軍のエリート騎兵と同等だ。でもこの2ユニットだけでどうしろと…、と言いたくなるぐらい、教皇軍の他のユニットは弱い。指揮官の能力だってオンフロワの方が教皇軍指揮官のルドルフより上だし。

シュヴァーベンのユニット

 
ノルマンのエリート騎兵

 A la charge!では戦闘は戦力比で解決なのだが、教皇軍の他のユニットは戦闘力2以下。一方、ノルマン軍はほとんどが戦闘力3で、スタック不可なのでノルマン軍が攻撃するときは1ユニットで攻撃しても1.5:1以上の比になる。1.5:1でも3分の2の確率で攻撃成功だ。しかも騎兵は突撃で攻撃力+2となるので、最初のノルマン騎兵の突撃はおそろしく強力なものとなる。まあ、ゲームタイトルがA la charge!(突撃!)だからね。逆に教皇軍が反撃しようと思ったら、敵1ユニットに対し3ユニットぐらいはかき集めてこないといけない。

 さらには戦闘結果で士気チェックとなることがあるのだが、戦闘力=士気なので教皇軍の士気の低いこと低いこと。士気チェックでは6面体サイコロを振って士気以上の場合、つまり戦闘力2だと6分の5の確率で、不利な結果が生じる。戦闘力1のユニットなんてノルマン騎兵に蹴散らされるためにいるようなもんだ。まあ、教皇軍が惨敗、でもシュヴァーベンの兵だけが最後まで気を吐く、というのはヒストリカルと言えばヒストリカルなんだけど。


 Vae Victisのこの号にはヒストリカルノートが付いていて、11世紀のノルマンとビザンツ帝国の衝突について解説している。ロベール・ギスカールがバルカン半島に攻めていった頃って、ビザンツは東方で1071年にマンジケルトの戦いで惨敗を喫し、アンナ様のお父様アレクシオス1世は帝国の立て直しで大変だった、ということを読んでいて思い出しました。こうやって南伊から中東まで歴史がつながって見えるのが楽しい。ところでマンジケルトと言ったら、GMTのLevy&Campaignシリーズで「Slejuk: Byzantium Besieged, 1068-1071」がP500に入っていますね。

 ヒストリカルノートにはノルマン軍の海上での強さにも触れられていた。港湾を封鎖する技術や、騎兵を海上輸送することに長けていたことなど、そりゃ南伊・シチリアでノルマン勢力が成功を収めるのも不思議じゃない。


 と、「Norman Conquests」のおかげで古いゲームを掘り出せたので、また今度やってみるかな。ミニゲームでルールも簡単なので、サクッとプレイできるのが嬉しいです。

2024年2月11日日曜日

ノルマン騎士に、シュヴァーベンの意地を見せろ! Civitate 1053 - Norman Conquests(GMT) AAR ②

  他の2部隊に遅れてやっと活性化が可能になったロベール隊が前進。ころはよし、とノルマン軍が攻撃を開始する。まずは右翼(マップ上方)のリシャールがフレデリック隊の左翼端に回り込み、弓兵を側面から襲う。

 つづけて中央のオンフロワが活性化。敵フレデリック隊の再右端(マップ下方)に位置する弓兵に射撃戦を仕掛け、相打ちで混乱状態にしたのち、重装騎兵4ユニットがそろって突撃。脆弱な歩兵どもなどノルマン騎兵の前では鎧袖一触、と思いきや、このゲームでは槍兵(Pike, PK)の正面から突撃をする際は、騎馬が突撃を躊躇したかどうかのチェックが課されるCharge Reluctanceというルールがある。まあ、槍衾に正面から突っ込むって想像しただけでも結構怖いもんね。このチェックは基本的に2分の1の確率で成功するのだが、リシャール隊の重装騎兵4ユニットのうち半数が成功。1ユニットは敵の固い陣形に恐れをなしたか馬がスピードを緩めてしまい、白兵戦(Melee)となった。

