2025年6月29日日曜日

『黒太子』

  黒太子っていったらもうね、説明の必要もないくらいの名将ですよね。ポワティエで寡兵でもってフランス軍を叩きのめし仏王ジャン2世を捕虜にしたのを筆頭に、ナヘラでは敵を側面から奇襲して完勝、10代半ばにしてクレシーでも戦っていてるという、百年戦争時代のイングランド軍を代表する指揮官の一人。黒太子っていう呼び名もなんかカッコいいし。

 でも、上記の戦い以外は騎行でフランスの領土を荒らしまわったとか、ナヘラで勝ったはいいけど財政的にはかなり厳しくなったとか、そういうことぐらいしか知りませんでした。なんかいい本ないかなと思っていたところに見つけたのがこれ。タイトルもそのまんまの『The Black Prince』です。

 鎧関係の博物館の売店で売っていて、ここがおすすめしているんだったらあんまり外れの本ではないだろうと買ってみました。と思ったらその約一週間後にcou papaさんが「」Men of Iron」の「ナヘラ」をプレイしたってつぶやいていたんですよね。

 おお、こんな偶然があるなんて、早く読めという天の導きに違いない。でも、自分は読むのが遅いので結構時間がたってしまいましたよ。とほほ。


 この本は黒太子の生誕から死去までを追っているんですが、太子の生涯においては父王との結構問題のある関係が影響していて、そのことをより良く理解するためには父王エドワード三世の人生、とくにエドワード三世が大人になるときに起こったことをまずは知っておいた方がいい、なんて筆者は冒頭に言っています。そのため時代をさかのぼって黒太子が生まれる5年前から書き始めているんですが、エドワード三世の父と母の確執から始まって、対スコットランド戦の大敗とそのリターンマッチ、そしていよいよ対仏戦に乗り出して絶妙な機動を繰り広げてクレシーで仏軍を迎える……あれ? エドワード三世の本を読んでいたんだっけ? なんて思えるぐらい、黒太子の父王について書かれています。まあ、エドワード三世の話も面白いからいいんですけどね。クレシーの戦いでは当然、黒太子が苦戦に陥ったときのエドワード三世の台詞「let the boy win his spurs」も紹介されています。しかしまあ、スパルタ親父ですな。そのおかげで黒太子も鍛えられたと思うんですが。

 

 でもちゃんと途中から黒太子が主人公になっていろいろと熱い展開があるんですが、1355年の南仏での騎行なんて、敵の裏をかく行軍でさすが黒太子、かっけーと思いましたよ。ポワティエ戦の前、黒太子の軍が仏領で孤立する一方で仏王の大軍が接近してきていたときは、the Prince always an instinctive commander, felt that his men's morale was faltering and that the best remedy was to involve them in some action.と、敵の城塞を激しい攻撃で陥落させることで軍の士気を引き締めたりしています。ポワティエ戦が始まろうとしている時も、斥候が戦場を埋め尽くすような敵の大軍について報告すると、黒太子は簡潔にlet us now study how we shall fight with them to our advantageと答えた、と書かれています。うーん、かっこいい。……しかし自分、カッコいいしか書いていなくて結構バカっぽい? でも黒太子カッケーと読んでいて何度も思ったのは事実なんですよ。

 それと、財政的に大きな負担になったナヘラ戦を含むカスティーリャへの軍事介入ですが、もともと黒太子は反対していたそうで、父王エドワード三世の命令で仕方なくピレネーを越えて遠征したって描写されています。ここに限らず、エドワード三世の老害っぷりが次第にひどくなっていくんですよね。その一方で黒太子の病がどんどん進んでいって、ナヘラ以降は読んでいくのが結構つらくなりました。

 

 でも黒太子をほめまくっているわけではなく、出費には鷹揚で臣下にも大盤振る舞いをしたということが繰り返し書かれています。とはいえ、黒太子の汚点として伝えられている晩年のリモージュの住民虐殺については、The 'blackening' of his reputation, in part through the insinuations of Jean Froissart, can now be righted.と、このことについて下記残しているフロワサールを批判していますね。The chronicler Jean Froissart presents a challenge for every historian: at his best, he is well sourced and brings the period to life; however, he can also be unreliable and cavalier with the facts.なんて書いているですが、cavalierって言葉をこういうふうに使うんだ、うまいなーって思いました。


 と、本文400ページ強の中でここがよかったぜーという部分はもっといろいろあるんですが、キリがないのでこの辺で。この本は私のように黒太子についてもっと知りたいっていう場合にはピッタリだと思います。それに百年戦争に興味がある人も読んでみると面白いんじゃないでしょうか。


2025年6月21日土曜日

『ドイツ農民戦争』 — 「真・三十年戦争」(CMJ183)の副読本、になるのかな?

