2024年6月28日金曜日

(幕間)19世紀の仏軍事理論家ドゥ・ピックの「戦闘の研究」

  VaeVictisの今号の付録「Münchengrätz-Gitschin 1866」のルール、というかLes Grandes Batailles du temps de Napoléon III(ナポレオン三世時代の主要会戦)シリーズのルールは、このシリーズが扱っている時代の仏軍将校で軍事理論家だったアルダン・ドゥ・ピックArdant du Picqの考えから着想を得た、なんてなことがルールの冒頭に書いてあった。火力のみでは勝利は確実なものとはならず、強力な突撃によって敵の士気を喪失させる必要があるのだ、という考えだそうだ。突撃は白兵戦に至る前に、失敗に終わるか敵が逃げ出すかどちらかだ、とのこと。

 ドゥ・ピックは1821年生まれで1870年に普仏戦争で戦死しているという、まさに「Les Grandes Batailles du temps de Napoléon III」の同時代人。「Études sur le Combat(戦闘の研究)」という本を書いていて、フランスの国立図書館のサイトでスキャンデータが公開されているので読んでみた。ちなみにいくつか版が出ているようだけど、読んだのは一番最初に目についた1880年版。なお、「Études sur le Combat」は和訳も出ていて、小さなウォーゲーム屋さんで売っている。

https://petitslg.shop-pro.jp/?pid=161457780 (オリジナルの仏語からではなく、英訳からの重訳のようです。)


 ドゥ・ピックは人間心理を重視したようで、人間の心理こそが戦争のすべての出発点なのだ、という18世紀の軍人ド・サックス元帥の言葉を最初のほうで引用している。戦争のことを学ぶためには、人間の心を学ばなければならない、と。

 ちなみにドゥ・ピックの上記の部分の原文はLe cœur humain est donc, pour employer le mot du marechal de Saxe, point de depart en toutes choses de la guerre; pour connaitre de celles-ci, il le faut etudier.って書かれているんだけど、このド・サックスの言葉で検索してみたらフランス陸軍の指揮に関する文書が出てきて、冒頭で引用されていた。有名な言葉なのかな。

L’exercice du commandement dans l’armée de Terre


 

 それはさておき、このドゥ・ピックの「Études sur le Combat」は二部構成で、第一部は古代の戦闘、第二部は近代の戦闘について分析している。古代の戦闘では士気について結構書かれているんだけど、第二部の近代(ドゥ・ピックにとっては現代)でも、兵器は進化しても人間は変わらないと述べている。兵器だけでなく人間そのものについてもちゃんとわかっていないといけないってことなんでしょうな。l'homme ne change pas(人間は変わらない)の部分を斜体で強調しているし。軍隊における規律やsolidaritéの重要性を説いていたけど、この場合solidaritéって連帯というよりは団結って訳したほうがいいのかな。それと、勝つためには敵の不安cranteを恐怖terreurに変えないといけない、とか述べている。


 で、ドゥ・ピックの考えがLes Grandes Batailles du temps de Napoléon IIIシリーズのルールにどう反映されているかというと、うーん、正直自分にはあんまりわかんなかったな。戦闘ユニットが戦闘力のほかに士気値を持つっていうのは他の時代のゲームにも結構あるし。ファイアパワーで防御側が先に射撃、というのもまあ、そんなに珍しくないと思うし。戦闘結果が基本的に混乱+退却で、混乱から回復してまた攻撃できるっていうのが、物理的損害よりも心理面を重要視していることになる、のかなあ。もしかしたら、個々のルールではなくルール総体なのかもしれないけれど。この時代の軍隊や戦い方、それにそもそもウォーゲーム全般に関して知識がないのですみません…。でもまあ、ドゥ・ピックの考えは世紀をまたいで第一次世界大戦の仏軍にも影響を与えたようなので、ご興味ある方は読んでみてください。で、ルールのこういうところにドゥ・ピックの考えが反映されているんだよって教えてね。

