2025年1月19日日曜日

欧州のウォーゲーム界が熱い! 『EuroWarGames』

  ウォーゲームと言ったら昔はSPIやAvalon Hillなどアメリカが本場って感じがあったみたいですよね。でも最近はスペインをはじめフランス、ドイツ、イタリアで規模は小さいながらもいろんなパブリッシャーが生まれていて、なんかヨーロッパが元気みたい。と思っていたら、『EuroWarGames』という本が出たので読んでみました。いや、正確に言うとKickstarterで思わず蹴ってしまってそれが届いたので読んでみたんですけどね。


 この本にはThe history, state and future of professional and public (war)gaming in Europeって副題っぽいのが付いていて、様々な国から十数人の執筆者が寄稿しています。ですが、それよりも裏表紙にあったWargaming is on the rise again. Or did it never falter?っていう惹句的なものに惹かれてしまいました。

 過去二、三十年の間、ユーロゲームの流行によってウォーゲームは陰りが見えてきた。その一方で、ヨーロッパのウォーゲームのコミュニティは地理的にはお互い近くに集中しているのに言語的障害と歴史的要因から国境によって分断されてきていた。その結果、ヨーロッパの多様で豊かなウォーゲームの活動は世界的には知られてこなかった…

 なんてことも裏表紙に書かれているんですけど、「ユーロゲーム」って言葉、自分は聞いたことあるけどその定義はよく知らなくて、ここんとこ流行っている(らしい)ボードゲームのことなんだろうなって漠然と思ってるんですけど、あってる?すんません、カタンぐらいしかしたことありません…。

 日本でもゲームマーケットが盛況だったりボドゲカフェが各地にできていたりしますが、ユーロゲームの流行は世界的なものらしいです。ウォーゲームは当然その影響を受けているようですが、その是非が一番最初の章「Attack of the Hybrids! Wargames and Eurogames-derived mechanics」で論じられています。ユーロゲームの影響を受けたウォーゲームが多く出てくることで、多くのハードコアなウォーゲーマー(grognardって呼んでますね)はfeel threatened by this sudden evolution, fearing that such an approach could "betray" the purity of age-old mechanics and conventionsなんて書かれています。日本でもそういうウォーゲーマー、結構いるんじゃないでしょうか。Euro-invaders of the simulation worldなんて表現もありました。でもこの執筆者は、ユーロゲームとウォーゲームのハイブリッドについて、デザイナーにとって簡単ではないがthe challenge surely is worth the try if we want to persevere in the oldest tradition of wargame design: innovationって言っています。

 他にもいろいろと面白い章があったのですが、真っ先に目を引かれたのはスペイン関連の記事。スペインのウォーゲーム業界ってほんと、元気がありますよね。この本に収録されているのは、Bellotasというタイトルの章で執筆者はLevy&CampaignやCoinシリーズのデザイナーVolko Ruhnke氏です。BellotaConという毎年1月にスペイン南西部の街Badajozで開かれているウォーゲームコンベンションについて、2018年の第一回から参加したときのことを書いています。

 ちなみにBellotaConはこの1月23日~26日に第8回が予定されています。おお、もう直前じゃん。

https://bellotacon.es/

 この章では、スペインでも何十年にわたってウォーゲーム界を悩ませてきた問題、すなわち高齢化がある、なんてなことも書かれていて、これは日本とも共通なのかな。でもその一方で、昔ボードゲームを遊んだ世代はもう子供が独立し仕事も安定しているので、ウォーゲームに戻ってきているんだそうです。それだけでなく、ヨーロッパ全体と比較してスペインではウォーゲーマーが高い割合で増えていっているという根拠もいろいろあるんだとか。うーん、いいなあ。

 それと、BellotaConのBellotaってスペイン語でドングリという意味ですが、ドングリを食べさせた豚から作るハムがこの地域は有名だそうで、そこからこのコンベンションの名前をとったと書かれていました。へー、知らんかったよ。BellotaConはもともと少人数のウォーゲーム愛好家たちが始めたもので、そういった人たちの献身的なコミットメントがあってこそ成立していたとのこと。どんどん成功して参加者が増えるにつれ、長期的にはパブリッシャーも単にサポートするだけでなく積極的にかかわっていく必要がある、ということは以前から指摘されていたそうです。でもCOVIDの時期をDiscordなどオンラインでの開催で乗り越えていったとのこと。今年の第8回も盛況になることでしょう。

