2024年11月30日土曜日

ブルゴーニュvsスイス Grandson 1476 - Epées et Hallebardes 1315-1476 (VV81) AAR part7

 ●第9ターン

 イニシアティブはブルゴーニュ軍がとった。両軍とも消耗しきっているこの終盤、やるかやられるかだ。シャルル・ル・テメレールが動かせるだけの兵をかき集めて攻撃。スイス軍は熾烈な射撃に耐えられず次々と敗走していく。これまでの激戦でスイス軍の多くは士気低下かつ疲労状態となっており、この状態でさらに士気低下の結果を受けると敗走してしまうのだ。このターンもシャルルが陣頭に立って白兵戦、Goldiのユニットを壊滅させた。マップ上方のCampobassoも奮戦、スイス軍右翼に追い打ちをかけた。


 このCampobassoはイタリア人で、Campobasso伯Nicola di Monforte、フランス語だとNicolas de Montfortと表記されるようだ。『Charles the Bold』ではCola de Monforteってなっていた。このGrandsonの戦いの翌年、シャルルが戦死したナンシーの戦いでは敵に寝返りブルゴーニュ軍の敗戦に貢献している。不利になったら臆面もなく味方を見捨てて敵側につくイタリア傭兵隊長コンドッティエーレっていう、自分が勝手に持っているイメージにピッタリである。『Charles the Bold』ではthe traitor Campobassoなんて書かれていた。たぶん、VaughanはCampobassoに怒ってるよね。


 マップ下方では両軍の死闘が続く。ブルゴーニュ軍Hochbergがわずかに残っている弓兵でEptingenの騎兵を壊滅させるも、スイス軍の攻撃で台地上からブルゴーニュ砲兵は掃討された。

 両軍ともに損害が蓄積していっているが、壊滅による勝利得点はスイス41,ブルゴーニュ32といまだスイスが有利。ブルゴーニュはConcise村を奪還したが、その5点を計算に入れてもスイス軍がまだ得点的には上回っている状況だ。次で最終ターン。ブルゴーニュ軍は最後の奮闘で得点差をひっくり返すことができるか。一方のスイス軍はボロボロの状態だが、なんとか敵の最後の攻撃をしのぐことができるか。


●第10ターン

 最終ターンである。射撃フェイズでマップ下方のFaucingy部隊に損害を与えたブルゴーニュ軍は、さらにイニシアティブも獲得。シャルルが全力で敵に追い打ちをかける。射撃によってScharnachtalのユニットが壊滅。シャルルが率いる精鋭騎兵が敗走しているFaucignyを背後から襲い壊滅させた。

 スイス軍は頼みの左翼(マップ下方)のFaucigny部隊も半壊し、ほとんど何もできず戦列を整えようとするのが精いっぱいである。ブルゴーニュ軍はCrèvecœur、Orange、Campobassoと各部隊が消耗しているスイス軍に白兵戦をしかけていった。

 そして戦いは終了。敵よりも勝利得点を7点以上獲得したほうが勝ちである。終盤の猛攻によって、壊滅や敗走ユニットによる得点でブルゴーニュ軍が3点上回った。さらにConcise村を確保していることで5点プラス。だがブルゴーニュ軍騎兵が攻撃できなかったターンが3つあり、それを差し引くとブルゴーニュ軍とスイス軍の得点差は5となって、引き分けに終わった。


 いやー、最後まで勝負がわからないいい戦いで両プレイヤーとも楽しめました。既述のようにスイス軍は戦力、兵質、兵種も優れているので白兵戦では優位に立つし、士気低下したり敗走しても兵質が高いので回復しやすい。それに士気ボーナス3という鬼のようなRedingもいるし。なのでブルゴーニュ軍は不利かと思いきや、今回は弓兵を有効に活用して互角以上の戦いができたんじゃないかな。le Téméraireなんてあんまりいい意味ではない呼び名をつけられたシャルルの汚名返上、といったところではないでしょうか。

2024年11月26日火曜日

(幕間その3)『Charles the Bold』 ― ブルゴーニュ公シャルル・ル・テメレールについて知りたくなって読んでみました

  またまた幕間なんですが、これまではブルゴーニュ全体についての書籍だったので、シャルル・ル・テメレールについての本もということで読んでみたのが『Charles the Bold』。筆者のRichard Vaughanは中世後期が専門の歴史家で、ヴァロア・ブルゴーニュ家について知りたかったらこの人の著作はまず読んどけ、という感じらしい。Vaughanはシャルル・ル・テメレールだけでなくヴァロア家のブルゴーニュ公4人ついてそれぞれ本を出してます。以前読んだ『L'Etat bourguignon』でも前書きのところでおすすめしていたな。でも、なぜかフランス語に訳されていないって書いてあったけど、なんでなんでしょうね。『Burgund』でも触れられていて、1970年代になってブルゴーニュの歴史を政治的文脈から離れて新しい資料の発見によって研究する流れが出てきたそうで、Vaughanは統治に関する文書を特に活用したって紹介していました。ちなみにVaughanは鳥類学者でもあるそうです。どういう経歴なんだ。まあとにかく、Vaughanはそれまでのシャルル・ル・テメレールのイメージを変え、より正確な形で描写しようとしたようです。猪突公とかとも訳されるLe Téméraireという呼び名にはネガティブなニュアンスがあるようだということは以前触れましたが、Vaughanはシャルルがseems to have been by no means over-ambitious, still less rash, conquerorとか、by no means rash in the sense of reckless, in spite of his nineteenth-century French nickname Téméraire: he was much too sensible or cautiousということを所々で書いて、シャルルはそんな無鉄砲じゃないよって伝えたいみたいですね。

