2022年10月29日土曜日

親衛隊は死すとも降伏せず  La Garde Avance! (VV161) AAR ③

 ●第1ターン


 ネイ率いる壮年親衛隊(青)が前進を開始する。「La Garde Avance!」の特別ルールで、第1ターンの活性化はネイの部隊から始まるのだ。高地上に布陣している英連合軍はずらっと砲門を並べているため、方陣を組んでゆっくりと進んで攻撃だなんてなんの罰ゲームだよと仏軍プレイヤーが愚痴る。このゲーム、仏軍をプレイしているとほんと精神力が試されます。守る英連合軍プレイヤーは

「クレシー、ポワティエ、アジャンクールと、有利な防御地形に拠っている英軍に対して臆せず果敢に攻撃していった輝かしい伝統がフランス軍にはあるじゃないですか。祖先を見習わないと」

と挑発。いやそれ、全部フランス軍がお手本にしちゃダメなやつだから。


 じわじわと前進する親衛隊に対し、英連合軍は中央部隊(青)の全砲門が一斉に火を噴く。次々と敗走するフランス兵、と思いきや、砲撃を受けても士気の高い親衛隊の隊列は全く崩れない。


 Jours de Gloire(JdG)ではユニットは、兵数を反映している戦闘力(Points de force)の他に、CohésionとValeur d'engagementという数値を持っている。Cohésionは砲撃や戦闘で損害を受けるかどうかや混乱からの回復チェックなどに使い、Valeur d'engagementは総指揮官から命令を受けていない状態(後述する予定)でも攻撃や突撃ができるかのチェックに使われる。

 それぞれ直訳っぽく訳すと結束値と交戦値となるかなと思うんだけど、なんか雰囲気が出ないと感じるのでこのAARではCohésionは士気、Valeur d'engagementは兵質と表記することにする。おかしいと思われた方は結束値や団結力など好きな言葉に置き換えて読んでくださいコムヴヴレ。

 士気は英連合軍の歩兵ユニットのうち約7割が4,残り3割が5なのに対して、壮年親衛隊はすべて6と高い。そのため砲撃をくらって士気チェック(test de cohésion, TdC)の結果が出ても損害が出ない可能性が高いのだ。


 ところで訳語といえば、JdGでは近接戦闘にあたるChocという攻撃があるんだけど、どう訳せばいいんでしょうね。ルールには「Chocは歩兵によって行われる場合は近距離射撃と銃剣による突撃の組み合わせで、chocにおいて歩兵は戦闘そして白兵戦に参加することができる。騎兵も歩兵同様にchocを行うことができる」って書かれている。個人的には白兵戦と表記したいんだけど、それだと射撃が含まれないし、「近接戦闘」とかだとなんか勢いを感じさせないし。まあ無理に訳さずにそのまま音読して「ショック」でもいいのかもしれないけど。じゃあformationは「フォルマシオン」でOK? 


 と思っていたら、BGGにJdGシリーズのルールの日本語訳をあげてくれている人がいました

2021年版ルールとのことで、「La Garde Avance!」をやる分には問題ないんじゃないでしょうか。なお、このAARでは自分の好きな訳語を使っているのでこの日本語訳ルールとは言葉が違う場合があると思います。


 それと、Vae Victisの公式サイトには「La Garde Avance!」の特別ルールの英訳がアップされています

前述のJdG共通ルール日本訳と併せてこれを読めば、フランス語を読まなくてもプレイできると思います。特別ルールは実質1ページなので読む負担はかなり軽いかと。(上記サイトにはJdG共通ルールの英語版もあります)


 閑話休題。自軍砲撃のあまりのサイの目の悪さに茫然とする英連合軍プレイヤーだったが、追い打ちをかけるようにネイの部隊の活性化チットが引かれて愕然としてしまう。このゲームでは各部隊ごとに2枚の活性化チット(Marqueur d’Activation, MA)が用意されており、基本的に1ターンに2回活性化できるのだ。

「マジ? 無傷の親衛隊が攻撃してくんの!?」

 仏軍はまず砲撃で敵中央部を混乱させたのち、壮年親衛隊が突撃。砲兵はショック攻撃を受けると防御射撃(tir de réaction)ができるため、砲兵スタックへの攻撃はリスクがあるのだが、至近距離からの砲撃をものともせず親衛隊が突っ込んでいく。

 防御側の英連合軍ユニットは高地上で戦列を引いているが、実際の戦いでは稜線の向こう側で身をかがめてフランス軍の視界から隠れていたらしい。そのため、特別ルールでゲーム当初はこれらのヘクスは平地(Clear)ではなく荒地(Difficile/Coupé)とみなされ防御に有利になる。だが高い士気を誇る親衛隊は待ち構えていた敵にひるむことなく猛攻。精鋭部隊の攻撃に英連合軍はたまらず混乱状態になり退却を余儀なくされた。いきなり中央突破か?