 

 ほかには、イタリアでのウォーゲームの盛り上がりについても書かれた章がありました。たまたまこれを読んでいたので、先日ブログで紹介したユーチューブも興味深く視聴することができましたよ。ちなみにあのユーチューブ動画のRiccardo Masini氏は『EuroWarGames』の編者の一人に名前が入っています。

 イタリアでは月に計2万5000部売れているゲームマガジンがあるって書かれているんですが、マジ? そして一般的なボードゲームとウォーゲームのオーバーラップが見られるそうで、ウォーゲーマーの数は限られているとのこと。イタリア産のウォーゲームの強みとしてはクリエイティビティを挙げています。アメリカの主要パブリッシャーと競争するのは意味がないため、ほとんどのイタリアのパブリッシャーは第二次世界大戦の独ソ戦やアルデンヌ、ゲティスバーグやワーテルローといったメジャーなものは作っておらず、様々なテーマで多様なシステムを採用していて、そういったニッチさからクリエイティビティに価値を置くことになっている、とのこと。イタリアのウォーゲームがユニークなテーマを扱っていることに惹かれて、外国の業者が取り扱うようになるというトレンドが生まれているそうです。

 面白かったのは、イタリア統一戦争と第一次世界大戦は軍事面に関してはほとんど知られていないとのこと。イタリア人にカポレットやソルフェリーノがどこにあるか聞いても答えられないんだそうです。そのため、記事の執筆者はゲームが歴史の知識を広めるのにも役立つと指摘しています。


 ところでヨーロッパのウォーゲームと言えば、小さなウォーゲーム屋さんが精力的に輸入、日本に紹介していますね。と思っていたら、こんなことが書かれていました。

half of Europa is courting Bonsai Games to translate Yasushi Nakaguro's games

へー、Bonsai Gamesはヨーロッパでモテモテなんですね。


 あと、たかさわさんが紹介していたこの記事を併せて読むともっと面白いと思います。ちなみにセイビン教授はこの本でも言及されています。



 とまあ、いろいろと勉強になったんですが、一番印象に残っているのはイントロダクションの最後の方に書かれていたこの言葉。

our hope is that this initiative(この本のことですね) will be of further encouragement for all the different national wargaming communities to strengthen their connections, multiply their contacts, share their experiences in a scenario of mutual growth and cooperation.

ほんと、そんなふうになるといいなあと思います。

2025年1月17日金曜日

イタリアで語る、日本のウォーゲーム事情

  つい最近、ヨーロッパのウォーゲーム事情についての本を読んだんですけど、たまたまイタリアのウォーゲーマーが日本のウォーゲームについてユーチューブで語るというをTwitterで見つけたので見てみました。

10歳の時からウォーゲームをしているというRiccardo Masini氏の番組に、日本のウォーゲームに詳しいAndrea Pavanさんが登場。ちなみにAndrea Pavanさんは去年の夏に日本に来ていたようです。

それと、武士ライフ第伍號の「和田合戦」をイタリア語に訳したりしています。いやー、武士ライフ好きとしては嬉しいなー。

 Riccardo Masiniさんは動画の中でもいくつか日本のウォーゲームを取り出してましたが、ウォーゲームだけでなく歴史にも詳しいみたいで、今後出るであろうゲームの話題の中で日本と中国の戦争のもの、とAndreaさんが言ったら、それって日露戦争の前の戦争、それとも後?って即座に聞いていました。日清戦争ってマイナーだと勝手に思っていたんですけど、知っている人は知っているんですね。

 この動画ではざっと日本のウォーゲームの歴史を振り返ったりしていましたが、鈴木 銀一郎、黒田 幸弘、中黒靖、中村テツヤ、山崎雅弘、福田誠といった日本人デザイナーが挙がっていました。今後注目するデザイナーを聞かれたAndreaさんは、堀場わたるって答えてましたね。子猫のゲームを作ったりするけどって笑ってましたけど。でもこの動画を通して一番よく触れられていた名前はナカグーロでした。