2024年6月23日日曜日

戊辰戦争の2年前の欧州で Münchengrätz 1866(VV174) AAR ③

 ●第1ターン (8:00) つづき

 各ターンの最後、すべての部隊の活性化が終了した後に回復フェイズ(Phase de ralliement)がある。非混乱状態の敵ユニットのZoCにいない限り、混乱状態からの回復を試みることができ、1D6に士気値を足して6以上だと成功だ。例えば士気2の歩兵だと2分の1の確率で回復するのだが、指揮官とスタック・隣接していると有利なDRMが付く。今ターンのSchölerの攻撃で混乱状態だったLeningenの歩兵は、指揮官の叱咤激励で回復した。


●第2ターン (9:00)

 前ターンに続いて平野部ではプロイセン軍のFransecky部隊がマップ中央のミュンヘングレーツに向けて急進、Hornの部隊はMusky山を目指した。

 右翼から敵が迫ってくるのを見たオーストリア軍は、左翼方面のSchölerに対しては指揮官のLeningenと兵力の一部を足止めとしてとどめ、残りをミュンヘングレーツに向けて後退させる。そして前ターン活性化に失敗したAbeleだが今回は成功し、Musky山に向かって登ってくるHornの部隊に山上から砲撃を浴びせる。だが効果はなく、Hornに連絡線を断ち切られる前に山上の部隊は撤退を始める。そしてミュンヘングレーツの右方をカバーするために部隊を前進させた。

 マップ左方で早くIser川を渡河したいプロイセン軍Schölerは、こちら岸の村にとどまっているLeningenを歩兵2ユニットの計6戦闘力で攻撃する。守るLeningenは歩兵、猟兵1ユニットずつの総戦闘力4。だが猟兵は村に対する攻撃であれば攻防いずれの側でも+1DRMの有利な修正を得られる。Leiningenの陣頭指揮によるDRMも加わって、プロイセン軍歩兵は両ユニットとも激しい防御射撃に耐えられず退却してしまった。


 このシナリオでは猟兵(Jäger)は、戦闘力も士気・ステップ数も1しかない(歩兵は通常、戦闘力3で士気・ステップ数は2)。Jägerといっても立体機動して巨人を駆逐したりは到底できないのだけれども、スタック制限は通常2ユニット+猟兵のところ、村へクスでは1ユニット+猟兵と減るので、先述の村の戦闘でのDRMと相まって、村の防御を増強したいときには結構重宝するのである。


●第3ターン (10:00)

 このターン最初に活性化が回ってきたのは、ミュンヘングレーツに向けて街道を急進してきたプロイセン軍Franseckyの部隊だった。歩兵2ユニットに指揮官の戦闘ボーナス2という強力な戦力でもって攻撃をしかけたいFransecky。だが前ターンに敵オーストリア軍は村を利用して防御ラインを構築しただけでなく、後方から砲兵の支援も受けられるように布陣していた。このゲームでは戦闘の際、砲兵ユニットは同じ部隊に所属している友軍ユニットが攻撃されている場合、防御射撃に自身の戦闘力を加えることができる(ただし射程は半分になる)。

 ミュンヘングレーツ、それにその右方のAbeleがいる村へクスも、攻撃するなら敵後方からの激しい砲撃にさらされることになる。ミュンヘングレーツを目指していたFranseckyは敵の布陣を見てマップ右方に転進、敵防御ラインの右翼に位置する一番弱いスタックを攻撃した。ここも村ではあるものの、守るのは猟兵のほかは戦闘力1の弱小歩兵。このシナリオでは主戦力となる戦闘力3の歩兵はオーストリア軍には3ユニットしかなく、防御ラインに弱点が生じやすいのだ。Franseckyの兵たちは敵の砲兵の視界外に回り込んで村を強襲、1ユニットが防御射撃で撃退されたもののオーストリア軍を退却に追い込んだ。

 Franseckyの攻撃を受けたオーストリア軍はマップ下方へできる限り後退。LeningenもIser川の対岸から撤退した。このシナリオでのオーストリア軍は守り切ることではなく、時間を稼ぎつつ全軍を盤外に撤退させることにある。強力なプロイセン軍に対し無理は禁物だ。