つづく

2022年10月27日木曜日

親衛隊は死すとも降伏せず  La Garde Avance! (VV161) AAR ②

  「La Garde Avance!」の初期配置は写真の通り。このゲームは1ターン20分で1へクス100mと、JdGシリーズの他のゲームよりは規模が小さくなっている。なお、親衛隊は最初から方陣(carré)を組んでいるので方陣マーカーをユニット上に載せるんだけど、見ため的にユニットが現れているほうがいいのでマーカーは下に置いている。このやり方はネットで見つけたAARからパクり……見習わせてもらいました。



 ところでナポレオニックの言葉って定訳があると思うんだけど、ぜんぜん自信がありません。だって、家にあるナポレオン関連の書籍っていったら池田理代子の『エロイカ』ぐらいなんですよ。詳しい方、優しく教えてくださいシルヴプレ。Vieille Gardeは老親衛隊でOK? で、Moyenne Gardeは中年親衛隊?? でも「中年親衛隊」って聞くと、アイドルにはまったおっさん集団が推しのライブで夢中になっている絵が思い浮かぶんだけど……あわわわわ、皇帝陛下の親衛隊を茶化すようなこと言ってすみません。自分が馬鹿でした。ナポレオニック好きの方、怒らないで! バヨネットをこっちに向けないで! ヴィーヴ・ランペルール! La Garde meurt mais ne se rend pas!! 

まあ、Vieille Gardeは老親衛隊と書くのが自分的にはしっくりくるので、Moyenne Gardeのほうは壮年親衛隊と書くことにします。ただvieilleとかmoyenneというのは所属する兵の年齢ではなくて、編成された時期から来ているみたいですね。だったら「古参」「中堅」とかのほうがいいのかな。というか、gardeって女性名詞だったのね。


 で初期配置のフランス軍のほうだけど、ネイ率いる壮年親衛隊の後方にロゲ(Roguet)の老親衛隊が控えており、右には第一軍団ドンズロ(Donzelot)師団の残余、左には第二軍団バシュリュ(Bachelu)師団がいる。これを迎え撃つ英連合軍(Anglo-allies)のほうは高地を占めている。JdGはチットプルで部隊(formation)ごとに活性化するのだが、フランス軍は上記4部隊に、英連合軍は中央(青)、予備(緑)、騎兵(灰色)の三つの部隊に分けられており、ユニットの上部の線の色で所属部隊を識別する。なお両軍の総指揮官(général en chef)のナポレオンとウェリントンのレーティングは同じである。

 マップ右端のラ・エイ・サントはフランス軍が占領しておりZOC(Zone de Contrôle)も及ぼす。ただし両軍とも進入不可。逆に左端にあるウーグモンは英連合軍が持ちこたえており同様にZOCを持つ。

 

 前述のとおり親衛隊はすべて方陣を組んでいる。JdGでは方陣を組むと移動や攻撃ができなくなるのだが、「La Garde Avance!」には特別ルールがあり、方陣を組んだ親衛隊ユニットは移動と攻撃が可能となっている。ヒストリカルノートによると親衛隊の大隊はすべてcarré ouvertという方陣を組んで前進した。散兵を配置せず、仏騎兵がほとんど消耗していたため敵騎兵の攻撃に対する防御の備えをしながら戦ったらしい。carré ouvertって「開かれた方陣」といった意味になるけど、定訳をご存じの方教えてくださいメルシーダヴァンス。