 日本のウォーゲーム雑誌もBANZAIを中心に紹介されていたんですけど、「武士ライフ」も出てきて嬉しかったです。ミニ雑誌だけど、コンパクトなゲームと、関連した歴史的な記事がついているって紹介していましたね。こういった中世の日本を扱ったものは、我々には手が届かないニッチなマーケットだって言っていました。あと、「A Victory Lost」(激闘!マンシュタイン軍集団)や「Most Dangerous Time」(信長最大の危機)は海外でもよく知られているようですが、これらはもともと雑誌付録だったとAndreaさんが言うと、Riccardoさんには意外だったようですね。

 日本のウォーゲームの特徴として、シンプルさというウォーゲームの古典的な部分と革新的なものを組み合わせている、と言っていましたね。シンプルさについては、少ないルールで誰でもプレイできるようになっているけれども、歴史性の深みも兼ね備えている、と。革新的なものは、「激闘!マンシュタイン軍集団」や「ワルシャワ1920」が挙げられていました。それとBANZAI20号の「ロンメルがゴーグルを拾うとき」は、すごく要求の高いプレイヤーでも楽しめるだろうって言ってましたね。あ、もちろん日本のウォーゲームの品質の高さもほめていて、見た目が美しいだけでなくちゃんとテストプレイもしている、ってことも指摘していました。

 ところでウォーゲームとは関係ないけどTakeshi's Castleって言葉がちらっと出てきて二人とも笑っていたんだけど、これって「風雲たけし城」のことですよね。イタリアでも放送されていたのかなあ。

 あと、RiccardoさんはBANZAIを取り出して、日本語はわからないけどグーグル・レンズで訳して読んでいるって言っていました。こうやって自動翻訳が便利になり普及していくのを見ると、言語の障害がどんどんなくなっていろんな言語圏との交流から新しい流れが出てくるといいな、なんて思いました。とにかく二人が楽しそうに日本のウォーゲームについて語るのを見ていると、日本のいちウォーゲーマーとしては嬉しい限りでした。「武士ライフ」とかがいろんな国で紹介されてプレイされるといいなあ。


2024年12月26日木曜日

『マーク・ハーマンが語るウォーゲーム』

 マーク・ハーマン先生と言ったらウォーゲーム界の大御所。SPIの時代から約50年のキャリアを誇るウォーゲーム・デザイナーで、「For the People」や「Empire of the Sun」など数十のゲームをデザインしてきた…

 なんて説明は不要なぐらい有名だと思うのですけど、そのマーク・ハーマンが『Wargames According to Mark』という本を出したので読んでみました。タイトルどおり、ウォーゲームとはこうあるべきという内容ではなく、あくまで自分はこうやってウォーゲームをデザインしてきた、というもの。My Views on Wargame Designっていう部があって、The Sequence of Play and Initiative or How to Organize ChaosやWargames CRTs or How to Resolve Chaosといった章が並んでいます。最後のほうには「We The People」や「Fire in the Lake」などいくつかのゲームのデザイナーズノートも付いていました。

  この本では「Empire of the Sun」とか「Churchill」とか、マーク・ハーマンがデザインしたゲームを多数取り上げてどうデザインしたのか、ということを論じてくれていて、実際にプレイしたことのある人だったら、あー、なるほど、そういう考えでデザインしたのか、と膝を打つような感覚が続出するんだろうなあと読みながらずっと思いました。実は自分、プレイしたウォーゲームの数も所持数も少ないから、この本に出てくるゲームって名前を聞いたことはあるけどってものばかりなんですよね。それによく考えたらアメリカのパブリッシャーのものってあんまり持ってないんで、余計に縁遠いというか。も、もちろんSPIのことは知っていますよ。ははは…。あと、この本を読んで気が付いたのが、自分はそれほどゲームシステムには関心がないんだな、ということ。デザイナーさんとか、システムに興味がある人だったらもっとこの本でマークが述べていることがいろいろと勉強になるんだろうなあと思いました。とほほ。

 それでも、Experiencing the dynamics of a battle is what separates wargames from narrative history.なんて言葉にうんうんとうなずいたり、When I am designing an historical wargame, by definition I am creating alternative history.っていうところにもそうなんだろうなと思えたりしました。あと、Due to the limits of my allowance when you got a new game, you played it a hundred times. That world is gone and while I may be nostalgic for that in my life, the competition for personal time precludes that level of commitment except to a few personal favourites.

