2025年8月30日土曜日

ギリシア・ペルシア戦争 300: Tierra y Agua (Draco Ideas) AAR part1

  もう一ヶ月以上前になるけど、7月に参院選があり、その結果はさておき民主主義がきちんと機能するためには不断の努力が必要、と昔習ったことを改めて実感。民主主義と言えばその大きな源泉の一つが古代ギリシア。その古代ギリシアが危機に陥ったのが、紀元前5世紀のペルシア戦争で、東方の大国に対し、アテネの民主主義のみならずギリシアの自由を守った戦いである。民主主義の重要性に思いをはせつつ、この戦争をシミュレートしたゲーム「300」をやってみた。


 …というのはウソで、7月発売だったVaeVictis181号の付録が古代戦だったからたまには古代ものをやってみるか、と思った次第。VV181号のゲームは「Hamicar Imperator: La guerre des mercenaires」という、第一次と第二次のポエニ戦争の間の、傭兵の反乱鎮圧をシミュレートしたもの。ハンニバルのお父さんが主役なんだけど、こんな戦いがあったなんて知らなかった。ヒストリカルノート読むだけでも勉強になったなあ。


 「300:ギリシア・ペルシア戦争」はボンサイ・ゲームズから出されていて結構いい評価を目にするので、日本のウォーゲーマーの間ではよく知られているんじゃないかと思うけど、システムについてはこちらのブログで簡潔かつ分かりやすく書かれているので興味惹かれた方はこちらをどうぞ。

https://ameblo.jp/syuku-32/entry-12434024481.html

 ただ、自分が持っているのはスペインのDraco Ideasから出されたスペイン語版、「300: Tierra y Agua」。日本語のオリジナル版は持っていないだよね。とほほ。このAARでのゲーム用語などの訳は我流なので、オリジナルの日本語と違っている場合があるんじゃないかと思う。


 マップや駒はこんな感じ↓。オリジナルの日本語版では赤がペルシア、青がギリシアになっているようだけど、スペイン語版のほうでは逆。なんでだろうね。テルモピュライやマラトンとか、大軍に屈せず闘志に燃えるギリシアのイメージなのかな。


●第一次遠征

  ペルシア軍はへレスポントス、今のダーダネルス海峡に架橋してアジアとヨーロッパをつなぐ。このゲームではターンの最後のほうにある補給フェイズ(Fsase de suministros)のときに自軍の重要都市(ciudades importantes)と連絡線(líneas de comunicaciones)がつながっていない陸軍は除去されてしまう。つまりギリシア本土に侵攻したペルシア軍はこの橋が無かったらターンの最後には消えてしまうのである。陸路ではなく海路で連絡線をつなぐこともできるけど、制海権はギリシアが握る可能性が高いので、架橋して陸路での連絡線を確保するのはペルシア軍にとって定石と思われる。

 ただしこの橋は高価である。各遠征につき、ペルシア軍はギリシア軍の倍の12タレント(talento)の資金を得るのだが、架橋にはその半分の6タレントを消費してしまうのだ。そのため、本格的な侵攻は次回以降とし、ペルシア軍はへレスポントスを渡ってPella、そしてLarissaに進出するにとどめた。

 

 ちなみにこの橋、史実ではクセルクセス1世が作ったようで、ゲームではpuente de pontonesとあるので多分、船を並べて橋にしたんだろうなあ。あの海峡は見たことあるけど、実際狭いので、物量にものを言わせて橋を作っちゃったんだろうなあ。


 ペルシア軍の進出を受けたギリシア軍は、その連絡線を断とうとPellaに強襲上陸を試みる。このゲーム、質のギリシアvs量のペルシアという感じで、ギリシア軍は結構強力である。だがペルシア軍が奮戦、上陸してきたギリシア軍を壊滅させた。 