 この本は1467年にシャルルの父であるブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボンが死去したときから始まっていて、1477年のナンシーの戦いでシャルルが亡くなるまでを描いているんだけど、本文がペーパーバック版で430ページほどあるので結構いい勉強になりました。

 軍事的なことを結構書いているのが結構嬉しかったりします。おかげであの辺の地理も少しはわかるようになりました。シャルルがかかわった戦いとしてはLa guerre du Bien public(一般的になんて訳されてんの?公益同盟戦争?)とブルゴーニュ戦争が昔VaeVictis誌でゲームになっていて、両方ともL'or et l'acierシリーズですなんですけど、手に入んないだろうなあ。

 ブルゴーニュ軍での傭兵についても書かれていて、イタリアの兵に特にシャルルは頼っていたそう。イタリア兵はブルゴーニュ軍で占める比率が次第に高まったそうで、1472年の夏の対仏戦役でシャルルの軍にイタリア兵が実質的いなかった状態が終わり、Grandsonを含む1476年の対スイス戦役ではブルゴーニュ軍はイタリア兵が主力を占め、少なくとも指揮官レベルではそうだったということを書いています。そういえばシャルルから約150年後の30年戦争でも、ブルゴーニュ公国にあたる地域がスペイン回廊Spanische Straßeと呼ばれてイタリアからスペイン領ネーデルラントへの兵の供給路となっていたんじゃなかったかなあ。でもあの時はイタリア兵じゃなくてスペインからの兵でしたっけ。あと、ブルゴーニュ軍ではイタリア兵に次いでイングランドの兵が重用されたそうですね。

 Grandsonの戦いもこの本では数ページを割いて記述しています。この戦いのほんの3か月前、1475年12月はperhaps marks the high peak of Charles the Bold's political fortunes; the zenith of Burgundian power in Europa.なんてなことも書いていて、ほかの本でLa défaite inattendueとかeine überraschende Niederlageとか、Grandsonが思いがけない敗北って描写されていたのもよくわかりました。あと、AARを書いているゲームでユニット化されているScharnachtalやChâteau-Guyon、Campobassoといった名前もこの本で出てきて、ちょっと嬉しい。

 相変わらず知らないことだらけで勉強になりまくりだったんですけど、シャルル・ル・テメレールに興味があるんだったらかなりためになる本じゃないですかね。シャルルが活躍するであろうVaeVictisの「Les Guerres de Bourgogne 1474-1477」や「La Guerre du Bien Public 1465」を何とか手に入れてプレイしてみたいって思いましたよ。

2024年11月23日土曜日

ブルゴーニュvsスイス Grandson 1476 - Epées et Hallebardes 1315-1476 (VV81) AAR part6

 ●第8ターン

 このターンも両軍が射撃戦を展開。ブルゴーニュ軍の槍兵が砲撃で吹き飛び、砲兵も壊滅した。スイス軍も射撃を受けてマップ中央から上方にかけて兵力が消耗していった。

「でもさ、この時代の砲弾って炸裂しないんでしょ? 敵の撃ってきた弾を再利用できなかったのかな。ほら、テイラー・スイフトも歌ってるじゃん、I could build a castle out of all the bricks they threw at meって」

「いや、まったく文脈が違うだろ。つーか、強引すぎるだろ」

「everyday is like a battleって言ってるしさ、やっぱり戦いの絶えなかったこの時代のこと歌ってるんじゃない?」

「もういいから」


 このターン、イニシアティブをとったのはスイス軍だった。おっしゃ、チャンス。敵の右翼(マップ下方)に対応する余裕を与えずに攻撃し、中央ではScharnachtalが立て直すのだ。マップ下方でのFaucingnyの3ユニットによる攻撃はことごとく成功。特にFaucignyが陣頭に立って敵指揮官Orangeを猛攻、たまらずOrangeは敗走した。

 そしてScharnachtalがConcise村周辺で敵にプレッシャーをかけつつ、下方の台地上でEptingenの騎兵を動かし、砲兵の背後から壊滅させていく。この方面のブルゴーニュ軍右翼はFaucingnyの攻撃で弓兵がほとんど壊滅しているうえ、強力な砲撃ができる砲兵も背後からの攻撃には無力、さらには砲兵を守る槍兵にも事欠く状態で、やっとのことで戦列を維持している状態である。

 ブルゴーニュ軍はマップ上端では前ターンの指揮官の敗走で前線に取り残されているReding部隊を騎兵が攻撃、そして中央では激しい射撃を加える。次々と敗走していくスイス軍。ついにはConsiseを守っていたGoldiまでもが敗走してしまった。空になった村をすかさず槍兵が占領。そしてこれまで戦列の後ろで指揮をとっていたシャルル・ル・テメレールだったが、勝負どころとみて自ら騎兵を率いて敵総指揮官Scharnachtalに襲いかかる。槍兵も攻撃に加わって包囲攻撃、スイス兵は後方からの攻撃を受けても不利なDRMは生じないのだが、総指揮官同士の激突はシャルルに軍配が上がりスイス兵は壊滅、Scharnachtalはすんでのところで捕虜になるのを免れて味方のもとに逃げ去った。

 Au fil de l'épéeシリーズでは後方から攻撃されると+2DRMと結構不利になるのだが、Grandsonのシナリオでは無効となる。デザイナーによると、スイス兵はその方陣(formation en carré)で卓越していたそうだ。そのため、先述のとおりこのシナリオでは騎兵の突撃も無効になる。側面と背面も防御し騎兵の突撃に対抗するのにも有効なこの隊形は次第に発展してきたそうで、Epées et Hallebardes 1315-1476に含まれている三つのシナリオ、1315年のMorgarten、1386年のSempach、そして1476年のGrandsonでは対騎兵突撃や後方からの攻撃に関するDRMは次第にスイス兵有利になっている。