って書いていて、先日ブログでも触れましたがつい最近ウィリーさんが同じようなことを言っていたのが思い出されました。

師走に書いても鬼は笑うか?

 と、まあちょっと消化不良気味なんですが、how does one capture the psychological element of uncertainty even as you have visual and textual information not available to your historical persona?とかウォーゲーマーだったら関心がある点が結構述べられていて楽しめました。いろいろとゲームをプレイしながら、「そういえばああいうこと書いてあったな」と振り返るんだろうなと思います。デザイナーさんやウォーゲームに詳しい人の感想を聞いてみたいなあ。




 


2024年12月20日金曜日

マーケット・ガーデン80周年なので読んでみた、『9月に雪なんて降らない』

 1944年9月17日の午後、アルンヘムに駐留していた独国防軍砲兵士官のJoseph Enthammer中尉は晴れわたった空を凝視していた。自分が目にしているものが信じられなかったのだ。上空には白い「雪」が漂っているように見えた。「ありえない」とその士官は思った。「9月に雪なんて絶対に降らない!」

 とまあ、いきなりある本からの引用で申し訳ないんですが、今年は1944年から80年。ということでノルマンディーやバルジの80周年ですね。そういえばうちにある本でパリの出版社から出されたのがあるんですけど、初版が1944年。え、パリ解放の前?後?と内容よりもそっちが気になってしまいましたよ。


 自分は最近あんまりWW2のゲームはやらないんですけど、SNSの知り合いで第二次世界大戦ものなんてスルーするでしょって思ってた方が、80周年だからか「Monty's Gamble:Market Garden」(MMP)をやり込まれていて、それに刺激されて興味が湧いてきたのがマーケット・ガーデン。

 マーケット・ガーデンと言ったらまずは映画「遠すぎた橋」が思い浮かびます。印象的なシーンが盛りだくさんなんですが、一番好きなのがこれ。

降伏を勧告されても「Nuts!」みたいな直截な言葉ではなく、イギリス人っぽい返しがなんとも。自分もマーケット・ガーデンのゲームをやるときはあのセリフ、言ってみたいなあ。

「Arnheim auslöschen」(アルンヘムを叩き潰せ)

いやそっちかい! ちなみにアルンヘムは当然ですがドイツ語で「アルンハイム」って言ってますね。


 この映画の原作は『遥かなる橋』ってタイトルで和訳も出ていたけど、今は結構なお値段がついていますね。と思っていたら、原著『A Brigde Too Far』がキンドルで数百円で売っていたので買ってみました。結構分量があるので拾い読みしたんですけど、いやー、いいわー。

 それはさておき、マーケット・ガーデンの80周年では各地で式典が催されたようですね。例えばこれ。

https://www.cwgc.org/liberation/arnhem/

「Out of ammunition. God save the king.」とか、泣けてくるじゃないですか。ちなみにこの言葉、『A Bridge Too Far』にも出てきます。

 80周年の記念グッズ的な物も出されたようです。

https://www.airborneshop.com/clothing/embroidered-clothing/operation-market-garden-80th-para


 と気分は盛り上がったんですが、いかんせんマーケット・ガーデンのゲームはコマンドマガジン74号付録の『マーケット・ガーデン作戦』しかやったことがないんですよね。しかもあれはたしか米英の空挺部隊の死闘というよりは、9月から11月にかけての西部戦線を巨視的に扱っていたんじゃなかったかな。で、もっとあの戦いについて知りたいと思って読んでみた本がこれ、『It Never Snows in September』。 タイトルに引かれて買ったんですけど、このブログ冒頭の引用はこの本の裏表紙に書かれていたもの。読みたくなりません? そういえば「It Never Snows」(MMP)というゲームもありますね。

 『It Never Snows in September』は「The German View of Market-Garden and the Battle of Arnhem, September 1944」という副題のとおり、ドイツ軍側から見たマーケット・ガーデン。筆者のRobert Kershaw自身、1973年からイギリスの空挺部隊に所属していて湾岸戦争やボスニアにも派遣されています。軍務で西ドイツに駐留していた1980年代後半に、マーケット・ガーデンの戦いに加わったドイツ兵の生存者たちにインタビューしていったそうですが、今じゃもうそんなこと無理ですよね。そういう意味では貴重な本かと。第10SS装甲師団の師団長だったHeinz Harmelは、煙草をくゆらせながら地図を広げて直接あの戦いについて語ってくれたそうです。