●第二次遠征

 敵の攻撃を撃退し幸先のいいスタートを切ったペルシア軍。大軍を徴集してギリシア本土の核心部に侵攻、と思いきや、 引いたカードが「大王の急死」(Muerte Repentina del Gran Rey)。ダレイオス一世が病死し、遠征は取りやめとなった。


●第三次遠征

 「まあ大王が急死することだってあるさ」と平静を装いつつ第三次遠征の準備を始めたペルシア軍だが、またも「大王の急死」を引いてしまう。今回はクセルクセス1世が暗殺され、再び遠征は中止。笑いが止まらないギリシア軍プレイヤーに腹立ちをこらえつつ

「逆に考えるんだ。もう大王は死なないからあと2回は確実に遠征ができるんだ」

と自分に言い聞かせるペルシア軍プレイヤーである。


(つづく)

2025年8月28日木曜日

『東方に火をつけろ』

  先日読んだアントニー・ビーヴァ―のロシア内戦の本が面白かったので、もっとないかなと思って探してみると、『Setting the East Ablaze: Lenin's Dream of an Empire in Asia』っていう本があったので読んでみました。キンドルで600円もしなくて財布に優しかったしね。『東方に火をつけろ: レーニンの野望と大英帝国』という和訳も出ているみたいです。ちなみに東方って聞くと中国やらバイカル湖あたりやら極東やらをイメージしてしまうんですが、ヨーロッパから見た東のことのようで、この本では中央アジアやインドのことも描かれています。というか本の前半はほとんど中央アジアの話。東方って言っても霊夢や魔理沙は出てこないからね。筆者は『ザ・グレート・ゲーム』『チベットの潜入者たち』を書いたピーター・ホップカークで、期待にたがわず無茶苦茶面白かったです。

ロシア革命でボルシェビキが政権を奪って間もない1918年2月、イギリスは混乱状態の中央アジア情勢を探るためスパイを派遣することを決定。そうして中国西部のカシュガルから天山山脈を越えて旧ロシア領に入ったFrederick Bailey中佐の、冒険行といっていい活躍がこの本の前半の主要部を占めます。ボルシェビキの新政府に対するイギリスの平和的な外交使節の体を装うんですけど、国境を越えてすぐ、イギリス軍が中央アジアに侵攻してくるという噂が流れていることを知って前途多難さが予想されます。英露関係が悪化して潜伏せざるを得なくなった後はもう大変で、

One night a commissar from another town stayed the night in the house where he (Baileyのことです) was sheltering. His boasts about what he did to counter-revolutionaries he caught, and how he could always spot them, made Bailey feel somewhat uncomfortable as they shared a bowl of soup together, and later slept on the floor under the same quilt.

とか、

Once, by ill-chance, he (これもBaileyのことです) found himself at the barber’s shop occupying the next chair to one of the Cheka officers who had arrested him the previous year.

とか、映画か小説ですかって言いたくなるようなことが起きたりします。しかも中央アジアからイギリス勢力圏に脱出するときは、チェーカーの密偵になるんですよ。"Bailey Joins the Soviet Secret Service"なんて章タイトルが出てきて、え、どういうこと? って思ったんですけど、自分を追っている秘密警察のスパイになるなんてホント訳が分からんです。


 こういった派手というかかっこいい行動に目を引かれてしまうんですが、この当時もイギリスの諜報網はすごかったらしく、ある将軍は後にこんな風に述べているそうです。マジかよ。

I had agents up to a distance of a thousand miles or more, even in the government offices of the Bolsheviks. I had relays of men constantly coming and going in areas which I deemed important. There was hardly a train on the Central Asian railway which had not one of our agents on board, and there was no important railway centre which had not two or three men on the spot.