 ちなみにここで言われている方陣(formation en carré)って、Gewalthaufenのことだと思うんだよね。方陣を指す言葉としてGevierthaufenというのもありますが。以前紹介した『Militärgeschichte des Mittelarters』では、Grandsonの戦いについて、スイス兵は密集した隊形で戦ったって述べていて、in geschlossener Formation (Gewalthaufen) って言っている。ただ、Hans Delbrückの<<Geschichte der Kriegskunst, Band 3>>では、nicht bei der Vorhut, sondern bei dem Gewalthaufen(前衛ではなく主力に)と、この言葉を主力という意味で使っているみたい。Wikiでも冒頭ではそう説明している。でもすぐ後にDiese bildeten einen schützenden Rahmen um die restlichen Nahkämpfer mit ihren Hellebarden und anderen Waffen.(近接戦用の兵の周りに防御隊形を形成し、ハルバードやその他の武器を装備していた)と、隊形のことだと読めるような書いていていてどっちやねん、という感じなんですが。

 回復フェイズではブルゴーニュ軍右翼(マップ下方)の多くが回復。この方面では劣勢に立たされているので助かる。だがその正面のスイス軍Faucingyの部隊もすべて回復してしまった。次ターンの攻撃がおそろしい。


つづく

2024年11月19日火曜日

ブルゴーニュvsスイス Grandson 1476 - Epées et Hallebardes 1315-1476 (VV81) AAR part5

 ●第7ターン

 今ターンも冒頭に激しい射撃戦が行われたが、砲兵、弓兵ともに数で勝るブルゴーニュ軍はより多くの損害を敵に与えた。

 だがスイス軍はFaucingnyが敵右翼(マップ下方)を切り崩す。弓兵の防御射撃をものともせず白兵戦で敗走させ、さらに連鎖敗走でブルゴーニュ軍弓兵が逃げ切れずに壊滅した。そして総指揮官Scharnachtalが兵力をかき集めて中央部で攻撃に出る。射撃では不利でも、白兵戦となるとスイス軍は強い。ブルゴーニュ軍を押しに押し、マップ中央の得点源であるConciseの村をついに占領した。マップ上方ではRedingが前ターンに反撃してきた敵騎兵の後方に回り込み敗走させる。やはりReding狂暴。敗走するブルゴーニュ騎兵につられて兵たちが浮足立ち同じく敗走するところだったが、指揮官のChâteau-Guyonが叱咤激励しなんとか踏みとどまった。

 右翼(マップ下方)で劣勢に立っているブルゴーニュ軍は、Conciseの村を奪還したいものの反撃に出る余裕がない。各部隊が弓兵の射撃をするのみ。サイの目が振るわずなかなか効果が出ないが、執拗な射撃にスイス軍はじわじわと損害を被っていった。

 スイス軍は左翼(マップ下方)のEptingenの騎兵が、その移動力を生かして台地上のブルゴーニュ軍砲兵の背後に回り込む。スイス軍はほとんどが歩兵で構成されているのだが、Eptingenの部隊だけは騎兵を2ユニット含んでいるのだ。Eptingenの騎兵が砲兵と弓兵のスタックを背後から襲撃、壊滅させた。


 ちなみにこのEptingenの部隊は、スイスと同じく反ブルゴーニュ側に立っていたアルザスの都市ストラスブールの兵を含んでいたらしい。Au fil de l'épéeシリーズでは各部隊の識別のために部隊ごとの紋章(Blason d'identification)がユニットにつけられているのだが、Eptingen部隊の紋章はストラスブールのもの。この紋章は当時Eptingenに授けられていたそうだ。


 ブルゴーニュ軍は防衛の要であるマップ下方のHochbergの砲兵部隊を切り崩されていき、右翼(マップ下方)はかなり厳しくなってきている。だがマップ上方ではCampobassoが射撃でRedingを敗走させる。この方面は両軍ともボロボロだが、スイス軍の消耗が激しいためブルゴーニュ軍は防御にやや余裕が出てきた。一方、スイス軍は得点源の村を死守しつつ、マップ下方からの攻撃に期待するしかない。

 回復フェイズではブルゴーニュ軍の槍兵が盤外に、そしてマップ下端では敗走できずに弓兵が壊滅した。一方、スイス軍は猛将Redingの怒鳴り声も耳に入らず兵たちがさらに敗走、我先に逃げる兵たちの流れにRedingも巻き込まれてしまった。このゲームでは回復に失敗した敗走ユニットは自軍マップ端に向けて全力で敗走移動するのだが、スタックしている指揮官も一緒に移動しなければならないのだ。このため、前線に残っているReding部隊の残余が指揮範囲外になってしまった。これで次ターンは行動がかなり制限されてしまう。さらに、スイス軍もついに敗走歩兵が盤外へ。マップ下方では敗走する歩兵に巻き込まれて砲兵が壊滅、火縄銃兵がマップ外に逃げ去った。


 両軍とも消耗が激しいが、このターン終了時点でユニット壊滅による勝利得点はスイスがブルゴーニュを10点リードしている。スイス歩兵は強力だが壊滅しても槍兵と同じ2PVにしかならず、一方騎兵は3PVなのだ。さらにスイス軍は中央の村Conciseを占領しており、ゲーム終了時まで保持すると5PVを得られる。勝利得点的にはスイス軍がかなり有利。ブルゴーニュ軍はマップ下端の敵の攻撃をしのぎつつ、村を奪還しさらに敵に打撃を与えられるか。