 まあとにかく、このゲームの親衛隊は方陣を組んだまま前進、攻撃をしなくてはならないのだが、移動力が半減して2になるうえに砲撃を受けるとサイの目が1不利になる。自分から方陣を解くことは禁じられており、さらには敵砲兵の射程内に配置されているため、のろのろと前進する親衛隊は砲撃のいいカモである。だがグルーシーは現れず右翼からブリュッヒャーが迫る今、フランス軍の勝利のためには敵の中央戦列を打ち破るしかないのだ。断じて行えば鬼神も之を避く。デザイナーズノートでも、フランス軍プレイヤーが敵陣を突破するのは現実的に不可能ではないと書かれているではないか。


つづく

2022年10月24日月曜日

親衛隊は死すとも降伏せず  La Garde Avance! (VV161) AAR ①

  ワーテルローの戦いの最終局面、親衛隊による攻撃をシミュレートしている「La Garde Avance!」はナポレオニックの会戦級のゲームJours de Gloire(栄光の日々)シリーズの最新作で、今年3月に出たVae Victis161号の付録ゲーム。ウェリントンの粘り強い防御に消耗していくフランス軍。その右翼にはブリュッヒャー率いるプロイセン軍が迫る。だが激戦の末に戦場中央部の要衝ラ・エイ・サントを陥落させたナポレオンは、親衛隊を投入して中央突破の賭けに出る。果たして親衛隊は英連合軍の戦列を抜くことができるのか、という燃えるシチュエーションである。



 Jours de Gloire(JdG)シリーズはVae Victisの付録のほか、単体ゲームなどで計30作以上出ているらしい。その中で「La Garde Avance!」はマップが小さいうえ5ターンしかなく、プレイ時間は1時間とのことだから自分のようなJdG初心者でも気軽に遊べる。

 とはいえ、JdGでは命令を受けている部隊とそうでない部隊ではできることが違ったりとか、うーん、自分の脳みそのキャパではちゃんと理解できているか不安……と思っていたら、JdGの解説動画がユーチューブにありました。動画で説明してもらうとわかりやすいっす。いやルール読めばいいだろ、という話なんですけど、ふんだんに図で例示してもらえるとハードルが下がります。2014年にアップされたみたいでルールの細部は変更があるかもだけど、ルールやゲームの手順をざっくり把握するのに役立ちました。


 それにしてもワーテルローなんてメジャーテーマのゲーム、長い間怖くて手が出せていなかった。でもBANZAIマガジンの次号はワーテルローだ。乗るしかないだろこの波に! ということで「La Garde Avance!」をやってみた。

←ウソです、ごめんなさい。BANZAIマガジンのことはプレイしてこのAARを書き始めた後に知りました。

 「La Garde Avance!」をやってみたのは、たまたま前回プレイしたAu fil de l'épéeシリーズ(AFdE)のデザイナーFrédéric Beyがデザインしたゲームだから。だってFrédéric Bey先生、AFdEは2018年から新しいのを出してないし。Vae Victisでは162号でビザンツについて記事を執筆したりしているのになー。でも、別のデザイナーのゲームだけどA la Charge!シリーズは今年5年ぶりに新作が出たし、Bey先生、あきらめずに待ってますよ! それとBANZAI次号も期待してます。

 BANZAI次号の付録ゲームはSSワーテルローの再版らしい。SSシリーズといえばたしか昔シミュレイター誌に、中黒氏がSS川中島を日本のワーテルローだと言ってアメリカ人に売り込んでいたって書かれていた(自分の記憶違いだったらごめんなさい)。若い頃から国際的なマーケティングセンスがあることをうかがわせるエピソードで、栴檀は双葉より芳しというやつですか。


 というわけで「La Garde Avance!」なんだけれども、ナポレオン戦争は、まあその、なんだ、よく知らないんですよ。すみません。なのでまずはヒストリカルノートを読んでみた。Vae Victis161号には"L'infanterie de la Vieille Garde au combat"というタイトルで、親衛隊について1799年の執政親衛隊の創設からワーテルローでの敗戦までが6ページにわたって描かれている。筆者は「La Garde Avance!」のデザイナーFrédéric Bey。親衛隊は二百年以上たった今でも、ナポレオン軍の中でもっとも敬意を払われ研究されている、なんてこと書かれていたら読むしかないじゃないですか。親衛隊って精鋭部隊だよねぐらいの漠然としたイメージしか自分は持ってなかったけど、いろいろと勉強になりました。ということでヒストリカルノートを和訳してみました。ご興味ある方は下記リンクからどうぞ。