 ところでWWIでロシア軍の捕虜になっていたドイツ兵やオーストリア兵が中央アジアにもいて、一部はボルシェビキ側に参加したみたいで、彼らの支援なしにはボルシェビキは重要拠点を失っていただろうなんてことが書かれています。中には現地の女性と結婚して定住しようとした捕虜もいたそうですが、ある結婚式では、花婿にはオーストリアに奥さんがいるんだって暴露された、なんてエピソードも載っていました。そりゃいかんだろ。それと、まだ潜伏前の英将校として行動していたBaileyに対してthey would good-humouredly strike up with It’s a Long Way to Tipperary.なんてあるんですけど、あの曲、映画「Uボート」で艦内でかけられるシーンがありましたが、イギリス以外でも人気だったんですかね。


 ところどころ自分は笑いそうになった部分があったんですが、まだBaileyが潜伏する前、平和的な英使節としてふるまっていたころ、ペルシアから派遣された英軍とボルシェビキ軍との間で武力衝突があり、ボルシェビキ軍が敗走するという事態が起こります。For the first time in the history of Anglo-Russian rivalry in Asia, British and Russian troops had fired on one another in anger.なんて書かれているんですけど、Baileyにとってはかなりまずい状況で、コミッサールがBaileyに説明を求めるんですね。Baileyは、英軍が武力衝突に関与してたって証拠は何があるんだって反論するんですけど、

The Russian’s reply, to quote Bailey, was both ‘simple and flattering’. The artillery fire, he told the Englishman, had been far too accurate to be Russian.

自虐ギャグかって思いましたよ。


 中央アジアでの冒険行だけでなく、英ソ両政府間の駆け引きなんかも少し描写されているですが、この本の後半は舞台が中国に移り、コミンテルンの活動も描写されています。本のタイトルどおりなんですけど、For thirty years the East had stubbornly refused to ignite to the Bolshevik torch. Somehow, somewhere, it had all gone wrong. The Comintern’s shadowy operations in Asia, just as in Europe, had largely been a waste of money and effort. Moscow’s one permanent gain had been Mongolia.なんてまとめられていますね。

 しかしアントニー・ビーヴァ―の『Russia: Revolution and Civil War 1917-1921』もそうでしたけど、本全体を通じて残虐行為が出てくるたびに気持ちがずーんと重くなりました。liquidateって言葉を見るの、嫌になりましたよ…。


 と、前半と後半でちょっと雰囲気が違うように感じられたこの本ですが、どちらのパートも読む手が止まりませんでした。約40年前、まだ冷戦のころに出たの古い本なので、旧ソ連側の資料へのアクセスはかなり制限されていたかと思うんですが、読み物としてはハラハラドキドキで非常に面白かったです

2025年8月25日月曜日

アラスカで米ロ首脳会談があったので読み返してみた、ジェフリー・アーチャー『ロシア皇帝の密約』

 先日アラスカで米ロ首脳会談があったからだと思うのですけど、こんなつぶやきを目にしまして。

これで思い出したのが『ロシア皇帝の密約』。古い小説ですが、米ロとアラスカの領有が絡んだストーリーになっています。しかしまだ10日ほど前のことなのにアラスカの首脳会談がなんかだいぶ昔のことに感じちゃうな。

 あの作品はかなり前に読んだんですけどかなり面白かった印象があって、電書で手に入ったので印象に残っているシーンをパラパラと読み返してみました。けど『ロシア皇帝の密約』ってオリジナルのタイトルは『A Matter of Honour』なんですね。これだけだとどんな内容か想像つかないんですけど、ジェフリー・アーチャーのネームバリューでみんな手に取ったんですかね。

 ツイッターでもつぶやいたんですけど、あの作品の渋いところは、アラスカという単語を作中で一回も使っていないんですよね。主人公がフランス語の条文を読んでいるところでこう示唆されています。

His eyes came to a halt on the one word that would remain the same in both languages.

それに

It had to be some form of agreement executed between the Russians and the Americans in 1867.