つづく

2024年11月16日土曜日

(幕間その2) ドイツから見たブルゴーニュ

  ブルゴーニュの歴史に関しては流れがつかめずモヤモヤしていて、手軽に読めるものはないかな、と思って見つけたのが『Burgund』。ドイツの本なんだんけど、やっぱりブルゴーニュ地方と歴史的に関係が深かったドイツ、こういう入門書もいろいろ出ているだろうな―と思ってたんですけどね。前書きに、今日までブルゴーニュの通史がほとんど出ていないのは、中世のブルゴーニュは国民国家に発展しなかったという事実のせいである、って書かれていて、あードイツでもそうなんだとちょっと安心しました。

 この本は一応古代末期からフランス革命までをカバーしているけど、主に扱っているのは中世。全四章のうち第二章がDas hochmittelalterliche Burgund(中世盛期のブルゴーニュ)、第三章がDie Herzöge von Burgund im späten Mittelalter(中世後期のブルゴーニュ公たち)。最終章もDie Teilung Burgunds nach 1477 und ihre Folgen(1477年以降のブルゴーニュ分割とその結果)で、シャルル・ル・テメレールのナンシー戦での死後、15世紀後半から16世紀がメインの内容。本全体でも120ページほどしかなく、ブルゴーニュ公国の歴史についてその前後を含めざっと知りたいと思っていた自分にとっては結構ありがたかったです。

 まあでも、当然ドイツ語なので自分の乏しい知識と結びつけるのが読んでいて結構面倒でした。金羊毛騎士団はOrden vom Goldenen Vliesでこれはそのまんまなので分かったけど、自由伯領(Freigrafschaft)って何? って思っていたらフランシュ=コンテ(Franche-Comté)のことだったり。Karl der Kühneって書かれてもピンと来なくて、シャルル・ル・テメレールのことだっていつも頭の中で置き換えないといけませんでした。ちなみにkühnって言葉、Duden見てもそこまでネガティブな意味が含まれているようには思えなかったけど、どうなんでしょうね。それと、当然だけど地図には神聖ローマ帝国の境界(Reichsgrenze)もちゃんと引かれているんだけど、結構くっきりというか一番目立つようになっているのはやっぱりドイツの本だからかな、と邪推してしまいました。


 ページ数が少ない本なのでGrandsonの戦いは出てこないかな、と思っていたらちょっと触れていました。前回紹介した『L'État bourguignon』ではこの戦いはLa défaite inattendue(思いがけない敗北)って書かれていましたが、この本でも同じようにeine überraschende Niederlageと描写されていました。この戦いは番狂わせだったんですかね。で、Grandsonの戦いについてはこんな風に述べられています。

Das wäre an sich ohne größere Konsequenzen geblieben, hätte der Herzog nicht wie besessen die Scharte möglichst schnell wieder auswetzen wollen.

(ブルゴーニュ公がこの損失をできる限り速やかに打ち消そうと執着しなければ、この戦いの結果は重大ものとはならなかっただろう)

そして、同年6月Murtenの戦いで敗北し指揮官としての評判は大きく損なわれた、と続けています。


 本の最後でブルゴーニュの歴史の、ドイツやベルギー、スイスなどの国々における19世紀以降の捉えられ方についても説明していて、19世紀っていったらナショナリズムが勃興してきた時代ですが、ブルゴーニュの歴史というかイメージがナショナリズムに利用されてきたとのこと。例えば19世紀半ば以降のフランスの政策はベルギーにおいて国の存続を脅かすものと受け止められ、シャルル・ル・テメレールはフランスの拡張に真っ向から対抗したと見られるようになったそうです。20世紀初頭には、ル・テメレールが「興奮した」フランスと「気の荒い」ドイツの間(zwischen dem <hitzigen> Frankreich und dem <rauen>Deutschland)にベルギーを作り出した、なんて称賛されたとか。

 あと、スターリングラードや武装SSがほんのちょっとですが出てきたのがウォーゲーマー的にはツボでした。いや、目が引かれるところがそこかい、と自分で突っ込んでしまいましたが、それはさておきブルゴーニュの歴史をざっと知るには手ごろな本だと思います。


2024年11月13日水曜日

ブルゴーニュvsスイス Grandson 1476 - Epées et Hallebardes 1315-1476 (VV81) AAR part4

 ●第5ターン

 前ターン、後方から前進してきたブルゴーニュ軍予備による反撃によって消耗したスイス軍。敵が戦列を立て直したのを見て、このターンは回復に努める。マップ下方では前ターンにEptingenの8ユニットが登場したが、これらの多くは戦力2の歩兵やあまり攻撃には使えない火縄銃兵である。敵Hochbergの砲撃に対する弾除けに使いつつ、Faucingnyの部隊をマップ下端、砲撃を受けない方面に迂回させて敵右翼端を攻撃するのがスイス軍のプランなのだが、今ターンはそれは無理。次ターンにマップ上方と下方から一斉に攻撃するため、今ターンは自重して態勢を整えるのが賢明だ。

 そう判断したスイス軍プレイヤーだが、マップ上端では攻撃を行う。ここは敵総指揮官シャルルの指揮範囲外なのでブルゴーニュ軍は有効な反撃が行いづらいのだ。総指揮官Scharnachtalの指揮のもと、Redingが猛攻、Campassoの槍兵を敗走させる。さらにRedingが活性化しCompassoに追い打ちをかける。スイス軍の攻撃に敗走した自軍の槍兵を見て、後方にいた火縄銃兵も敗走、ブルゴーニュ軍の左翼端(マップ上方)にRedingの2ユニットが大きく食い込んでいく。この方面のブルゴーニュ軍はほとんど士気低下か敗走状態のユニットになってしまった。