 突撃に成功した騎兵は敵戦列に食い込む。混乱して後退する槍兵に追い打ちをかけたが、小川越しの攻撃となり逆に撃退された。

 また一斉に攻撃をしかけた騎兵4ユニットのうち一つは敵弓兵に突っ込む。この弓兵は先ほどの射撃で混乱状態となっていたため一息に蹴散らせてくれるわ、と思いきや、必死に放たれた矢によってノルマン騎兵は強制下馬(Unhorsed)となってしまった。

 敵の攻撃で大きな損害を受けた教皇軍のフレデリック隊だが、果敢に反撃する。敵ノルマン軍のオンフロワも正面攻撃で大きな被害を出している。左翼が敵リシャール隊の圧力を受けているからといってこのまま守りに入っていては敵の思うがまま。機を逃さず反撃あるのみ。フレデリックの弓兵が、先ほど強制下馬となった敵ユニットを至近距離からの射撃で敗走させる。そして槍兵が混乱状態の重装騎兵を包囲、壊滅させた。ノルマン軍としては痛い損害である。


 このシナリオで登場するオンフロワとロベール・ギスカールは異母兄弟で、仏ノルマンディ地方西部のオートヴィル家の出身。このオートヴィル家は冒険心盛んで、フランスから南伊に渡りシチリアを征服してシチリア王国を建てている。オンフロワとロベール二人の長兄ギョームは鉄腕の異名を持つほか、父タンクレードも勇猛だったらしく、狩りの最中、猟犬に襲いかかった巨大イノシシを剣で倒したというエピソードが残っている。ちなみにこのシナリオのもう一人の指揮官リシャールはオートヴィル家の出身ではないが、オンフロワやロベールの姉妹フレッセンダと結婚している。


 フレデリックに続け、とばかりに教皇軍右翼(マップ下方)のヴェルナーの精鋭部隊が前進。射撃でロベール隊最左翼の重装騎兵を強制下馬とした。

 このヴェルナーの歩兵は南西ドイツのシュヴァーベンの兵だったようだが、シュヴァーベンと言えばロンメルの出身地で、どっかの本でロンメルがきついシュヴァーベンの方言で話した、みたいなこと書いてあった記憶がある。というか、自分は昔シュヴァーベンの農家で2カ月ほど居候させてもらったことがあって(仕事を手伝う代わりに部屋代・飯代はタダ)、シュヴァーベンと聞くとちょっとえこひいきしてしまいたくなる。チヴィターテにドイツから参加した兵たちもSchwäbischを話していたのかなあ。


 このまま教皇軍に押されてたまるか、とノルマン軍もやり返す。先ほどノルマン中央オンフロワ隊に対して反撃に出た教皇軍のフレデリック隊だが、その分マップ上方のリシャール隊に対する備えが犠牲になっている。これを見て取ったリシャールが、重装騎兵を突撃させる。側面や背後から騎兵の突撃をくらった歩兵たちは次々と混乱状態に陥っていった。そして敵の射撃をものともせず弓兵にもリシャールの騎兵が突撃、馬蹄にかけて蹴散らした。



つづく

2024年2月8日木曜日

ノルマン騎士に、シュヴァーベンの意地を見せろ! Civitate 1053 - Norman Conquests(GMT) AAR ①

 Men of Iron(GMT)シリーズの最新作「Norman Conquests」が去年末、やっと出た。ノルマン・コンクエストと言ったら世界史でも習うほど有名で、1066年に北フランスからノルマンディー公ギョーム(英語風の読みだとウィリアム)がイングランドを征服した、という歴史的な出来事。イギリス史的には当然超重要であり、かつて英外相が自国のことを「1066年にフランス人によって創立された(founded in 1066 by the French)」って言ったことがあるぐらい。