とかいろいろヒントになることが書いていて、調べればアラスカのことだとわかるようになっています。


 ウォーゲーマー的には以下のやりとりがツボかと。主人公のアダムの乗った飛行機がソ連のエージェントの射撃で被弾して仏領内で不時着した後の、英パイロットとの会話です。

"My father landed in one of these bloody fields during the Second World War and still managed to get himself back to England without being caught by the Germans. I owe you a great debt of gratitude, Adam, because if I can get back I'll be able to shut him up once and for all. Which lot are chasing us this time, by the way?"

"The Russians" ...

"The Russians - couldn't be better. Anything less and Dad wouldn't have accepted it as a fair comparison."


 あと、Royal Army Service Corpsっていう言葉が出てくるんですが、たしか王立補給部隊とかなんとか訳されていたかと思うのですけど(かなりうろ覚え)、The acronym for the Corps - 'Rob All Serving Comrads'なんて書かれていて、実際にこの部隊はそんなこと言われていたんですかね。というかRASCっていう部隊なんてのがあったということ自体、この小説で知ったんですが。


 こんなふうに拾い読みしてたら面白くなってきて、結局最初から読み返してしまいました。ジェフリー・アーチャーの特徴だと思うんですけど、ハラハラしたシーンが結構ありながらもユーモアをちりばめているんですよね。アダムが救出に来た飛行機に走って乗り込もうとすると、緊迫した場面なのにパイロットが手を差し出すんでよ。Only a British officer could shake hands in such a situation, thought Adamなんて書いています。それと終盤でのクライマックス、タワーブリッジでのKGBのエージェントとの緊張に満ちた取引をし、相手が素早くバイクで去った後のシーンが結構好きです。

Adam began to relax when suddenly he felt a sharp prod in the middle of his back. He jumped round in fright.

 A little girl was staring up at him.

 "Will you and your friend be performing again this morning?"


 古い作品ですけど、小説としての面白さは今読んでも変わらないかと。スパイものやサスペンスものがお好きな方はどうぞ。 

2025年8月23日土曜日

『ラヴェンナ:ヨーロッパを生んだ帝都の歴史』

  ラヴェンナっていったらイタリア戦争中のラヴェンナの戦い。Men of Ironシリーズの『Arquebus』(GMT)にもラヴェンナのシナリオが入っていて、陣地に籠って内線防御のスペイン軍と、攻めるフランス軍は複数の部隊を同時活性化させたり砲を川の向こう側に動かして敵陣を側面から砲撃したりと、結構変化に富んでいて面白いんですよね。『Arquebus』、再版されないかな。

 なので、たまたま『ラヴェンナ』っていうタイトルの本を見つけたときは興味を惹かれたんですが、この本は16世紀のイタリア戦争ではなく、西ローマ帝国崩壊後の中世前期の歴史。タイトルどおりラヴェンナを中心に描いています。この時代のイタリアってぼんやりとしたイメージしかなくて、世界史で勉強した東ゴート王国とかベルサリウスによる奪還とか、ピピンの寄進とかぐらい。で、いつの間にかローマ教皇が力持って叙任権闘争やったりしているという。数世紀にわたる期間で知っていることってこれだけかよ、これじゃいかんと思って『Ravenna: Capital of Empire, Crucible of Europe』を読んでみました。

 筆者Judith Herrinの別の著書『Byzantium: The Surprising Life of a Medieval Empire』ってのを読んだことがあるんですけど、結構読みやすかったんですよね。なので『Ravenna』を買ってみたというのもあるんですけど、でもね、『Byzantium: The Surprising Life of a Medieval Empire』のほうは『ビザンツ 驚くべき中世帝国』ってタイトルで和訳が出ているのは知っていたんですけど、ラヴェンナはさすがに無いだろうと勝手に思っていたんですよ。『Ravenna』を読んでいる途中に、もしかして、と思って調べてみたら、まんまと『ラヴェンナ:ヨーロッパを生んだ帝都の歴史』って訳が出ていましたよ。とほほ。しかし日本の出版文化ってすごいなあ。