 ブルゴーニュ軍はシャルルの指揮の下、弓兵で敵に連続射撃をくらわす。たまらずRedingが敗走、マップ下方でも砲撃でスイス軍が士気低下し、Orangeの弓兵が前進してきたFaucingyの歩兵を射撃で敗走させた。これに対しスイス軍はマップ上方でGoldiの部隊を投入、敵槍兵を2ユニット敗走させる。やはり白兵戦になると槍兵はスイス兵の敵ではない。


 回復フェイズではブルゴーニュ軍は敗走からの回復に失敗し続け、騎兵1ユニットが盤外に消え去ってしまった。敗走の結果盤外に出たユニットは壊滅と同じく敵にPVを献上するのだが、騎兵は3ポイントと高価なので痛い。だがスイス軍も敗走からの回復に失敗、巻き込まれてさらに1ユニットが敗走してしまった。



●第6ターン

 ターン冒頭、各部隊の活性化の前にある射撃フェイズで激しい射撃戦が繰り広げられた。砲弾を撃ち込まれた両軍はあるいは士気が低下、あるいは敗走していく。

「珍しくスイスの砲兵が活躍したけど、射撃戦ではこっちに分があるんだよね」

とブルゴーニュに多数いる弓兵が矢の雨を降り注いだ。たまらず敗走していくスイス兵。だが密集している陣形のため味方に阻まれて壊滅してしまう。

 このターン、イニシアティブを握ったのはブルゴーニュ軍だった。マップ上方では前ターンのスイス軍の攻撃とブルゴーニュ軍の反撃によって両軍ともに大きく消耗している。やられる前にやれ、とブルゴーニュ軍は満身創痍のCompassoの部隊で攻撃をしかけた。だがスイス軍は激しく抵抗、Compassoの槍兵が疲労状態となってしまった。

 スイス軍も消耗が激しく、もともとユニット数が多くないRedingとGoldiの部隊は使える兵力がほとんどないのだが、総指揮官の指揮の下それらの部隊を一斉投入。ブルゴーニュ軍に各所で損害を与えていく。Redingがまたもその凶暴なまでの能力を発揮し、疲労状態の兵を叱咤激励、Compassoの2ユニットにダメージを与えた。


 ブルゴーニュ軍はHochbergの砲撃でScharnachtalを敗走させるものの、スイス軍は怯まずマップ上方でRedingがCompassoに追い打ち、消耗が激しいCompobasso隊はRedingの猛攻を支えきれず敗走してしまう。

 この戦い前半でほぼ半壊状態になり時間をかけて回復していたブルゴーニュのChâteau-Guyonの騎兵部隊だが、自軍左翼(マップ上方)の危機的状況を見て回復ユニットを投入、Redingの軽歩兵を蹴散らす。だがマップ下方ではスイス軍が本格的な攻勢を開始、敵最右端に回り込んだFaucingyの部隊が敵戦列の間隙を縫って突進、この方面のOrange部隊を次々と敗走させていく。特にブルゴーニュ軍にとって反撃の要となる弓兵を壊滅させた。

「ここってHochbergの砲撃でカバーできないところでしょ。やばいんじゃないの?」

と煽るスイス軍プレイヤーだが、シャルル・ル・テメレールは冷静に対応。弓兵を巧妙に使って中央でRedingとGoldiの兵を敗走させる。そして右翼(マップ下方)を立て直そうと、Orange隊は突出してきたFaucingyの歩兵に反撃、なんとか損害を与えた。一方、スイス軍は敵右翼の砲兵前面に展開していた弾除けのEptingen部隊も攻撃に投入、火縄銃兵が至近距離の射撃で敵槍兵を敗走させた。

 そしてこのターン、またもブルゴーニュ軍は敗走状態からの回復に失敗し、騎兵と火縄銃兵が戦場から逃げ去ってしまった。一方、スイス軍はその高い兵質を利用して次々と回復、次ターンも再び一斉攻撃をしかけられる態勢となった。


つづく

2024年11月10日日曜日

ブルゴーニュvsスイス Grandson 1476 - Epées et Hallebardes 1315-1476 (VV81) AAR part3

 ●第4ターン

 このゲームでは各ターンの最初に両軍の射撃フェイズがあるのだが、このターンはブルゴーニュ軍の射撃が冴えた。ブルゴーニュ軍弓兵は2へクス先の標的に対し30%の確率で士気低下、同じく30%の確率で敗走を引き起こす。強烈な射撃に耐えられずスイス歩兵が敗走、だが続々と後方から詰め寄せていた友軍に敗走を阻まれ、壊滅してしまった。

 スイス軍は歩兵なので移動力が低く、少しでも早く増援を前線に投入しようとすると、地形の問題もありどうしても密集状態になりやすい。そのため、敗走ができずに壊滅ということが起きてしまうのである。


 このターン、イニシアティブを得たスイス軍は総指揮官Scharnachtalが右翼(マップ上部)でブルゴーニュ軍に襲いかかる。敵騎兵部隊の間隙をついて騎兵を包囲、さらに敵後方のCampobassoの槍兵にも攻撃。敵に次々と損害を与えていった。そして高い指揮ボーナスを誇るRedingがブルゴーニュ軍騎兵部隊指揮官Château-Guyonを攻撃して敗走させた。

 さらにスイス軍はRedingの部隊を活性化させ追い打ちをかける。ブルゴーニュ騎兵が1ユニット敗走、1ユニット壊滅。Château-Guyonのブルゴーニュ騎兵部隊はすべてのユニットが壊滅もしくは敗走状態となってしまった。