……なんてなことはしてません。だって、ナポレオン関連の文献は日本語でふんだんにあるでしょうからね。親衛隊のことを含めナポレオニックについてあんまり知らない自分がウォーゲーマーの中ではマイノリティなんだろうなあ。それと、デザイナーズノートでは親衛隊の士気などについて説明されていて面白かったです。


つづく

2022年10月22日土曜日

最後の騎士と呼ばれた男  Guinegatte 1479 - La Trêve ou l'Epée(Ludifolie) AAR ⑥

 ●第10ターン 

 ブルゴーニュ軍の両端は兵力が足らず間隙が生じており、フランス軍の両騎兵部隊はそこに浸透。背後から白兵戦をしかけブルゴーニュ軍騎兵はたまらず潰走していく。フランス軍騎兵部隊がマップ右端へと前線を押しこんでいるため、中央のマクシミリアンの指揮が届かずブルゴーニュ軍は有効な対応が打てない。


 もうボロボロになったブルゴーニュ軍左翼騎兵部隊を率いるPhilippe de Clevesは、ギネガテの戦いの前からフランドル地方を治めフランスと戦っていた。ブルゴーニュ公シャルルが残した一人娘の公女マリーは領民たちから「美しき姫君」や「我らのお姫さま」と慕われていたのだが、Philippe de Clevesは幼い頃はそのマリーの遊び相手だったらしい。マクシミリアンとマリーの夫婦仲はよかったが、マリーは若くして亡くなる。その後マクシミリアンは神聖ローマ皇帝になり、ブルゴーニュ領ネーデルラントを帝国の勢力圏内に組み込もうとしたらしく、Philippe de Clevesはそんなマクシミリアンに対して反旗を翻す。あくまでブルゴーニュ公家そして幼馴染のお姫様マリーに忠節を貫いたということか。


 ブルゴーニュ軍は中央でもフランス軍の射撃によってじわじわと士気低下、はては潰走するユニットが出る。両翼の敵騎兵部隊に対応する必要があるため、ゲーム前半のときのように中央で積極的に攻勢に出ることができないのだ。マクシミリアンとしては耐えるしかない。



 

 最後の騎士と呼ばれたマクシミリアンはさまざまなエピソードを残しているのだが、狩猟で銃を使うのは卑怯、と弓矢でカモシカ猟をしていたそうだ。そういうこだわりが最後の騎士と呼ばれた所以ですかね。ある日、お供のものもついて行けないほどの峻険な岩山をものともせず一人でガンガン上っていき、狭い岩角に片足をかけ、弓矢を放っていた。だがあまりにも険しい場所だったためそこから動くことができず片足で立ったままになっていたという。いやなんかそれ、騎士というよりはギャグですか、という印象を受けるんですけど…。そうすること三日目、いずこともなく牧人が現れマクシミリアンを安全な場所に導いた。いまもインスブルックにはマルティンの岩壁という場所があり、これがマクシミリアンが三日間立ち尽くしていたところだと言われている。マクシミリアンを助けた牧人は天使だったとも伝えられているらしい。なんか、こういうおちゃめなエピソードが何百年も語り継がれているところに、マクシミリアンが人々に敬愛されたということがうかがえますな。

 ちなみに岩山で立ち往生、という話を聞くと、落石事故で右腕が岩に挟まれ、5日間の苦闘ののちに自ら腕をナイフで切断して脱出したアーロン・ラルストンを思い出す。母校のスピーチでもこの経験をポジティブに語っていて、すげーなーと。




●第11ターン 

 ターン最初の射撃戦で双方に潰走ユニットが出る。もともとユニット数が敵よりも少ないブルゴーニュ軍としては痛い。

 そしてフランス軍騎兵部隊の攻撃。目指すはブルゴーニュ軍の荷車列、お宝を奪うのだ! 欲に疲れも忘れたか、次々と敵騎兵を潰走、壊滅させていく。

 フランス軍右翼の騎兵部隊を率いる、フランス軍総指揮官Philippe de Crèvecœurは若い頃はブルゴーニュ側で仏王ルイ11世と戦ったりしていたが、マクシミリアンの舅ブルゴーニュ公シャルルが1477年に戦死するとフランスに寝返ったらしい。ギネガテの戦いのたった2年前ですね。この戦いの4年後にはフランス元帥(Maréchal de France)になっている。