 敵を逃がすか、とSchölerは前ターンに続いてLeningenを攻撃。だがまたも撃退されてしまい、Iser川渡河ならず。プロイセン軍は続く回復フェイズでも混乱状態からの回復に失敗するユニットが多く、次ターンの攻撃力が低下してしまった。


つづく


2024年6月19日水曜日

戊辰戦争の2年前の欧州で Münchengrätz 1866(VV174) AAR②

 ●第1ターン (8:00)

 このターンのみ、プロイセン軍が一番最初に活性化する部隊(formation)を選べる。プロイセン軍はマップ左方の山地に位置するSchölerの部隊を動かした。村を守備しているオーストリア軍歩兵を、歩兵2ユニットと猟兵(Jäger)で攻撃する。

攻撃するSchölerの部隊。ユニット左下が戦闘力。中央は士気・ステップ数

 

 このゲームシリーズでは、複数のユニットによる同時攻撃は連携攻撃(Combat coordonné)となって、部隊指揮官(chef de formation)が戦闘に参加している必要があり、1D6を振り指揮官の指揮値(Valeur de commandement)を足して6以上となると連携攻撃が可能となる。Schölerの指揮値は4なので6分の5の確率で成功だ。

 戦闘は防御射撃(Tir Défensif)の後、攻撃側による強襲(Attaque)を行うのだが、防御射撃によって退却しなかった攻撃ユニットのみが強襲できる。つまり攻撃側は防御射撃に耐えられたら攻撃ができるのだ。(なお、ルールの訳語は自分の感覚で適当にやっているので読まれる方は自分の好きな言葉に置き換えてください。)

 防御射撃だが、今回のように連携攻撃で複数のユニットから攻撃された防御側は、その戦闘力(Potentiel de combat)を敵攻撃ユニットに割り振る。例えば3戦闘力の防御ユニットが2ユニットに攻撃された場合、一方を1,もう一方を2で射撃できる。ここで特徴的なのは、ゼロ戦闘力でも防御射撃が可能なため、例えば攻撃2ユニットのうち一方をゼロ、もう一方を3で射撃のように、特定の敵ユニットに防御射撃を集中することもできるのだ。


 Schöler指揮下の連携攻撃を受けたオーストリア軍Leningen部隊の歩兵はその火力を脆弱なプロイセン軍猟兵に集中、混乱して退却させた。プロイセン軍は残る歩兵2ユニットで敵陣に突撃、村の防御効果で戦闘力が半減したものの、指揮官Schölerの戦闘ボーナス(Bonus de combat)2によるDRMにも助けられ、オーストリア軍歩兵は混乱して退却した。

 オーストリア軍のLeningenはミュンヘングレーツに駐留していた歩兵部隊をIser川の対岸に派遣し友軍の撤退を援護させる。そしてLeningenの右方をカバーするため、オーストリア軍のもう一方の部隊を指揮するAbeleが兵を前進させようとするも、活性化に失敗してしまう。


 総指揮官(commandant en chef)の指揮範囲にない部隊指揮官は、活性化の際にチェックをしなければならない。1D6を振り指揮値を足して6以上だと成功だ。Abeleの指揮値は3なので3分の2の確率で成功する。活性化に失敗した場合、指揮官は動けず配下のユニットは指揮官にむかってのみ半分の移動力で移動ができる。

 このシナリオではオーストリア軍に総指揮官は登場しないので毎回活性化チェックが必要、と思いきや、特別ルールでLeningenは常に活性化でき、AbeleはLeningenの指揮範囲にいれば活性化チェックは不要となる。ただ初期配置では指揮範囲外なのでチェックが必要で、失敗したのである。

 プロイセン軍にも総指揮官は登場せず、3人いる部隊指揮官は毎回活性化チェックを行うことになる。Franseckyは指揮値5なので常に成功、Schölerは4で6分の5の確率で成功なのだが、Hornは3なので3分の1の確率で失敗する。