 友軍の危機を見てブルゴーニュ軍Hochbergの弓兵がスイス軍中央に懸命に射撃、少しでも敵の勢いをとどめようとする。一方、前ターンに増援としてマップ下方に登場したスイス軍のFaucingyの部隊はHochbergの砲兵の射程を慎重に避けながら前進。このゲームの砲兵は結構強力で、4へクス離れていても40%の確率で敵に損害を与えることができるのだ。実際、練習でソロプレイしていると、うかつに接近したスイス軍はHochbergの砲兵4ユニットの砲撃によって次々と士気低下・敗走していきスイス軍左翼が崩壊、という事態になったりしていた。

 マップ上部で押されているブルゴーニュ軍だが、後方から駆け付けた予備のCrèvecoeurの弓兵が連続射撃で敵中央の歩兵を敗走させ、さらに総指揮官シャルル・ル・テメレールが反撃に出る。シャルルの指揮範囲は4と広くないものの、戦場の中央に陣取っているため多くのユニットを指揮範囲に収めている。CrèvecoeurやCampobassoの弓兵を使って敵を士気低下状態にしたのち、Campobassonoの槍兵2ユニットが白兵戦で攻撃。先述のようにブルゴーニュ軍の槍兵は戦力、兵質、兵種いずれもスイス軍に劣るのだが、こうやって射撃&複数ユニットによる白兵戦という連携攻撃にはさすがのスイス兵も持ちこたえられず敗走した。

 スイス軍は敵の反撃で消耗していた右翼(マップ上方)にGoldiの部隊を支援として派遣、そしてマップ下方からは増援のEptingen部隊が登場する。一方のブルゴーニュ軍はCampobassoの弓兵が士気低下し疲労状態のRedingのスイス兵ユニットを狙い撃ち、敗走させた。

 スイス軍は続々と増援が登場したものの、ブルゴーニュ軍も後方の予備3部隊が投入されたため、数的には両軍それほど変わらない状態となってきた。

 ターン最後にある回復フェイズでブルゴーニュ軍騎兵は多くが敗走状態から回復。だがこのターンはブルゴーニュ軍は騎兵による攻撃ができなかったためPVペナルティを受けてしまった。Château-Guyonの騎兵部隊は先述のようにすべて壊滅、もしくは敗走状態にあったので仕方ない。シャルル直属の騎兵で攻撃をするという選択肢もあるが、シャルルの騎兵は兵質6と精鋭であるもののスイス歩兵と互角であるにすぎず、2ユニットしかいないためたいした攻撃はできないうえ、シャルルが戦闘に巻き込まれて移動の自由を失う可能性もある。さらに特別ルールで、シャルル直属部隊の騎兵が敗走もしくは壊滅するごとに、予備3部隊のうちどれか1部隊が丸ごとマップ上から取り除かれてしまうのである。総指揮官がやばくなったのを見て我先に戦場から逃げ出す、ということなのだろうけれど、そんなリスクを冒す余裕はブルゴーニュ軍にはないため、シャルルの部隊による攻撃にはかなり慎重にならざるを得ない。


つづく

2024年11月7日木曜日

(幕間)『ブルゴーニュ国家』

  AARを書いているGrandsonの戦いはブルゴーニュ公率いる軍隊とスイス軍の戦いですが、ブルゴーニュの歴史ってよくわからないんですよね。薔薇戦争とかその他14-15世紀のヨーロッパの本を読んでいると「ブルゴーニュ公国」って言葉がちらほら出てきて、なんじゃらほいとずっとモヤモヤした気がしてたので、概説書を見つけて読んでみました。だってね、領土がフランス王国に含まれているうえに百年戦争中はアルマニャック派と対抗するブルゴーニュ派なんてものが出てきて、フランス王国の一部なのかなとぼんやり思っていたら、イギリスと同盟して仏王に対抗したりしているし。地図を見たら今のオランダ・ベルギーから独仏国境地帯にかけて広がっていて、神聖ローマ帝国も一部入っているし、うーん、よくわからん。

 で、見つけた本はタイトルもそのまんまの『L'État bourguignon』。14世紀後半から15世紀後半にかけてブルゴーニュ公となったヴァロア家の時代を扱っています。シャルル・ル・テメレールはヴァロア・ブルゴーニュ家最後の公ですね。この本の裏表紙によると、フィリップ・ル・アルディ(1363-1404)からシャルル・ル・テメレール(1467-1477)まで、ブルゴーニュ公たちは南はブルゴーニュ公領から北はオランダまで広がる領土を支配下に置き、百年戦争、十字軍、そして外交や経済的な争いに加わった、とのこと。

 筆者はフランスの大学教授で14-15世紀のブルゴーニュを専門にしているそうで、本のタイトルにÉtat(国)という言葉を使ったことについては、実際に14世紀から15世紀までブルゴーニュという「国」が存在したと考えているからだ、と前書きで述べています。ただし近代的な意味での国家、つまり国民国家や主権国家ではないと断っていますが。うーん、ややこしい。ブルゴーニュ公たちによって創設され発展されたのはun État princierだそうですけど、なんて訳せばいいんですかね。そういった国家は君主の一家に体現される政治権力、その国独自の行政、司法、財政そして軍事制度、政治的な集団と特定の考えの発展、それに自立的な外交の展開によって特徴づけられるそうですけど、素人の私にはわかったようなわからなかったような。まあ細かいことはいいんですよ。ははは。