 フランス軍は騎兵部隊と連動して中央の歩兵部隊も攻撃に出る。集中射撃で敵槍兵を潰走させた。フランス軍は得点を伸ばしていき、壊滅ユニットによる得点の差は2にまで縮まった。


●第12ターン

 最終ターンである。お宝頂戴! と全力で駆けるフランス軍騎兵だったが、おしくも一歩及ばず。だがフランス軍総指揮官率いる騎兵主力部隊が敵歩兵を壊滅させていく。


 中央では両軍ともに指揮官たちが陣頭に立って最後の死闘を繰り広げる。フランス軍の歩兵部隊を率いるAntoine de Choursesに至っては、指揮官自ら騎兵を率いて突撃。たまらず戦列を乱して後退するブルゴーニュ軍の歩兵。マクシミリアンを中心に、残り少ない兵力で必死に防戦、反撃する。




 そして長時間にわたった戦闘も終わりを迎えた。勝利得点は、フランス軍は51。ブルゴーニュ軍は敵ユニット壊滅によって同じく51、だがそれに加え、潰走状態の敵軍1ユニットにつき1点を得られるので、計55。両者の差は4で、この戦いは引き分けとなった。

2022年10月21日金曜日

最後の騎士と呼ばれた男  Guinegatte 1479 - La Trêve ou l'Epée(Ludifolie) AAR ⑤

●第8ターン

 マップ下方でフランス軍騎兵部隊の攻撃が続き、この方面のブルゴーニュ軍騎兵部隊は半減、残存2ユニットとなった。ブルゴーニュ軍は中央から兵力を割いたものの、機動力の低い歩兵では敵騎兵による延翼運動への対応が遅れてしまう。さらには、ブルゴーニュ軍が潰走した際にはマップ右端に向かって逃走するのだが、そちら方面にフランス軍騎兵が回り込んできているため潰走できずに壊滅するユニットが出てきた。


 マップ上方でもフランス軍騎兵部隊の攻撃にブルゴーニュ軍騎兵だけでは対応しきれなくなってきている。ただしここは幸い、通行不能の川によってフランス軍騎兵の迂回運動は妨げられているため、歩兵部隊が支援に駆け付け反撃を行う。

 

 こちら方面のブルゴーニュ軍歩兵部隊を率いているのはNassau-Dillenbourg伯Engilbert二世。ギネガテの戦いのときはまだ20代の青年だったが、ブルゴーニュ公国の金羊毛騎士団に序列されている。1487年にはフランス軍の捕虜となり、莫大な身代金と引き換えに解放されているが、その後も長くフランドル地方でフランスに対抗した。


 ブルゴーニュ軍にとっては両翼の危機が続くが、総指揮官であるマクシミリアンは中央で動かない。なるべく多くの自軍ユニットを総指揮官の指揮範囲内にとどめ、柔軟な対応ができる態勢を維持するのだ。


 マクシミリアンはブルゴーニュ公シャルルの戦死後、いわば入り婿のような形でハプスブルグ家からブルゴーニュ公国に入っている。結婚相手であるマリーはシャルルの一人娘で、ブルゴーニュ家の人々にとっては我らがお姫様。その結婚相手だからマクシミリアンも一応受け入れたらしい。だがよそ者だったマクシミリアンは領内を精力的に回り率先して庶民と気軽に語り合おうとする姿勢を見せたため、次第に人々から好意を寄せられるようになったそうだ。

 ちなみにオーストリアから来たマクシミリアンはブルゴーニュ家で話されていたフランス語が分からず、マリーはドイツ語が話せないため二人は最初のうちは、当時のヨーロッパの共通語だったラテン語で会話をしていたそうだ。婚姻の際にマクシミリアンがマリーにダイヤの指輪を贈っており、婚約の際にダイヤの指輪を贈るという慣習のもとになったと言われている。いらんことしよってからに、と高価な婚約指輪をねだられた男性は思うんですかね。