指揮官ユニットの左下が指揮値。右端中央は戦闘ボーナス

 ぐずぐずしているオーストリア軍を後目に、平野部をプロイセン軍が前進する。このゲームでは街道(Route)を2ヘックス連続で通過すると移動力が+1される。Hornの部隊は街道沿いに急進、増援としてマップ右上から登場したFransecky率いる部隊がそれに続いた。

つづく

2024年6月15日土曜日

戊辰戦争の2年前の欧州で Münchengrätz 1866(VV174) AAR ①

  「1868 戊辰戦争」が発売されたと思ったらあっという間に完売して、ウォーゲーム界では戊辰戦争が盛り上がっているようだけれども、VaeVictisの最新号の付録ゲームは1866年の普墺戦争の会戦。おお、1866年と言えば戊辰戦争と同時代じゃないですか。いつもは中世の会戦ばっかりやっていてこの時代のゲームは全くと言ってやったことがないメンツだけれど、便乗するしかないだろこの戊辰戦争のビッグウェーブに! ということでプレイしてみた。

 今回VaeVictisでゲームになっているのはミュンヘングレーツMünchengrätzとギッチンGitschinの二つの戦い。ズデーテン山地を越えボヘミア(現在のチェコ)の中心部に向けて急進してくるプロイセン軍に対し、オーストリア軍は後退し戦力を集中しようともくろむ……ということらしいけど、普墺戦争ってモルトケ無双っていうイメージとケーニヒグレーツの戦いぐらいしか知らない。ミュンヘングレーツとギッチンはそのケーニヒグレーツの数日前に起こっていて、VVのヒストリカルノートも「ケーニヒグレーツの前の最後の戦い(Derniers combats avant Sadowa)」ってサブタイトルが付いている。ちなみにケーニヒグレーツの戦いってSadowaの戦いとも言うんですね。知らんかった。


 プレイしたのはミュンヘングレーツの戦いで、オーストリア軍は損害を抑えつつ撤退できるかというもの。ゲームはLes Grandes Batailles du temps de Napoléon III(ナポレオン三世時代の主要会戦) シリーズで、これまでもこのシリーズはVaeVictisの付録で何作か出ている。

 チットプルで部隊ごとに活性化し、砲撃・移動・戦闘を行うという比較的シンプルなルール。戦闘解決方法がやや特徴的だが、これは後述する予定。1ターン1時間、1へクス800m、高度レベルは1ごとに約50mの差。シリーズの作品によって規模が違うのかな、未確認なんだけど、ミュンヘングレーツとギッチンは1ユニットが連隊もしくは大隊で、1戦闘力が歩兵700-800名、騎兵だと500-600騎ほどを表している。

 初期配置は写真のとおり。マップの右上から左下にかけて流れるIser川が平野部と左上の山地を区切っている。このIser川はマップ右上の橋を除けば基本的にミュンヘングレーツ左方にある橋でのみ渡河が可能で、マップ中央の上と下にある橋は破壊されていて通行不可。また、ミュンヘングレーツ近くの橋はオーストリア軍が火を放つと通行不可になる。ただしプロイセン軍は橋の消火が可能なほか、渡渉点を探したり架橋することもできる。

 兵力的に劣勢なオーストリア軍は地形を利用して時間を稼ぎつつ秩序だった退却を行わなければならない。第6ターンにマップ南端の道路からマップ外に撤退するとユニット数に応じてVPが得られるが、逆にゲーム終了時にマップ上にユニットが残っているとVPが減少する。一方のプロイセン軍は敵の撤退を阻止しつつ、ミュンヘングレーツの村へクス、および制高点であるMusky山を5ターンまでに占領するとVPを得られる。