 コマンドマガジンの最新号のゲームは「真・三十年戦争」。三十年戦争っていたら「歴史群像」で漫画が連載されているしね、自分も『ドイツ三十年戦争』ぐらいは読んだことあるしね。ワレンシュタインにグスタフ・アドルフが活躍するんだろうな、ワクワク。


 ……という期待は当然あったんですが、それよりも自分が注目したのは農民戦争がゲーム化されるということ。コマンドマガジン本誌にも書かれていますが、この戦争を扱ったゲームってほとんどないんですよね。でもちょうどVaeVictisの最新号は1526年のハンガリー。「真・三十年戦争」のマップにはハンガリーが含まれているし、スレイマンのユニットもあるし、1526年って言ったら農民戦争が鎮圧された翌年じゃないですか。こりゃ二つともプレイするしかないでしょ。

 それに、デザイナーズノートに傭兵隊長の3ユニットは武装親衛隊3個師団の愛称になっていると触れられていましたが、このお三方。「真・三十年戦争史」のヴァリアントシナリオ「騎士及び農民戦争」に出てきます。

 この人たちの名前がついた師団が登場するWWⅡのゲームをプレイした人もいるじゃないでしょうか。ちなみに、『鉄腕ゲッツ行状記』も復刊されてますね。ゲッツのユニットを使うときは「俺の〇〇をなめろ」って言っちゃうのかなあ。

 師団の愛称になっていると言えばですね、農民戦争の主導者トマス・ミュンツァーも旧東ドイツ陸軍の第四自動車化狙撃兵師団の第22連隊の称号Ehrennameになっていたみたいなんですよ。以前、ハナザーさんのつぶやきに興味を惹かれて調べたが出てきたんですけどね。

 でもね、ドイツ農民戦争を扱った本ってあんまりないんですよね。高校の世界史ではたしか、宗教改革の流れで農民が立ち上がったけどルターはその暴力行為を批判した、みたいなことを習った気が。2023年に復刊された『中世への旅 農民戦争と傭兵』っていう本がありますが、これはオリジナルのタイトルは『Landsknecht, Bundschuh, Söldner』(ランツクネヒト、ブントシュー、傭兵)なんですね。ブントシューってのは農民靴のことで一揆の旗印になっていたんですけど、この本は農民戦争の流れを概観するというよりは、ランツクネヒトやら農民戦争などについてのあれこれを書いています。面白かったですけど。エンゲルスも『ドイツ農民戦争』って本を書いていますが、時代的思想的なフレイバーが結構あった気が。かなり昔に読んだんでちゃんと覚えていないんですけど。

 一冊丸ごとドイツ農民戦争のことについて一般向けに書かれた本ってないかなと思っていたら、ありました。タイトルはそのまんま『Der Bauernkrieg』。 最初の章で30ページほどを使って農民戦争の展開が解説してあって、それに本の最後には年表に主な出来事が時系列で並べられていて、農民戦争の広がりとその敗北の流れがわかるようになっていました。

1525年のパヴィアの戦いについても触れられていて、これはイタリア戦争中にフランスが神聖ローマ帝国に大敗した戦いで仏王フランソワ1世が捕虜になったりしているんですけど、この戦いの後、傭兵を集めて農民反乱の鎮圧を始めたみたいなことが書いてあって、「Arquebus」(GMT)でプレイしているイタリア戦争とつながってなんか嬉しかったです。ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンもちょこっと出てきて、Götz von Berlichingen genoss einen unumstrittenen Ruf als militärisch versierter Haudegen.(ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンは戦いに精通した戦士として議論の余地のない評判を得ていた)なんて書かれてあるし。