 フランスからの敗走でボロボロのドイツ軍が連合軍の大規模な空挺作戦と地上攻撃を受け、大急ぎで部隊をかき集めていた様子が如実に描かれています。空軍所属だったのにろくな訓練も受けないまま地上部隊として投入されたり、休暇で2年ぶりに故郷に戻っていた兵士が2時間後にはまた家族から引き離されたり、第一次世界大戦を経験した老兵まで徴集されたり。連合軍が降下した一帯には、フランスで被った大損害から再編成中だった第9SS装甲師団ホーエンシュタウフェンと第10SS装甲師団フルンツベルクが駐留していたのはよく知られていますが、第9SS装甲師団は装備を第10SS装甲師団に渡してドイツ本国に移動するところだったとか。でもまあ、この両師団はノルマンディーの前から敵の空挺降下作戦への対応をずっと訓練していたそうで、少しはドイツ軍に有利な要素があって読んでいてちょっとほっとしました。

 基本的にドイツ軍の状況が描かれているのですが、アルンヘムで奮戦した英第一空挺師団のジョン・フロスト中佐は何度か登場していました。このフロストは映画「遠すぎた橋」でアンソニー・ホプキンズが演じていましたね。赤い悪魔の奮戦はよく知られているかと思いますが、ほんと、ドイツ軍がずっと手を焼いているので早く降伏してくれって思ってしまいました。それだけでなく、この本は最初から最後までドイツ軍が苦戦した様子がこれでもかというぐらいずっと描かれていて、読んでいてちょっとしんどくなりました。ティーガーIIが登場したと思ったら、想定よりも効果がなかったなんて書かれているし。個々の兵士の証言や日記などが随所で引用されていて、臨場感があるだけにどれだけドイツ軍にとってこの戦いが厳しいものだったかが伝わってきました。

 でも最後の方でちょっとだけ、独軍がマーケット・ガーデンを失敗に終わらせた原因について分析していましたが。敵の空挺降下に対する素早い対応が挙げられていましたね。臨機応変に、使える輸送手段は何でも利用したそうで、薪で走る民間車両や消防車まで使ったとか。

 ということで、マーケット・ガーデンのゲームをどれか入手してプレイしたくなりましたよ。プレイするときにはもちろん、「9月に雪なんて絶対に降らない!」と言うと思います。連合軍側だったら、「We'd like to, but we can't accept your surrender. 」って傘を手に持ちながら言いたいなあ。

(この記事は「War-Gamers Advent Calendar 2024」に参加したもので、12月20日分です)






2024年12月17日火曜日

Ouvrons grand les wargames!

 (この記事は「War-Gamers Advent Calendar 2024」用に書きました。もともと12月20日にエントリーしていたんですが、16日と17日がずっと空いていて、主催のHarpoonArrowさんが責任感を持って執筆されるようだったので微力ながら慌てて書いてみた次第です。で、最初にお断りしておきますがビール飲んでいます。なのでちゃんと考えて書いたブログじゃありません。ウォーゲーム界のことをよく知らないのにこんなこと書きやがって、と思われる方がいても許して。) 


 いやー、今年も多くのウォーゲームが出ましたね。自分的に今年買ったもので一番気に入っているのはこれ。

 でもこれだけ多くの作品が出ると目移りしてしょうがないんですが、ウィリーさんの書かれた「師走に書いても鬼は笑うか?」というブログ記事でこういう指摘がありまして。


来年も日本を含め、シミュレーションゲーム界のゲーム出版ラッシュは続くと思われます。10年前でも、コマンド日本版にゲームジャーナルだけで年10作でした。近年はこれにバンザイマガジンが年4作程度加わってるので、日本の雑誌付録ゲームだけで月一プレイだと消化しきれない量になりました。これに海外ゲーム付雑誌の和訳のあるものが加わります。その上にボックスゲームはまた別枠で存在してます。プレイするゲームは可能な限り絞らないとプレイしきれない時代です。

(中略)