 早速プレイ開始、と言いたいところなんだけど本当に普墺戦争については全く知らないので、ヒストリカルノートとデザイナーズノートを読んでみた。VaeVictisのヒストリカルノートはたいていコラムがいくつかついているんだけれど、今回は5ページがっつりコラムなしの本文で勉強になりました。しかし、普墺戦争の開始時にプロイセンはザクセン王国に侵攻しているんだけど、オーストリア軍はザクセン軍をボヘミアに撤退させているんだよね。自国領土を一時的にせよ見捨てさせるほどオーストリアに統率力があったのかな。それと、普墺戦争ってドイツ語でDeutscher Krieg(ドイツの戦争)とも呼ばれるらしいんだけど、そういえばこの時期ドイツ統一をめぐってプロイセン中心の小ドイツ主義とオーストリア中心の代ドイツ主義の対立があったって世界史で習ったのを思い出しました。Deutscher Kriegっていうのはドイツのあり方を決める戦争だったってことなんですかね。


つづく

2024年5月7日火曜日

ディエン・ビエン・フー陥落から70年の日に読む、『HO』

 今年の5月7日はウォーゲーマーだったら誰でも知っているはずの、ディエン・ビエン・フー陥落から70年。……なんてことは全く知らなくて、Le Mondeの記事が目に止まって、おお、そうだったのかと知りました。

 この記事の動画では戦況図がわかりやすく示されていて、動画を眺めているだけでだいたいの流れが分かった気になりました。ベトナム人民軍の指揮官ヴォ―・グエン・ザップが出てきたときには、フランス軍が惨敗を喫した敵指揮官のことをフランス語で「赤いナポレオン」って言ってくんないかなー、って思っていたんですけど、ナポレオンのファン(passionné de Napoléon)って紹介されていましたね。そういやVae Victis33号のディエン・ビエン・フーの戦いも持っていてユニットまで自作したのに、どこか押入れの奥深くに眠っていますわ…。

 この第一次インドシナ戦争でのフランス敗北を決定づけた戦いですけど、ディエン・ビエン・フーで思い出したのが『HO』。え、HOって、水?いやあれはH2O…ってボケをかましたくなるぐらいシンプルなタイトルの本なんですけど、ベトナムの建国の父ホー・チミンのHOなんですね。

 筆者はデイヴィッド・ハルバースタム。ウォーゲーマーだったら彼の『朝鮮戦争』を読んだ人も多いんじゃないですかね。私も年末、蔵書の整理をしていたら本棚の奥底から出てきましたよ。それと、GMTに「Fire in the Lake」ってゲームがあるけど、あのタイトルってハルバースタムの書名から取っているんじゃないのかな。


 ハルバースタムは出世作『ベスト・アンド・ブライテスト』でベトナム戦争におけるアメリカ政府の過ちを描いていますが、彼、若い頃に特派員としてベトナムに派遣されているんですよね。その経験を基に書いた「娘への手紙(A Letter to My Daughter)」っていう小文があって、これまた味わい深いんですわ。以前もどこかで書いたけど、抑えた筆致がじわじわと来ます。それに最後の一文、 I wish in fact that someone had shown me a photo of Vietcong bodies and I had cried.は頭から離れません。


 ……ええっと、何の話してたっけ、そうそう、『HO』。そのタイトルどおり、ホー・チミンの生涯を描いた本なんですけど、なんでディエン・ビエン・フーで作品を思い出すかっていうと、ハルバースタムの知人がこのフランス軍の要塞を訪れたときのエピソードが印象的なんですね。ここは高地に囲まれていて、敵が周囲の高地を占領して砲を設置したらどうするんだって知人がフランス軍将校に聞くんですけど、その答えが、「やつらは砲を持っていない。たとえ持っていたとしても、使い方を知らない」。いやー、そんなふうに敵を見下していたらそりゃ負けるでしょ。というか、列強は植民地で現地の住民を見下しまくっていたんでしょうなあ。

 で実際はというと、ここはちょっと長いですがハルバースタムの文章を引用します。

 But they did have artillery. They had carried the pieces up and down mountains, through the monsoons, at night - hundreds of peasants, crawling over the mountain trails like ants, carrying one part after another. ... the willingness of peasants to bear great burdens under terrible conditions. And not only they have the artillery pieces, they knew how to use them. They had created extraordinary bunkers, perfectly camouflaged, almost impossible to detect from the air.