 でもね、ドイツ農民戦争って階級闘争の側面もあって、それに宗教改革も関わってくるからややこしいんですよね。この時代の法とか権利とか信仰とか、自分の知識不足を痛感しました。Der Gemeine Mannなんて概念が出てくるけど、日本語にどう訳されてるのかな。でもまあ、ドイツの、それにスイスもですけど、その後の歴史に大きな影響を与えたってのはなんとなくわかりました。というか、もっと勉強しないとといういい刺激を受けた、とポジティブに受け止めるようにします。それはさておき、ユニット切ってゲームをプレイしようっと。 

2025年6月14日土曜日

『ノルマン騎士の地中海興亡史』が復刊! ということで併せて読んでみた、『中世軍事史の研究』

  「書泉と、10冊」っていう企画で入手困難な本が復刊していますね。『鉄腕ゲッツ行状記』やオスプレイの戦史シリーズなどがこれまで出ていますが、げにありがたし。今回、5月末には『ノルマン騎士の地中海興亡史』が出ましたね。

 ヨーロッパ全域で暴れまわったノルマン人、それにビザンツとイスラム、西欧勢力という三つ巴の11~12世紀の地中海世界、この二つが合わさったら面白くないわけがないですよね。それなのに日本語で読める本って言ったらこれ以外にあんまりないので、この本はマストリードですよ。今回復刊にあわせて読み返してみたんですけど、いやー、途中で止まらなくて一気読みでした。

 ノルマン人に関しては『The Norman Commanders』、12世紀の地中海に関しては『La Méditerranée au XIIe Siècle』といった本をブログでこれまで紹介しましたが、今回『ノルマン騎士の地中海興亡史』と併せて読んだのがこれ、『Studi di Storia Militare Medievale』という本。タイトルからは中世軍事史一般について書いているのかなと思えるんですけど、実際は11~13世紀の南イタリアのことがほとんどです。しかも「Fino alle mura di Babilonia. Aspetti militari della conquista normanna del Sud(バビロンの壁まで。南方のノルマン・コンクエストの軍事的側面)」という章があって、この本の4分の1近くを占めています。伊語はあんまり得意じゃないけど、頑張って読みましたよ。だって、向こうの研究者はどんなことを書いているのかなって気になるじゃないですか。

 ノルマン軍に関していろいろ書かれていて勉強になったんですけど、ビザンツ軍との比較が面白かったです。両軍の基本的な違いは、ビザンツ軍は結束と規律を基本としていたが、それは多くの軍事技術書に書かれた理論に基づいて厳しく訓練されたことから生まれていたのに対し、ノルマン軍は獲得物への欲、それに指揮官への忠誠というゲルマンの意識がその強さの基にあったとのこと。たしかにノルマン騎士はどんどん征服していってますからね。ボエモンドとか。それと、ノルマン軍の戦術的な優越を有していたものの、ビザンツ帝国に対しては戦略で劣っていた、という指摘が面白かったです。まあほかにもノルマン騎兵の活用についていくつか会戦の例を挙げていて、「Norman Conquests」に入っているCivitateも何回か触れられていました。


 「中世南伊の軍事史における弓兵とクロスボウ (Arcieri e balestrieri nella storia militare del Mezzogiorno medievale)」という章では、フランドルや北イタリアなどの歩兵のように長槍を装備し密集隊形で戦った歩兵はほとんど見られない、と述べていました。弓兵やクロスボウに比べると、このような歩兵は接敵しないと攻撃できないため重騎兵を支援するには明らかに劣っているという趣旨のことを書いています。たまたまポワティエの戦いについて書かれた本を並行して読んでいて、イングランド軍は有利な地形に布陣したものの衆寡敵せず危うくなるんですけど、そこで黒太子が仏王の部隊を騎兵で襲撃するという賭けに出ます。そのとき、騎兵の攻撃を支援するために長弓兵を使ったっていう描写があって、南伊での話とつながってなんだか嬉しかったです。