●第9ターン 

 ブルゴーニュ軍の中央歩兵部隊の弓兵と槍兵の積極的な攻撃によって弱体化していたフランス軍中央歩兵部隊だったが、再編成に努め次第に戦力が回復してきている。白兵戦で攻撃に出るには戦力が足りないものの、射撃によってブルゴーニュ軍中央にじわじわと損害を与える。そしてフランス軍両翼の騎兵は敵後方への突破を目指して猛攻。ブルゴーニュ軍の損害が増え、気がついたら点差は11に縮まっていた。


 フランス軍が敵後方への突破をもくろむのは中央歩兵部隊と連携して敵を挟み撃ちするためだけではない。ブルゴーニュ軍がはるか後方に退避させている荷車4ユニットが標的なのだ。実際のギネガテの戦いではフランス軍騎兵は敵荷車の略奪に夢中になってしまい勝機を逸したが、このゲームではその誘導のためか、フランス軍は騎兵によって荷車を破壊すると10点のボーナスが得られる。荷車自体も1ユニット壊滅するごとに2点なので、一気に18点取って逆転する可能性があるのだ。フランス軍騎兵がどちらかの翼で突破した場合、騎兵がほとんど残っていないブルゴーニュ軍は荷車を防御するすべがないため、少しでも粘って戦列を維持するしかない。残りはあと3ターン。戦況は時間との戦いの様相を見せてきた。





つづく




2022年10月19日水曜日

最後の騎士と呼ばれた男  Guinegatte 1479 - La Trêve ou l'Epée(Ludifolie) AAR ④

 ●第6ターン

ブルゴーニュ軍の射撃で、フランス軍歩兵部隊の指揮官Jean de Baudricourtとスタックしている騎兵が潰走。これは痛い。スタックしているユニットが潰走すると指揮官は一緒に潰走するのだ。だがフランス軍は右翼(マップ下方)にいる総指揮官の指揮のもと、歩兵部隊が反撃する。弓兵の集中射撃によってマクシミリアン直属部隊の弓兵が潰走した。さらにフランス軍右翼の騎兵部隊が正面のブルゴーニュ軍騎兵部隊を攻撃、2ユニットを士気低下状態で退却させる。そして左翼の騎兵部隊も機動力を生かして敵ユニットの間隙から背後に進入し攻撃。ブルゴーニュ軍騎兵部隊指揮官は士気低下状態となった騎兵とともに退却を余儀なくされた。


 ブルゴーニュ軍はここで総指揮官マクシミリアンの活性化が回ってくる。このままでは敵騎兵部隊が両翼を突破してくる可能性が高い。特に、左翼(マップ下方)は自軍歩兵主力と離れているうえにスペースも広く敵の騎兵部隊に圧倒される危険性がある。たしかに前ターンの攻撃で敵中央の歩兵部隊にはかなりの損害を与えた。だが敵騎兵が自軍後方に回り込んできた場合、敵中央に攻勢をしかけている主力部隊の歩兵はすぐに対応することは難しいだろう。そうだとすると、早めに守りを固めるべきか。


 しばし迷ったブルゴーニュ軍プレイヤーだが、思い切って中央での攻撃を続けることを決断する。中央は総指揮官マクシミリアンがいるため二回活性化できる。一方、中央の敵歩兵2部隊のうち、マップ上方の部隊は敵総指揮官から離れているため1回の活性化しかできない。しかも、もう一つの歩兵部隊は指揮官が潰走している。今のうちに敵歩兵部隊に強烈な打撃を与えておくのだ。

 

 そう考えたブルゴーニュ軍は中央で全力で攻撃を加える。中央上部に進出してきている敵騎兵にも反撃を加え、士気低下状態にして撃退した。騎兵が戦場を支配する時代はとっくの昔に終わったということを思い知らせてやる。実際、「最後の騎士」と呼ばれたマクシミリアンだが、ギネガテの戦いでは騎乗せずに歩兵とともに戦っている。このゲームでもフランス軍の歩兵部隊指揮官は二人とも騎兵ユニットとスタックしているのに対し、マクシミリアンとスタックしているユニットは下馬騎士(Ch à pied)である。