(拙訳: だが彼らは砲を持っていたのだ。夜、激しい雨にうたれながら、山々を越えて砲を運んでいった。数百の農民が、蟻のように山道を這いながら、部品を一つ一つ運んでいった。(中略)過酷な条件下であっても多大な負荷を担おうとする農民たちの意志だった。そして彼らは砲を持っていただけでなく、使い方も知っていたのだ。掩蔽壕を巧みに掘り、完全に隠匿していたため、空から発見するのはほとんど不可能だった)

 上のLe Mondeの記事の動画でも、ベトナム兵が山の中で砲を人力で引っ張り上げている様子が映っていますね。それと動画でも、フランス軍は軍事的優勢を確信していたって言われています。


 『HO』はディエン・ビエン・フーのことだけが扱われているのではなく、ホー・チミンが生まれた1890年からその生涯を追っています。自分が持っているペーパーバック版では約120ページしかないので、サクッとホーおじさんのことを知るのにいいかと。ディエン・ビエン・フー70周年なので、ちょっと読み返してみようと思います。


(追記)フランスの国防相が招待されてディエンビエンフーを訪れていますね。ベトナム政府がこの戦いの記念式典にフランスを招待したのは初めてだそうです。

「長年をかけて、フランスとベトナムは虚飾も憎悪もなくこの歴史を直視することを学んだ」とこの仏国防相は述べたようですね。

Invitée par le Vietnam, la France de retour à Diên Biên Phu (lefigaro.fr)

2024年5月5日日曜日

バルト海つながりで、『ハンザ同盟』

  Lyndanise1219の流れで12~13世紀バルト海沿岸の北方十字軍についてちょろちょろ調べたんだけど、そういえばこの時期だったかな、バルト海ってハンザ同盟というのを昔世界史の授業で習った気が…ということを思い出した。たしか北海からバルト海にかけての商業を支配した都市同盟だったはず、ぐらいの記憶しかなくて、改めて入門書を読んでみた。


 この本『Die Hanse』は、ハンザ同盟の黎明期の12世紀半ばから、その終焉の1669年までをカバーしている。ハンザは商業のための同盟なので、武力衝突に関する記述はほとんどないのがウォーゲーマー的には物足りないけど、まあ仕方ない。

 でもデンマーク王国などの領邦やドイツ騎士団といった、武力も領土も持つわかりやすい勢力のほかに、こういった都市同盟がどういうことをしていたのかを知るのは面白い。というか余計に中世のイメージがややこしくなった気もするけど、まあこれも自分の知識不足によるものなんでしょう。

 一応、Handelssperren und Kriege(貿易封鎖と戦争)という小見出しが付いた部分があるんだけど、ハンザ同盟としては戦争に関わる場合はたいていは財政的に支援したそうで、そうでなければ個々の加盟都市が他の都市の支援を受けながら戦争をしたらしい。要は同盟全体で一丸となって軍事力を発揮、ということはなかったようで、ウォーゲームにも登場しずらいっすよね。たいていの場合、敵はデンマークで、まあ北海とバルト海の商業を支配したいハンザ同盟としてはそのど真ん中に位置するデンマークは思いっきり邪魔だったでしょうな。戦争になった場合は通常は海賊行為が展開され、陸上での軍事行動はほとんどなかったそうだ。

 この本ではハンザ同盟は序列のはっきりした組織構造を持つ都市同盟というよりはむしろ、個々の都市の経済的利益を追求するために集まったエゴイストのグループだと述べている。そういや先日紹介した『Crusading and Chronicle Writing on the Medieval Baltic Frontier』だったかな、キリスト教勢力がバルト海東岸に進出するにあたってエストニア人など先住民にヨーロッパの武器を売ることを禁止していたのに、利益第一のドイツ商人が結構売っていた、なんて記述もあったな。これってハンザ同盟のことですかね。