 もちろんこの本にはアンナ・コムネナの名前は何度も出てきました。Fino alle mura di Babilonia. (バビロンの壁まで)という章タイトルもアンナからの引用で、「騎乗したケルト(西欧人のこと)はバビロンの壁まで道を切り開いていけるだろう」という言葉からのようです。ちなみに馬に乗っていないノルマン人はそれほど強くなかったようで、乗馬時と下馬時を比較したアンナの言葉も引用されています。


 それと、「イスラム弓兵の歴史(Storia dell'arcieria islamica)」っていう章が4つ入っているんですけど、イスラムの軍隊については漠然としたイメージしかなかったので勉強になりました。イスラムと言えば7世紀にアラビア半島から勃興して東西を征服していくわけですが、もともとアラブには弓騎兵が無かったそうです。トルコ系の民族など中央アジアの勢力との接触から弓騎兵がイスラム勢力に取り入れられていったって言うのを初めて知りました。そういえばMen of Ironシリーズの「Infidel」は十字軍とイスラム勢力の戦いが収録されていて、セルジュークなどは弓騎兵が主力なんですが、Ascalonのシナリオではアイユーブ朝の軍には弓騎兵が無かったというのを思い出しました。アイユーブ朝は弓騎兵を持っていなかったってたしかシナリオブックに書いてあったけど、あの王朝は北アフリカのチュニジアからアルジェリアにかけての地域から起こった勢力だもんね。弓兵と言ったら歩兵だったのも納得です。


 ウォーゲームの中でもマイナーな中世にあっても南伊はさらにマイナーだと思いますが、ロベール・ギスカールとかノルマンの冒険野郎のことを知るとほんと面白いですし、アンナ・コムネナが生きた時代・地域に大きくかかわっているので、漫画『アンナ・コムネナ』にはまった人は読んでみてもいいんじゃないでしょうか。どこかが新書で和訳を出してくれないかな。






2025年6月6日金曜日

モンティ、ノルマンディーに還る

  6月6日と言ったらあれですよ、言わずと知れたあの日ですよ。あの戦いの立役者の一人にモンゴメリー元帥がいますが、ちょっとおもしろいネタを見つけたので調べてみました。

 先日読んだ『Castle』って本に、1066年のノルマン・コンクエストのところでRoger of Montgomeryというノルマンディーの貴族が出てきまして、結構大物だったらしく、ウイリアム征服王とその兄弟に次ぐランクだったようです。イングランド征服後のウェールズ国境地帯を防衛する役も任されて、そのためにいくつか城を築いたんですが、自分の出身の町、ノルマンディーのMontgommeriにちなんでそれらの城の一つにMontgomeryと名付けたっていうことがあの本にちらっと書かれていたんですね。

 え、Montgomery? プリンス・エドワード島の、緑の切妻屋根の? …なんてことを考える文学的素養は私は持ち合わせてなくて、すぐに思い浮かんだのがノルマン・コンクエストから約900年後にノルマンディーに侵攻した元帥。堅実だけど面白くない戦い方をすると思っていたらマーケット・ガーデンみたいなことやって痛い目見やがって(←個人の印象です)、というあの人です。

 

 モンティのご先祖がノルマンディーから来ていたら面白いな、と思ってちょっと調べてみたら、先祖はスコットランドから北アイルランドに移住したらしいんですけど、ノルマンディーまでさかのぼれない。Montgomery一族は12世紀にウェールズからスコットランドに移住したっていう記述は見つかったけど。


と思っていたら、ノルマン・コンクエストの際にノルマンディーからイングランドにやってきてMontgomery城を建てたRoger of Montgomery、フランス語表記だとRoger de Montgomeryですけど、その子孫に、アラメイン子爵であるモンゴメリ元帥がいる、って書いてあるサイトを見つけました。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Saint-Germain-de-Montgommery


 おお、やっぱりモンティ、祖先をたどればノルマンディーにつながるのね。もしかして、常識? ちなみにSaint-Germain-de-Montgommeryっていうのはチーズで有名なカマンベールの近くですね。「史上最大の作戦」(エポック/サンセット)の地図にはぎりぎり入らない場所っぽいです。惜しい。

https://maps.app.goo.gl/SnQZCbNHrE2oKgM78


 「ノルマンディーよ、私は帰ってきた」とか、「我が祖先の地でナチに負けるわけにはいかん!」とかなんかモンティの言葉残っていないかな、と思ったんですけど私の低い検索能力では見つからず…。まあ本当にモンティの祖先がノルマンディーにつながるのかどうかもわからないのですが、思わぬところで点と点がつながった気になれて面白かったです。