何度もプレイして研究してもらえるゲームなんて初見で引き込めた一握りの作品になるでしょう。自戒をこめて書くのですが、何度もプレイしなければおもしろさが伝わらないゲームは初見で捨てられちゃうのです。


 うーん、これは作り手としての問題意識もあると思うのですが、確かにプレイしきれない時代ですよね…。でもクリス・アンダーソンがロングテール理論を提唱して早20年、消費者が多種多様な商品にアクセスできるのは当たり前になっていますよね。ウォーゲームもその埒外にあるわけではなく、逆に多数の作品が出されるのをポジティブにとらえたほうが楽しいんじゃないかと個人的には思います。

 でもポジティブって具体的にどういうことよ、って話なんですけど、最近は出版数が増えているだけでなくテーマというか取り扱う時代・地域も多様化していますよね。日本ではWWⅡ以外はあんまりウケない、他に強いて言うならナポレオニック?みたいな印象が個人的にあるんですが、それもじわじわと変わってきているんじゃないでしょうか。例えば2017年のこのインタビューでは

日本での定番と言えば,戦国時代と東部戦線,太平洋戦争です。最近は日中戦争も意外とイケるテーマになりましたが,当時は厳しい状況でした。一方,米国では南北戦争と独立戦争が定番で,それらは日本市場でウケが悪い。

と書かれていましたが、南北戦争、いまは結構受け入れられていますよね。

 こういったウォーゲームの多様化は海外でも見られるようで、以前ブログでも紹介しましたがあるユーチューブ番組のホストが、最近はユニークな題材のゲームが出てきていて、バルジやスターリングラード以外のものをプレイしたいという新しい層が現れているって言っていました。


 実際、ウォーゲームではマイナーな中世を扱ったLevy&Campaignシリーズは続々と新作が出ていますし、19世紀半ばの会戦をシミュレートするLes Grandes Batailles du temps de Napoléon IIIシリーズは今年も一作でたうえに、ついにケーニヒグレーツも出されるようですし。


 で、この多様化っていうのが先日ジブセイルゲームズさんが書かれたブログ記事「ラストワンフィート:ウォーゲームの普及に関する話」の内容とリンクするんじゃないかと。というかリンクさせられたらいいなあという願望があるんですが。記事にはこんなことが書かれています。


決して少数でない“若い世代”が“男女を問わず”足を運んでくれます。その場限りになってしまう人が多数ではありますが、その後、毎回お会いすることになる若い世代もいらっしゃいます(さすがに少数ではありますが)。


 いやー、嬉しいなー。たぶんですけど、ジブセイルゲームズさんが書かれている若い層の方々が興味を持つウォーゲームは、WWⅡに限らないんじゃないかと。バルジやバルバロッサ、ミッドウェーといった、1960年代後半から1970年代前半生まれのウォーゲーマーの間における定番テーマ、いわば共通言語ですけど、それを当然のものとして共有せず、様々な時代や地域の戦いをフラットな目で見られるんじゃないかなあと。もしそうだとしたら、ウォーゲームの多様化はこういった若い層にアピールするんじゃないでしょうか。でもまったくのあて推量で、というかかなり願望はいっているんですけど、実際どうなんでしょうかね。


 なんてことを考えていると、


ぜひ即売会に自分のブースを構えられて“ラストワンフィート”の知見をされてはいかがでしょうか


 っていう一文がグサッと刺さってきて、いや、自分、売れるようなもの作れないし…と日和ってしまいました。それに辺鄙なところに住んでいるので即売会に参加する物理的ハードルが高いんですよね。東京に出るのに移動で丸一日消えてしまうんですよ。ははは…。


 でも先日女子大で授業をやる機会があって、授業のテーマが民族問題だったもんですから強引にでもウォーゲームを紹介できるのでは、と妄想を膨らましていたんですが。チキンな自分には無理でしたよ…。だって女子大生の集団にウォーゲーム紹介って、無理ゲーでしょ?! (こういった固定観念にとらわれていてはいけないとわかっているのですが)。それに、民族対立ではなく民族共生の話をしちゃったし。というかですね、ワンフィートどころか、リモート授業だったんで文字どおり生徒さんとの距離感がつかめなかったんですよね。でも何とか機会を見つけて、新しく出てきている層に接することはできないかなと思っています。そして中世に興味がある人がいればMen of Ironを熱く押したい!なんて夢想しています。