 内容的にはハンザ同盟の形成、組織内容、消滅が説明されていて、ぜんぜん知識のない自分には勉強になりました。でも一番面白かったのは、ハンザ同盟のイメージの利用のされ方。現代のドイツではいいイメージが定着しているし、ソ連崩壊以降、バルト海沿岸諸国と他のヨーロッパの地域との結びつきの強まりはハンザ同盟を想起させているそうだ。それにとどまらず、19世紀末のドイツ帝国期にはドイツの北方での支配の先駆者として、第三帝国期には東方へのドイツ生存権の拡大に、冷戦期には東ドイツでは勃興する資産家階級の封建権力への階級闘争として、一方西側ではヨーロッパ統合の先例とされた……いやもう、こうやって並べるだけで政治的なご都合主義がよくわかる。「歴史とは何か確定したものではなく、歴史家によって『作られる』のだ」(Geschichte nicht etwas Feststehendes ist, sondern vom Historiker <<gemacht>> wird)という言葉が述べられているんだけど、たぶん筆者の自戒の念を込めているんでしょうなあ。そういやこれまた『Crusading and Chronicle Writing on the Medieval Baltic Frontier』でも、リヴォニア年代記がナショナリズムとの関連でいいように利用されてきた歴史が論じられていたな。

 この本、初版は2000年なんだけど、読んだのは第六版で2021年に出たもの。なので結構最近の研究が反映されているはず。筆者のRolf Hammel-Kiesowは、ハンザ同盟の中心都市だったリューベックにある、ハンザ同盟とバルト海の研究センターのForschungsstelle für die Geschichte der Hanse und des Ostseeraumesというところで長年所長を務めていて、ハンザ歴史協会の理事も務めていたので、ハンザ同盟研究の第一人者って考えていいのかな。この第六版が出たのと同じ年に亡くなっているそうです。そういうことを知ると、身を正して読めました。

2024年5月1日水曜日

天からデンマーク国旗が降ってきた Lyndanise 1219(VV118) AAR③

 ●第3ターン

 デンマーク軍の反撃が始まったがエストニア軍としても攻撃の手を緩めるわけにはいかない。上方では先ほどの攻撃で損害を被っていた敵歩兵にとどめを刺し、下方では指揮官やダンネブロのいる強力なユニットは避けて中央の2戦闘力の歩兵を攻撃。たまらず後退するデンマーク軍を追撃する。あと一押しでデンマーク軍の士気は崩壊する。敵の防御態勢を突き崩すのだ。


 デンマーク軍ターンになって、やっとヴァルデマールの位置が判明。3つある指揮官ユニットのうち2つはダミーで、両軍ともどれがヴァルデマールかわからない状態で初期配置をしていたのだが、国王がいたのは下方左。デンマーク歩兵と一緒だった。このゲームのデンマーク軍は、デンマーク部隊のほか、Roskildeのデンマーク兵、Lundのドイツ兵、Schleswigのドイツ兵、Rügenのスラブ兵から構成されている。やっぱり国王はデンマーク本隊と一緒にいたということか。ちなみにRügenはバルト海南西の島だが、12世紀にデンマーク軍の侵攻を受けこのLyndaniseの戦いの少し前にデンマーク王に臣従している。


 なお、指揮官ユニットをエストニア軍が討ち取ったとしても、やはり第3ターンになるまでそれがダミーなのかヴァルデマールなのかわからないことになっている。史実ではデンマーク軍野営地を襲撃したエストニア軍はエストニア司教を殺害したが、デンマーク王だと思っていたそうで、このことを反映したルールとなっているらしい。指揮官ユニットが除去された場合、4戦闘力分の除去となるのでかなり大きいのだが、エストニア軍はせっかく敵指揮官を討ち取ったと思ったらダミーでポイントにはならない、ということもありうるため、両軍ともに第3ターンのデンマーク軍ターンまで気が抜けないようになっている。