 この本はヴァロア・ブルゴーニュ家の約百年を時系列的に追いつつ、制度なども解説しています。Les armées des ducs de bourgogne(ブルゴーニュ公の軍隊)という章があって当然そこに目が引かれたんですけど、15世紀前半では外国出身の兵が4分の1を占めていたとか。それに14世紀後半から15世紀前半にかけて徴募兵、弓兵とクロスボウ兵の比率が上昇し、10%ちょいから70%ぐらいにまでなったとのこと。これはイギリスとの同盟による影響が反映されているって分析していますね。あと砲の普及についても説明していて、AARを書いているGrandsonの戦いでもそういえばブルゴーニュ軍には砲や弓兵が多かったなあと納得。 それとこの章にはLes réformes au temps de Charles le Téméraire(シャルル・ル・テルメールの時代の改革)という節が面白かったです。領土拡大をしフランス王と抗争を繰り広げていくにあたって、常備軍をもつ仏王に対抗するためにブルゴーニュ公国でも常備軍を整備していく必要があったとのこと。そういや百年戦争の後期にフランスは常備軍を創設していたなあ。

 十字軍という章も設けられていて、時代的にあれ?と思ったんですけど、いわゆる第7回まであった十字軍ではなくて、対オスマン帝国の十字軍。ブルゴーニュ公は艦隊を編成して派遣していて、ブルゴーニュに海軍のイメージがなかったので意外でした。まあ、政治的状況のせいでブルゴーニュ公が最後に計画していた十字軍は実現しなかったようですが。

 Grandsonの戦いにも触れていて、La défaite inattendue(思いがけない敗北)って書かれていました。兵的な損失は少なかったけど、物資や砲が敵の手に渡ってシャルルは結構落ち込んでいたそうです。でもすぐにGrandsonの敗戦の教訓から軍を再編成し、<<piquenaires>> suisses(スイスの「槍兵」)の戦術に対応するために歩兵を強化したとか。でもGrandsonの3か月後にはまた負けてしまうんですけどね。

 この本、知識のない自分にとっては消化不良な部分も結構ありましたが、というかヴァロア・ブルゴーニュ家4代のことなんて新しく知ることばかりだったんですけど、いい勉強になりました。AARを書いているGrandsonの戦いに限らず、ブルゴーニュが出てくるゲームをやるときは思い入れが変わってくるんじゃないかなと思います。


2024年11月4日月曜日

ブルゴーニュvsスイス Grandson 1476 - Epées et Hallebardes 1315-1476 (VV81) AAR part2

 ●第1ターン

 このターンはスイス軍の活性化から始まる。スイス軍は前進して丘陵地帯の隘路出口で防御を固めた。

「猪口才な。スイスの農民どもなんぞ蹴散らしてくれるわ!」

とブルゴーニュ軍プレイヤーが気炎を上げる。一斉に襲い掛かると思いきや、敵右翼端(マップ上方)のみを攻撃、損害を与えて後退させるに終わった。

「あれ、威勢がよかったはずなのに一カ所だけしか攻撃しないなんて、しょぼくない?」

「すんません、それは無理っす」

 先述のようにスイス兵は戦闘力、兵質ともに高く兵種としては騎兵と同等のため、1ユニット同士の白兵戦ではブルゴーニュ軍が不利になる。このゲームでは白兵戦をするユニットは正面ヘクスにいるすべての敵ユニットが攻撃されるようにしないといけないため、きっちりと戦列を組んでいる相手に一斉攻撃をしようとするとどうしても1ユニット同士の白兵戦が生じてしまう。さらにはスイス軍は地形効果も得られるユニットもあるわけで、ブルゴーニュ軍としては一斉攻撃をして次々と撃退されるという事態を避けるために敵戦列の端に2ユニットを投入し、さらに騎兵部隊指揮官Château-Guyonの指揮ボーナス(Bonus)で+2DRMを得て何とか有利な形で攻撃ができたのである。


●第2ターン

 スイス軍には増援のRedingの部隊が登場。この部隊は現在のスイス中央部の兵からなる。ちなみに初期配置されているScharnachtalの部隊はベルンの兵である。

 ブルゴーニュ軍は敵の指揮官Scharnachtalを攻撃、疲弊状態(Fatiguée)で後退させた。だがScharnachtalは怯まず、戦闘後前進で突出した敵騎兵を包囲、袋叩きにして敗走させる。ちなみにこのゲームでは戦闘後前進は強制である。うかつに攻撃するとこのように反撃をくらうことが多い。

 スイス軍の反撃を受けたブルゴーニュ軍は騎兵部隊を支援するためHochbergの弓兵が射撃で敵に損害を与えるものの、騎兵部隊とHochberg隊だけでは増援が登場したスイス軍を積極的に攻撃していくには兵力が足りない。

「予備がいっぱいいるんだから、早く投入させてよ~。デザイナーの意地悪~」

と嘆くブルゴーニュ軍プレイヤーである。


●第3ターン

 イニシアティブを得たブルゴーニュ軍は先手を取って騎兵が攻撃。すでに疲弊状態だったスイス兵ユニットを士気低下状態(Découragée)にして後退させた。

 スイス軍は総指揮官(chef d’armée)Scharnachtalのもと、一斉に反撃。このゲームでは基本的に部隊ごとに活性化するが、総指揮官は自分の指揮範囲内にいる他の部隊のユニットも活性化できる。Scharnachtalは6という広い指揮範囲にものを言わせて前ターンに登場したRedingの部隊も投入、敵戦列の間隙から浸透しブルゴーニュ騎兵に強力な攻撃を行う。特にRedingは指揮ボーナス3と強烈なDRMを持つのだ。包囲されていたブルゴーニュ騎兵はたまらず敗走していった。さらにScharnachtalに続いてRedingが活性化。敵に追い打ちをかけていく。

 そしてスイス軍には今ターンも増援が登場。Redingの後を追ってマップ上部からGoldiの4ユニットが、そして丘陵地下方の道からはFaucingnyの強力な歩兵部隊が現れた。