 多くのユニットが潰走したフランス軍だが、ターン終了時の回復フェイズで多くが回復した。だが、指揮官がスタックしている潰走騎兵は回復に失敗。必死に押しとどめようとする指揮官の言うことを聞かず、恐怖にかられた兵たちは安全な場所を目指して逃走し、その波に飲み込まれて指揮官も一緒に後方に下がっていってしまった。その結果、次ターンはこの歩兵部隊の多くが指揮範囲外になる。これは痛い。ADdEではターン冒頭に各ユニットが指揮官の指揮範囲にいるかどうかのチェックがあり、指揮範囲外になるとそのターンは攻撃ができないなどかなり行動が制限されてしまうのだ。





●第7ターン


 フランス軍は両翼での攻撃を続ける。騎兵は質も量もフランス軍が上なのだ。そのうちブルゴーニュ軍が限界を迎えるはず。そしてボロボロになっている中央歩兵部隊は残存している弓兵で射撃を加えるとともに、再編成に努める。

 そんなフランス軍に容赦なく射撃を加えるブルゴーニュ軍。歩兵の潰走に巻き込まれて、仏軍中央上方の歩兵部隊を率いるAntoine de Choursesまでもが潰走してしまった。ターン終了時に回復はしたものの、フランス軍中央はかなり弱体化している。

 このゲームでは両プレイヤーとも勝利得点は基本的に壊滅した敵ユニットによって得られる。得点は兵種によって異なり、騎兵は4や5と高く、槍兵は2だ。第7ターン終了の時点でブルゴーニュ軍はフランス軍より24点リード。ゲーム終了時に相手より7点以上得点が上のプレイヤーが勝利する。フランス軍は敵の大量リードを縮めることができるのか。





つづく

2022年10月17日月曜日

最後の騎士と呼ばれた男  Guinegatte 1479 - La Trêve ou l'Epée(Ludifolie) AAR ③

●第4ターン
 射撃戦で両軍ともに損害を受ける。前ターンに引き続きブルゴーニュ軍は中央で押していくが、両翼、とくに左翼(マップ下)では敵騎兵部隊によって劣勢に立たされている。

 AFdEでは各ターンの最後に回復(Ralliements)フェイズがあり、ブルゴーニュ軍の潰走や士気低下状態ユニットの多くが回復した。回復フェイズでは接敵していないユニットは士気低下状態や潰走状態からの回復を試みることができる。各ユニットには戦闘力(Facteur de combat)のほかに兵質(Qualité)という数値を持っており、10面体サイコロを振って兵質以下の目が出れば士気低下状態から回復できる。ブルゴーニュ歩兵は3分の2が兵質5,残りが4だ。一方フランス軍歩兵の兵質は6割が4,残りが3と、ブルゴーニュ歩兵のほうが高い。
 なおフランスは、百年戦争中の1445年には常備軍の走りとなる勅令隊(compagnies d'ordonnance)が、1448年には各教区ごとに平民が一人を民兵を出すという国民弓兵隊(francs archers)が創設されている。このゲームでのフランス軍の歩兵ユニットには勅令隊と国民弓兵隊が含まれているが、兵質は勅令隊のほうが国民弓兵隊より1高く、常備軍と民兵の違いが現わされていると思われる。

 ブルゴーニュ軍は多くのユニットが回復したものの、フランス軍で遅れ気味だった中央上方のAntoine de Chourses率いる歩兵部隊が戦闘に参加してきているため、中央の多数の敵歩兵部隊に適宜反撃しつつ両翼の騎兵部隊にどう対処するかが悩ましい。逆にフランス軍は中央でプレッシャーをかけつつ両翼の騎兵部隊で早く突破したいところだ。




●第5ターン
 中央の射撃戦で両軍とも大きな損害が出る。兵数で劣っているブルゴーニュ軍としてはこうして消耗戦となるのが痛い。
だがこのターンはブルゴーニュ軍がイニシアティブを握った。マクシミリアンの指揮のもと、中央の仏歩兵部隊に総攻撃を仕掛ける。砲撃で吹き飛ぶフランス軍歩兵。ブルゴーニュ軍は歩兵部隊の指揮官Romont伯が陣頭にたち、仏軍弓兵の防御射撃を受けながらも果敢に白兵戦をしかける。フランス軍の歩兵戦列は崩れ多数が潰走、騎兵部隊も損害を受けた。