 デンマーク軍は前ターンに続き上方で反撃を続ける。消耗していたエストニア歩兵が壊滅。この勢いでさらに敵を蹴散らせ、と3対1で2戦闘力の歩兵を攻撃するものの、逆に撃退されてしまった。そしてマップ下方。先ほどの攻撃で突出してきていたエストニア軍ユニットを包囲、ヴァルデマールが陣頭に立ちダンネブロの効果も得て最大比率である4対1で攻撃、壊滅させた。これでエストニア軍の累積損害は7。エストニア軍は損害が16に達すると負けである。


●第4ターン

 エストニア軍の熾烈な攻撃が続く。マップ上部ではデンマーク軍のルンド騎兵をステップロスさせた。エストニア軍としては敵騎兵が上部に展開した結果生じた隙間に右側面からつけこみたいのだが、すべて歩兵であるため移動力が足りず、下方中央の敵に10戦力を集中して攻撃する。デンマーク軍はダンネブロを掲げ果敢に防御するものの衆寡敵せず後退。その後方にいた歩兵は、ダンネブロが敵の攻撃を撃退してくれないことに衝撃を受け、隊列を乱して退却してしまった。

 このゲームでは味方ユニットのいるヘクスに後退した場合、連鎖退却が起き、連鎖退却となったユニットは士気チェックが課される。今回はダンネブロとスタックしたユニットが後退しその後方の歩兵ユニットが連鎖退却、士気チェックに失敗してステップロスした、という形である。


 デンマーク軍は上方で攻撃を続ける。騎兵の集中攻撃、それに弓兵の支援のもとでのスラブ歩兵の攻撃で2ユニットをステップロスさせ、この方面のエストニア軍をかなり消耗させた。


●第5ターン

 最終ターンである。あと3戦闘力、壊滅させればエストニア軍の勝ちだ。海の向こうから侵略してきて我々の信ずる神々まで奪おうとする敵を打ち破るのだ。デンマーク軍の騎兵2ユニットを包囲、攻撃する。スラブ騎兵は出血しつつも攻撃に耐えたものの、すでに消耗していたルンド騎兵が壊滅してしまった。


 デンマーク軍の累積損害は20になり、士気崩壊閾値に達してしまった。エストニア軍の損害が同軍閾値の16に達しない限り負けてしまう。いや、我々には神のご加護があるのだ。異教徒どもに負けるはずがない!

 デンマーク軍は必死に最後の攻撃を行う。先ほど包囲攻撃を受けたスラブ騎兵が弓兵の支援を得て反撃、敵を壊滅させる。さらにダンネブロを掲げたRoskilde騎兵が突進、敵を蹴散らす。これでエストニア軍の累積損害は14。よし、ここで勝負をつける! ヴァルデマール自らが陣頭に立ち、渾身の一撃をくらわす。だが民族の自由と独立に燃えたエストニア兵が奮起、損害を被りつつも壊滅には至らなかった。

 こうしてデンマーク軍の侵攻は撃退された。だがバルト海の制海権を握り勢力拡大を目指すデンマーク王は再び遠征してることだろう。南部からはリヴォニア帯剣騎士団、後にはドイツ騎士団の攻撃が続きキリスト教化が進められ、Lyndaniseの約20年後には「Nevsky」の時代を迎えるのである。


 ミニゲームだけど最後まで両プレイヤーとも楽しめました。以前も書いたと思うけど、A la Chargeシリーズは中世の会戦を扱いつつ、移動・戦闘のシンプルなターン構成、ZOCあり、戦闘力比での解決と、ウォーゲームの基本的なルールを使っています。なので、中世に興味のあるウォーゲーム未経験者にプレイしてもらって、そこから「ドイツ戦車軍団」とかWWⅡに引きずり込むのに使えるんじゃないかなーと思っています。


『ナポレオンの騎兵とその指揮官たち』

  いつものことなんですが本って自分でなかなか選べずにほかの人が勧めているのを読むのが多いんですけどね、先日こういうポストを目にしまして。 『Napoleon's Cavalry and its Leaders』、読了しました。 1978年初版と古い本ですけど、フラン...