2025年6月1日日曜日

14世紀イングランドへのトラベルガイド

 中世の会戦ゲームをよくやるせいかTwitterで中世関連のつぶやきがよく流れてくるんですが、時折目にするのが、また中世についてこんな間違いが言われてるよ、というもの。暗黒時代だったとか、風呂に入らなかったとか、そういう誤った俗説があるそうなんですがね、そもそも自分、何が通説かなんてのも知らないんですよね。まあ中世のゲームをやっているから関連する軍事や歴史の本は読みますけど。当時の生活というか一般社会についてもうちょっと知っといた方がいいんだけどな、と思いつつ、結構いろんな本が出ているのでどれをまず読めばいいかわからないんだよなあ、俗説とかの本を読んじゃったら嫌だし。
 そんなことを思いながら本屋の歴史コーナーをぶらぶらしていると、面陳っていうんですかね、表紙を見せるように置かれていたのが『The Time Traveller's Guide to Medieval England』という本。結構な老舗書店だったので、この本屋が推しているんだったらまあ大きく外れはしないんだろうと思って買ってみました。表紙もなんだかかわいいし。リアルな書店ってこういうのがあるからいいですよね。知らなかった本に出合って、手に取って装丁を見てパラパラとページをめくれる、という。
 

 この本は中世という現代から何世紀も前の時代を読者が訪れたらどんなものを見るのだろうか、ということをビビッドに描写してくれています。As soon as you start to think of the past happening (as opposed to it having happened), a new way of conceiving historiy becomes possible.とも言っていますね。a travel book about a past age allows us to see its inhabitants in a sympathetic wayだそうです。なのでこの本、内容は昔のことですが現在形で書かれています。それだけじゃなくて文体も軽めなので、読み進めるのが楽でした。例えば当時のフットボールがかなり危険で死人が出たこともあるという話の後に、When medieval people roll on the ground during a football match, you can be sure they are not feigning an injury in the hope of being awarded a penalty.とかね。
 ただ『The Time Traveller's Guide to Medieval England』ってタイトルですが、中世は範囲が広すぎるため、内容は14世紀に集中しています。騎士道や一騎打ち、マナー、芸術、建築などからして、「中世」とは何かという一般的なイメージに14世紀は一番近いからだそうです。14世紀は、内戦や大聖堂の建築、最後の十字軍といった諸々、それに何といっても黒死病で、中世の縮図とも見なしうるであろうとも言っています。まあ、イングランドに限った話のようですが。
 当時の習慣や建築物、旅行の仕方、宿泊先、食事、賃金、健康と衛生、法律など内容は多岐にわたっていて、当然ですが軍事的なことはかなり少なめ。you would be crazy to think you could engage a fourteenth-century man in combat and have a chance of surviving. Most of them are much stronger than you.なんて書いているし。
 でもjoustingのことについても触れらています。joustingって一騎討ちって訳せばいいんですかね。そこのところでこんな一文がありまして。
 a Byzantine princess, seeing a massed charge of Frankish knights for the first time, exclaims that they could punch a hole in the walls of Constantinople
 これってアンナ・コムネナのことですよね。いやー、14世紀のイングランドについて書いた本でアンナ様の言葉が出てくるなんて思ってなかったので嬉しい。

 この筆者、『The Time Traveller's Guide to Elizabethan England』って本も出していてBBCのテレビシリーズにもなったそう。日本語で『シェイクスピアの時代のイギリス生活百科』って訳も出ているみたいですね。『The Time Traveller's Guide to Medieval England』も訳が出ないかな。知らない単語が多すぎて…。でも単に単語を日本語に置き換えられても、説明がないと結局わからないから、訳注が充実したものがいいなあ。

Battle of Wada (Bushi Life #5) AAR part5

-Turn 7  The Wada restored their forces to full readiness. While the Bakufu had conducted a successful volley in the previous turn, it was t...