 『Ravenna』にはCapital of Empire, Crucible of Europeってサブタイトルが付いているんですが、え、どういうこと? 帝国の首都だったの? ラヴェンナってローマに比べたらあんまりメジャーな都市じゃないイメージがあって、帝都なんてとてもとても…って思っていたんですが、読んで納得しました。あとcrucibleのほうなんですけど、坩堝って意味のほかにa situation of severe trial, or in which different elements interact, leading to the creation of something newとかいう意味もあって、これも読んでいくと納得。ごめんなさい、ラヴェンナ。イタリアのただの地方都市って思ってたよ…。

 この本は4世紀末から9世紀初頭を主に扱っていて、西ローマ帝国の崩壊から東ゴート王国の成立、ユスティニアヌスによるイタリアの奪還、ランゴバルド王国の成立、フランク王国とローマ教皇の結びつきと、高校で習った世界史の知識がかなり肉付けされました。ローマ教皇って西欧のキリスト教世界ではかなり力を持っていたという印象があったんですけど、この時期はそれほどでもなくてラヴェンナと張り合っていたってのも意外。ラヴェンナがビザンツと西欧の結節点になっていた繁栄を誇っていたのが、フランク王国とローマ教皇の結びつきによってやっとローマが優勢になっていくみたいですけど、In place of the historic, culturally powerful and symbolic connection between Old and New Rome, a North-South axis was established to link Rome with transalpine Europe where the Franks were consolidated their powerだそうです。

 ラヴェンナがビザンツのイタリアでの拠点だったことから、ビザンツ史についても当然ながらかなり説明が割かれています。ビザンツ好きだったら読んで損はないかと。exarchateなんて単語、見たことあるけどこんなに繰り返し出てくる本は初めてでしたよ。というか、やっぱり自分の知識って西欧中心の世界史が基になっているんだなあって改めて実感しました。

 それと、Romanって単語が頻繁に出てくるんですけど、そのうちRamenって見えてきてしまいまして。Roman Empireってラーメン帝国かあ、いいなあ、と……。いやいや、いかんいかん、暑さで頭がちゃんと働いていないのかな。それとも単に腹が減っているだけなのか…。

 もちろん、叙述の中心はラヴェンナについてで、この著者の『Byzantium: The Surprising Life of a Medieval Empire』のほうもそうでしたけど文化面についてもかなり充実。ラヴェンナに行っていろんな建築を見に行きたくなりましたよ。カール大帝がアーヘンをローマではなくラヴェンナを見習っていろいろ建築して行ったってのも意外でした。

 相変わらず知らないことばかりだったんですが、逆に言うと知る楽しみに満ちていたというか、隙間だらけの自分の知識を結構埋めてくれる本でした。ラヴェンナ行くことあったらモザイク見なくちゃ。

2025年8月13日水曜日

『流血の夏』 — 1381年ワット・タイラーの乱

 ここんとこ『黒太子』とか他の本とか読んで14世紀のイングランドに興味が出てきたんですが、高校の世界史で習ったワット・タイラーの乱も14世紀だな、でも全然知らないなと思って簡単そうなものを探して読んでみました。

 この本、『Summer of Blood: The Peasants' Revolt of 1381』の筆者ダン・ジョーンズと言えば中世物をいくつか書いていますが、なかでも出世作の『The Plantagenets』、ニューヨークタイムズのベストセラーになったことからもわかるように無茶苦茶面白いんですよね。なんでまだ和訳が出ないんだろ。プランタジネットって日本人には馴染みがなくて売れないと思われているのかな。でもそんなこと言ったら比較的マイナーであろうテンプル騎士団を描いた『テンプル騎士団全史』は訳が出てるしね。『The Plantagenets』はあれだけ売れたから、翻訳権が高いのかなあ。