2024年12月13日金曜日

「1814年戦役で、セザンヌを経由する街道はなぜほとんど使用されなかったのか?」について

 ナポレオニック(だけじゃないけど)についてさかんに発信されているDSSSM(松浦豊)さんが「1814年戦役で、セザンヌを経由する街道はなぜほとんど使用されなかったのか?」というブログを書かれていて、興味をひかれたのでちょっと調べてみました。


なんでパリへの最短経路であるセザンヌを経由する街道を使わなかったのか、という疑問を出されていたのですが、私が説明するよりもまずはブログをお読みいただいたほうが早いかと。

1814年戦役で、セザンヌを経由する街道はなぜほとんど使用されなかったのか?


自分はちょうど、金曜の夜なのに仕事が終わんねーっとビールをあおっていたところだったので、こういう趣味の調べものが進むこと進むこと。

1814戦役のドイツの古い地図を見つけたんですけど、Sezanneを通る道は明らかに細く描かれています。ちなみに1855年作成だそうで、この戦役の約40年後ですね。


やっぱこんな小道よりは主要街道を使ったほうが早かったんだろうなーと思ったんですけど、ドイツ側だけだと何なのでフランスの地図も探してみました。で、見つけたのがこれ。

この地図でも、Sezanneを通る道はChalonsからMeauxの道などに比べると細く描かれているように見えます。ちなみにこの地図は1888年作成のようです。


あと、上記のDSSSM(松浦豊)さんのブログで

「小パリ街道」「大パリ街道」について、『Special Study NR.7 1814 The Fall of Empire』は「プロイセン軍はそう呼んでいた」とP14の注に書いていますが、『Blucher:Scourge of Napoleon』他の資料では何の説明もなく地名として使われており、じゃあ有名なのかと思ってネットで検索するも、まったく引っかからないので全然分かりません(T_T)

って書かれていたので、なんか掘り出し物が見つかるかもと思って探してみたら、クラウゼヴィッツのÜbersicht des Feldzugs von 1814 in Frankreichで小パリ街道(kleine pariser Straße)という表現が出てきてました。ほかにも、1814年3月の戦いについて書かれたドイツ語の資料では「いわゆる小パリ街道」という表現が出てきてました。

 おそらく、もともと大パリ街道(die große Pariser Straße)というのがあって、この戦役で(かどうかわかりませんが)もう一本の並行する街道が小パリ街道と呼ばれるようになったのではないかと。auf der alten und neuen Pariser Straße(古いほうと新しいほうのパリ街道で)という表現もありましたし。

 Die große Pariser Straßeについては例えばこんなサイトを見つけました。

http://ingelheimer-geschichte.de/index.php?id=282

ここでは、マインツからメッツ、ヴェルダン、シャロンを通るって書いてありますね。

ドイツ西部の町についてのサイトで、„Die große Pariser Straße zieht durch das Städtchen und befördert Nahrung und Gewerb.“(大パリ街道はこの街を通り、食料や交易物資が運ばれた)なんて書かれているものもありました。

https://www.rheinpfalz.de/lokal/kaiserslautern_artikel,-wei%C3%9F-blauer-au%C3%9Fenposten-_arid,565202.html


ということで、調べてみるといろいろとわかって面白いわー。でも仕事しなきゃ…。


2024年12月14日 追記

SNSで知り合った方が、1839年の道路図を挙げてくれました。

https://sbataille.berjisan66.com/sbataille_blog/2024/12/14/french-roadmap-19th/

やっぱりセザンヌを通る主要な道路は無かったようですね。


それと、仏国立図書館のサイトで1807年作成の1815版の地図を見つけました。セザンヌを通る道はRoutes de Communication、大パリ街道ほかはRoutes de Postes et de Messageries Impérialesとなっていて、この二つの違いはちゃんと調べていないんですが、後者は名前からして主要街道なんだと思います。