 Men of Ironシリーズの最新作を待ちわびつつ、そうか、これまでMoIは十字軍や薔薇戦争、イタリア戦争を扱ってきたけど今度はノルマン・コンクエストか、と思っていたんだけど、タイトルをよく見るとNorman Conquestsと複数形になっている。11世紀にノルマン人はイングランドだけでなく南伊なども征服しており、そういったノルマン人の広範囲な征服活動をこの複数形は示しているんだろうな。実際、収録シナリオの半数以上は1066年の戦い以外だし。しかし最初は複数形だと気が付かなくて、征服王ウイリアムのノルマン・コンクエストだって思い込んでましたよ。ははは…。


 今回プレイするのは「Norman Conquests」収録のシナリオの一つ、Civitateである。チヴィターテって読むらしいけど、ノルマン・コンクエストの13年前、1053年に南イタリアで行われた戦い。11世紀の南伊はビザンツ帝国の影響下にあったものの分裂状態で、北フランスからやってきたノルマン人の荒くれ共が傭兵として暴れつつ自分たちの勢力を拡大していく。そこに教皇レオ9世がノルマン人を鎮圧しようとして起こったのがチヴィターテの戦い、とざっくりいうとこんな感じ。教皇軍はさんざんに打ち破られ、レオ9世がノルマン側の捕虜になったという。この戦いで南伊におけるノルマン人の優位が確立し、以後シチリアを征服、さらには東に向かいバルカン半島にまで進出しようとするのである。でもそんなことしたらアンナ様に怒られるよ。


 初期配置は写真のとおり。両軍のユニット数はほぼ互角であるものの、ノルマン軍は弓兵3ユニットを除いた残り12ユニットがすべて重装騎兵(Mounted Men-at-Arms, MM)と、騎兵中心の軍勢であるのに対し、教皇軍には騎兵は無くすべて歩兵という、対照的な兵種構成となっている。

 指揮官の活性化値の点ではノルマン軍のほうが優れており、同軍の騎兵の機動力も考慮すると、教皇軍としては固く守るほうが得策だろう。

 ちなみにこの戦いに参加しているノルマン人の指揮官はフランス出身なので、このAARでは名前をフランス風にしている。Humphrey de Hautvilleはオンフロワ、Richard Drengotはリシャール、Robert Guiscardはロベールとなる。

 また、実際の戦いでは教皇軍左翼(マップ上方)のイタリア兵がノルマン軍の突撃で早々に敗走したが、南ドイツのシュヴァーベンから来た部隊が最後まで奮戦したそうで、教皇軍右翼のヴェルナーの精鋭部隊はシュヴァーベンの兵を表していると思われる。というか、このAARではシュヴァーベンの兵として扱う。単にシュヴァーベンに思い入れがあるという個人的な理由からなんだけども、それは後で触れる予定。



 プレイ開始。ノルマン軍はリシャールとオンフロワの2部隊を右(マップ上方)にシフト。ロベールの前面を空ける。一方、教皇軍は全軍を後退、小川を利用して守りを固めようとする。

 こうして両軍が態勢を整えているうちにロベールが活性化可能となった。チヴィターテの戦いはリシャールとオンフロワが右翼で教皇軍を崩壊させている間に中央から左翼にかけてが苦戦に陥った。そのときにロベールが敵の側面にまわり勝負を決めたそうで、ロベールが戦闘に参加するのが遅くなったのを反映してか、このシナリオではノルマン軍の2回目の自由活性化にならないとロベールは活性化できない。そのため、ノルマン軍プレイヤーは他の2部隊で早急に攻撃をしかけることなく、時間をかけて攻撃態勢を整えたのである。


つづく


マーケット・ガーデン80周年なので読んでみた、『9月に雪なんて降らない』

 1944年9月17日の午後、アルンヘムに駐留していた独国防軍砲兵士官のJoseph Enthammer中尉は晴れわたった空を凝視していた。自分が目にしているものが信じられなかったのだ。 上空には 白い「雪」が漂っているように見えた。「ありえない」とその士官は思った。「9月に雪な...