 それはさておきさっそく読んでみたんですけどね、The year 1381 is a signpost on the road from the battle of Hastings in 1066 and Magna Carta in 1215 to Bosworth 1485, the Armada 1588 and everything beyond.なんて序文に書かれていて、おお、そんなすごい出来事だったの?と期待が膨らみました。でもね、あれれ、なかなかワット・タイラーが出てこない? 第4章がA Call to Armsってタイトルになっていて、おお、やっとか、と思ったら次の章、全体の4分の1ぐらい進んだところで登場しましたよ。しかもね、残り4分の1ぐらいを残したところで死んじゃうんですよ。ワット・タイラーがこの乱の主役じゃないの? まあこの乱は英語では一般的にthe Peasants' Revoltって呼ばれているようで、ワット・タイラーはその初期の軍事的指導者だったみたいですね。ちなみに筆者のダン・ジョーンズはthe Peasants' Revoltという呼称について、the slightly misleading shorthand that historians have given the rebellionって序文に書いていて、本を読んでいくとなんか納得しました。

 ワット・タイラーについては、he certainly had the ability to marshal, muster and command a disparate band of recruits on long marches and flash raids.とか、He was a bold and inspirational general who seemed to leave a mark on many of those who came into contact with him.とかmilitary nousとか書いていて、軍事的な能力は評価しているようです。実際、この乱の初期は叛乱した群衆の統制が比較的とれていたことが繰り返し描写されていて、例えばロンドンになだれ込んだ反乱軍は圧政の象徴だったジョン・オブ・ゴーントの豪奢な屋敷を焼き討ちしていますが、無差別に略奪に走ったりしていないみたいなんですよね。しかしジョン・オブ・ゴーント、かなり嫌われていたんですなあ。

 どっちかというと、この本を読んで乱当時の王リチャード二世のことがよくわかりました。薔薇戦争関連の本を読んでいるとリチャード二世からヘンリー4世が王位を奪うあたりから書き始めていることが結構あるんですけど、あんまりリチャード二世にはいいイメージが無かったというかイメージを持つほどあの王について知っているわけではなかったんですよね。この乱のときリチャード2世はまだ14歳で、周りには頼りになる経験豊かな貴族もその時はいなかったようで、中学生の年齢で反乱を起こした民衆と対峙するってそんな無茶な、って思いましたよ。ボク、ぜったい無理。実際、反乱軍との一回目の交渉ではかなり譲歩してしまってRichard may as well have handed a blank charter to the rebels, upon which they could write his approval for any act they chose.なんて書かれています。でも二回目のSmithfieldでの交渉のとき、ワット・タイラーはロンドン市長に刺殺されるんですけど、その直後に人が変わったかのようにリチャードが王として威厳ある姿を見せるんですよね。読んでいてびっくり。こんな感じです↓。

He kicked his own horse forward ... on towards the rebels. As he approached he began to shout to them that he commanded them as their king to make their way out of Smithfield and follow him ...

14歳の時って自分、ビビりであほなことしかしてなかったなあ。それはさておき、筆者もThe rebellion of 1381 was in many senses the making of King Richard II.って書いています。


 ワット・タイラーの乱は「アダムが耕しイヴが紡いだとき、誰が領主だったのか?」って言葉でも有名だと思うんですけど、この名台詞 When Adam delved and Eve span, Who, then, was the gentleman? も当然出てきました。この言葉からもわかるように平等を訴えるといいますか社会改革的な側面もこの乱にはあったみたいで、黒死病による農民と領主の関係の変化など社会・政治・経済的な側面についてもこの本は触れているんですが、200ページちょいぐらいでこの乱の流れが一通りつかめて自分には勉強になりました。




2025年8月7日木曜日

アントニー・ビーヴァ―『革命と内戦のロシア 1917-21』

 アントニー・ビーヴァーっていったら『スターリングラード』とか『ベルリン陥落1945』とか多くの著作があって、ウォーゲーマーにはおなじみの作家では。自分も『スペイン内戦』とか面白かったんですけど、今回読んでみたのは約百年前のロシア内戦を描いた『Russia: Revolution and Civil War 1917-1921』。