2024年12月2日月曜日

アンナ・コムネナが生きた時代を知る-『12世紀の地中海』

  12月2日はアンナ様の誕生日。ということでアンナ・コムネナ関連の本を読んでみました。アンナが活躍したのは12世紀ですが、『La Méditerranée au XIIe Siècle』はそのタイトルどおり12世紀の地中海世界についてまとめた本。この時代の地中海って面白いんですよね。中央部ではフランスから来たノルマン人が勢力を拡大して、東と西では十字軍にレコンキスタ。というか、この本の目次を見たほうが早いんですけど、まずは西欧キリスト教世界の拡大、ビザンツ帝国の衰退、分裂したイスラム世界って地中海の3つの文明について前半で説明していて、次に3つの地域での異文化の接触として、南伊のノルマン人、スペインのレコンキスタ、東方の十字軍という章立てになっています。こうして巨視的な感じでまとめてくれるとバラバラだった知識がすっきりつながって嬉しい。自分が大学受験で世界史の論述問題の勉強していた時、こういう本を知っていたらありがたかっただろうな―と思いました。

 この時代のビザンツと言えば、前世紀に東ではマンジケルトでけちょんけちょんに負けて、西ではノルマン人に領土を奪われるという踏んだり蹴ったりで、アンナ様のお父様が何とか立て直してますね。この本でもお父様のアレクシオス一世や、アンナ様の宿敵、じゃなかった弟のヨハネスは何度か触れられています。アンナ様についても当然書かれている…って思ったら、あれ、無い。え、アンナ様の名前が出て無いの? 見落としちゃったのかな…。まあ、この本ではビザンツはメインではないですし、書かれている内容もあんまり嬉しいものじゃないんですよね。「ビザンツ帝国の衰退」っていう章タイトルからしてそれがわかるんですが、その章の中には「ビザンツ帝国の政治的・軍事的危機」とか「ビザンツ帝国の経済的・社会的危機」といった節が立っていて、危機ばっかりじゃねえかと突っ込みたくなりました。いやまあ、ビザンツの歴史って危機の連続だったと言えばそうなんですけどね。

 12世紀の十字軍と言ったらウォーゲーマー的にはリチャード獅子心王とサラディンが知られていると思いますが、サラディンはしばしば寛容の精神を示したためキリスト教徒たちが勇敢な騎士像をサラディンに見出した、なんて書かれている一方で、リチャードはアッコンを陥落させたときに抵抗した兵士だけでなく女性や子供も処刑したことが触れられていますね。あと、以前AARを書いたアンティオキアやサグラハスといった戦いも出てくるのがちょっと嬉しい。イベリア半島では1195年にAlarcosでキリスト教勢力が大敗するんですが、第二のサグラハスなんて書かれていました。たしかにサグラハスでもアルフォンソ六世がぼろ負けしてたもんね。それと、Levy&Campaignシリーズの「Almohavid」が扱う時期の前後の流れもわかるようになっています。

 『La Méditerranée au XIIe Siècle』では政治・軍事的なことだけでなく、この時代の文化的側面も解説してくれています。12世紀の地中海と言ったらいわゆる12世紀ルネサンスがありましたが、スペインでの様々な文献がアラビア語からラテン語に翻訳されたことが述べられています。あと、『昼も夜も彷徨え マイモニデス物語』っていう小説があって、主人公のマイモニデスは中世最大のユダヤ思想家ともいわれ、迫害などを避けスペインからエジプトまで亡命しサラディンの侍医になったりした人なんですけど、『La Méditerranée au XIIe Siècle』でもマイモニデスが出てきて、医学と哲学の面での功績が解説されていましたね。それとユダヤ人と言えば、十字軍でもっとも被害を受けたのがユダヤ人だって書かれていました。

 というわけで、12世紀の地中海世界のゲームがやりたくなってきましたよ。十字軍関連のものでもやってみるかな。でも会戦級ばかりで、広い地域を扱ういわゆる戦略級的なものは持っていないんだった。バラバラだった知識がすっきりつながったとか書いておきながら、活用できないじゃん…。

ライプツィヒの戦いについて手軽にまとまった本を読むならー『ライプツィヒにおける諸国民の戦い』

  1813年10月18日の朝5時ごろ、アウグスト・フォン・グナイゼナウは妻に手紙をしたためていた。  「世界の歴史の中でこれまでほとんど起こらなかったような戦いをむかえる朝に、これを書いている。我々はフランス皇帝を完全に包囲した。この戦いはヨーロッパの運命を決定づけるだろう」 ...