 頼みの騎兵が次々とスイス軍に撃破され、敵には続々と増援が現れるのを見たシャルル・ル・テメレール。Hochbergの弓兵の射撃で敵を牽制しつつ、後方にいた予備の3部隊を動かした。

「いやー、早いとこ騎兵が2ユニット敗走してくれてよかった。これで予備が投入できるもんね」

「それ、一軍の将が言うセリフじゃないと思うぞ」


 このシナリオでは先述のように、ブルゴーニュ軍は騎兵が2ユニット敗走するまでは予備の3部隊は活性化できない。そのため無理は承知で騎兵部隊で攻撃をかけていったのである。それにブルゴーニュ軍は騎兵が攻撃しなかったターンごとに1勝利得点(PV)をスイス軍に献上してしまう(最大で累計5PV)。そのため、史実同様騎兵で攻撃を仕掛けうるよう誘導される仕組みとなっている。


つづく

2024年11月1日金曜日

ブルゴーニュvsスイス Grandson 1476 - Epées et Hallebardes 1315-1476 (VV81) AAR part1

  先日やった「Alsace 1944」が面白かったので、アルザス関連のゲームをやってみた。プレイしたのはGrandsonの戦い。場所は現在のスイス北西部で1476年、スイスとブルゴーニュの両軍が衝突した……

 いやいや全然アルザスじゃないだろ! と思われるかもしれないけど、そうじゃないんですよ。この当時、領土拡大を続けるブルゴーニュ公国はアルザスをめぐってスイスやその他の勢力といわゆるブルゴーニュ戦争を戦っていて、その一環で起こったのがGandsonの戦いなんですね。なのでアルザスと結構関係があるんですよ。ははは…。

 まあ苦しい言い訳はこれぐらいにして、要はプレイしてみたかったからプレイしただけなんですけどね。ゲームはVaeVictis誌81号付録の「Epées et Hallebardes 1315-1476」に収録されている3つのシナリオのうちの一つ。中世の会戦をシミュレートしたAu fil de l'épéeシリーズに属し、同じシリーズでは以前、Guinegatteの戦いのAARを書いたなあ

 初期配置を見ると兵力でブルゴーニュ軍が圧倒しているように見える。だがデザイナーによるとこの戦いでブルゴーニュ公シャルルは騎兵と砲でスイス軍を打ち破れると思っていたそうで、ゲームでは後方の3つの部隊は予備となっていてブルゴーニュ軍騎兵が2ユニット敗走もしくは壊滅するまでは動かせない。一方のスイス軍は続々と増援が登場するため、数のうえでの不利さはなくなる。

 さらにスイス軍の多くは戦闘力(Facteur de combat)が8と強力で兵質(Qualité)でも敵に勝っている。それにほとんどのスイス軍ユニットの兵種はスイス兵(Suisses, Su)で、騎士(Chevaliers, Ch)や重装騎兵(Hommes d'Armes, Ha)と白兵戦で互角、ブルゴーニュ軍に多数いる槍兵(Piqiers, Pi)に対しては有利なDRMがつく。

 とまあこれだけでもスイス軍の優秀さがうかがえるのだが、さらにこのシナリオでは、スイス兵はブルゴーニュ騎兵の突撃を実質的に無効化してしまうのである。Au fil de l'épéeシリーズでは騎兵の突撃は+3のDRMが付くのだが、だがこのシナリオではスイス兵に対する突撃にはDRMがゼロである(複数方向からの突撃でやっとDRM+1)。

 優秀なスイス兵に対し、ブルゴーニュ軍は右翼(マップ下方)の台地上に砲兵を4ユニット配置しており、さらに弓兵を多数保持している。白兵戦で優位に立つスイス軍に対し、ブルゴーニュ軍がいかに砲兵と弓兵を活用できるかが勝敗のカギとなるだろう。


 実際の戦いでは続々と山地から登場するスイス軍に対しブルゴーニュ軍は平野部に退いて態勢を整えようとしたところ、そのまま押し切られてしまったらしい。ちなみにこの当時のスイスは8つの州や都市が同盟を組んでおり、ドイツ語だとAlte Eidgenossenschaft、フランス語だとConfédération des huit cantonsと呼ばれていて、当然VaeVictis誌でもそう表記されている。日本語ではなんて訳されているんですかね。

 一方のブルゴーニュ軍を率いるのはブルゴーニュ公シャルル。Charles le Téméraireとも呼ばれていて、シャルル勇胆公や突進公、猪突公とかいろいろと訳されているようだけど、le Téméraireは悪い意味も含まれているようで、辞書を見てもtéméraireという単語の意味としてune hardiesse imprudente ou inconsidérée(無謀だったり思慮の足りない大胆さ)なんてなことが書いてある。でもブルゴーニュ関係の本を読んでいると、téméraireではなくhardi(大胆)と変えたい、téméraireと呼んでいるとシャルルの業績や人格に対し史実と反する印象を与えてしまう、と言っている研究者がいるって書いてあった。その本の筆者は同意しつつも、やっぱりCharles le Téméraireというすでに定着している呼び名は維持したい、と書いていたけど。まあ自分にはフランス語のニュアンスはわかりませんが、シャルル関連の本を読んでいるとそんなに猪突猛進って感じは受けないので、このAARではle Téméraireを訳さずにル・テメレールと呼ぶことにします。


つづく


マーケット・ガーデン80周年なので読んでみた、『9月に雪なんて降らない』

 1944年9月17日の午後、アルンヘムに駐留していた独国防軍砲兵士官のJoseph Enthammer中尉は晴れわたった空を凝視していた。自分が目にしているものが信じられなかったのだ。 上空には 白い「雪」が漂っているように見えた。「ありえない」とその士官は思った。「9月に雪な...