 ロシア革命についてはまあいくつか本を読んだことありますが、その後の内戦についてはほとんど知識がなくて。VaeVictis75号のLa Bataille de Orёlは持っていて、ヒストリカルノートも今回ふんふんと読んでみたんですが、1919年9月から10月にかけてのデニーキンの攻勢と赤軍の反撃という、時期的にも地域的にもかなり限定された記事。広大なロシア全土で何年にもわたって繰り広げられた内戦の全体像を知るには物足りませんでした。


 その点、『Russia: Revolution and Civil War 1917-1921』は500ページちょいあって読みごたえがありました。でもね、半分ぐらい読んでから、あれ、そういえばビーヴァーの本って結構和訳出てるよね。もしかしたらこの本も…と思って調べてみたら、白水社から『革命と内戦のロシア 1917-21』って邦題で上下二巻が出てましたよ。しかも出版されたの今年じゃん。和訳があるんだったらそっち読めばよかったよ。とほほ…。でもペーパーバックは中古で千数百円で買えたからいいんですよ。白水社さんすみません。

 この本、読む前からわかっていたことなんですが、いやもう敵味方ともにひどいというか凄惨な残虐行為を行っていて、読んでいるともう勘弁してと言いたくなりました。アンジェイ・ワイダの「カティンの森」のラストシーンが思い出されてしまったんですけど、たぶんあれとは比較にならない冷酷かつ残虐な処刑が行われたんでしょうな。マジで鬱展開…。この本の最後は以下の二文で結ばれているんですけど、まさにそんな感じでした。

All too often Whites represented with the worst examples of humanity. For ruthless inhumanity, however, the Bolsheviks were unbeatable.


 でも、そんな悲惨な状況が何年も続いても、文学や音楽、バレエや絵画といった文化の伝統が現代まで連綿と受け継がれていて、人間ってすごいなって逆に希望が湧いてきましたよ。あれ、自分、今いいこと言った?


 まあそういった凄惨な場面の描写だけでなく、赤軍や白軍の展開や、独立を目指すバルト三国をはじめとした旧ロシア帝国内の各国の動き、それに有名なチェコ軍団や列強の干渉などもちゃんと描かれています。チャーチルがなんとかボルシェビキ政権をつぶそうとして躍起になっているけど結局失敗しているのは、なんかざまーみろって感じでした。チャーチル・ファンのかた、すみません。それはさておき、ロシア内戦での英軍の動きも結構描かれています。

 あと日本人的にはシベリア出兵だと思うんですが、自分のシベリア出兵に関する基礎知識は『乾と巽 -ザバイカル戦記-』なんですよ。ははは。で、日本軍はどんなふうにこの本で描かれているのかなって思っていたら、米軍人の記録が載せられているんですけど、日本軍はYoshewaraを連れてきていたって書かれているんですよね。え、これって吉原のこと? 「べらぼう」やってるし、なんてタイムリーな……なんて思ったりしたんですけど、Each of their solders is given a certain allowance of Yoshewara tickets, which they use or trade, or gamble with them, as they see fit it.なんてなことも書かれていて、複雑な気持ちになりました。


 とにかくいろいろと考えさせられることが多かったこの本。10月革命前のボルシェビキについて描写してところで、One of the Bolsheviks' great strengths at a time when the masses had little political sophistication was to make their orators repeat slogans, not to try to convince their audience through argument (a technique which still seems to work). なんて筆者がボソッと書いていて、ほんとそうだなって思ってしまいましたよ。

 


Battle of Wada (Bushi Life #5) AAR part5

-Turn 7  The Wada restored their forces to full readiness. While the Bakufu had conducted a successful volley in the previous turn, it was t...