 ブルゴーニュ軍を指揮するマクシミリアンだが、ハプスブルグ家の神聖ローマ皇帝フリードリヒ三世を父に持つ。ハプスブルグ家といったらその後何世紀にもわたってヨーロッパにおける有力な王朝となるが、フリードリヒ三世の時代はそれほど勢力が飛び抜けていたわけではないらしい。分裂状態のドイツにおいて、毒にもなにもならない無能者とみなされていたからこそ神聖ローマ皇帝の君主に選ばれた、なんてなことが書いてある文献もある。だがフリードリヒ三世は50年以上の長きにわたって統治し、その子マクシミリアンは初めて教皇による戴冠を受けぬまま神聖ローマ皇帝となり、以来神聖ローマ帝国の君主はローマに出向いて教皇から戴冠を受ける、ということをしないまま皇帝になる。つまりマクシミリアンの代になってドイツの皇帝となったと言えるらしい。
 しかし神聖ローマ帝国ってほんと、ややこしい。大空位時代や金印勅令とか世界史の授業で習った覚えがあるけど。まあとにかくずっと分裂状態で、三十年戦争が有名だけどその前から何世紀も諸侯がずっと勝手なことやっていて、18世紀にはヴォルテールが「神聖でなければローマでもなく、帝国でもない」という有名な言葉を残していますね。

 フランス軍は両翼の騎兵で攻勢を続けるものの、戦果が上がらない。だが後方からゆっくりと進んできた砲兵がやっと戦列に参加、砲撃で敵弓兵を士気低下させた。さらに多くの損害を受けている歩兵部隊では、指揮官を士気低下状態のユニットに隣接させる。指揮官は指揮ボーナス(Bonus)という値を持ち、指揮官と隣接もしくはスタックしているユニットは回復チェックの際、指揮ボーナス分サイの目が有利になるのだ。戦場から逃げ出そうとしている兵たちに指揮官が駆け寄って叱咤激励、士気回復させるというやつである。
 



つづく

2022年10月15日土曜日

(幕間)ギネガテの戦いのブルゴーニュ軍歩兵

  BGGを見ていると、この戦いでのブルゴーニュ軍はスイス歩兵の戦術を採用して勝利したんだからブルゴーニュ軍の歩兵は脆弱な槍兵(Piquiers, Pi)ではなくスイス兵(Suisses, Su)として扱うべきではないかっていう書き込みがあった。

ブルゴーニュ軍の戦術に関してWikiにそう書いてあるらしくて、読んでみると確かにギネガテの戦いで「革新的なスイスのpike squareの隊形がスイス以外の国で初めて採用された」ってある。(ところでpike squareって定訳あるんですかね。歩兵方陣? ドイツ語の文献を読んでいるとGewalthaufenって書かれたりしているけど)


 このゲームのブルゴーニュ軍の槍兵はヘント、イープル、ブリュージュなどフランドルの兵となっていて、フランドルの歩兵といえばギネガテの約180年前にコルトレイク(クールトレ)の戦いでフランスの重騎兵を打ち破っている。それにブルゴーニュ軍右翼歩兵部隊指揮官としてRomont伯がゲームに登場しているが、Romont伯はスイス西部に領土を持っておりスイス軍と戦った経験から、フランドルの歩兵にpike squareを教えたらしい。


 でもね、Wikiですよ。いまいち信用できなくて、そのソースとして挙げてあるHans Delbrück著の『History of the Art of War Volume IV: The Dawn of Modern Warfare』(の原著)を読んでみると、ちゃんと書かれていました。

 ちなみにこれ、もともとドイツ語で書かれていた本で、英訳は入手が難しそうであきらめかけたんだけど、ドイツ語のオリジナル『Geschichte der Kriegskunst, Band 4』がキンドル版だとなんと700円台で売っていたので速攻で買いました。キンドルで読むのは好きじゃないけど、文庫本ぐらいの安さで提供してくれるのはうれしいです。


 ちなみにJ. F. Verbruggerの『The Art of Warfare in Western Europe During the Middle Ages』では、コルトレイク(クールトレ)からギネガテまで、フランドルの歩兵はフランスの騎士に対してしばしば数的優越を有しておりそれが勝利の要因になった、みたいな感じのことがちょろっと書いてある。なお、フランドルはブルゴーニュ公国の勢力圏。あと、VerbruggerはDelbrückの中世の戦術の考察を批判したらしいですね。いずれにせよギネガテに関する資料はなかなか見つからなくて、もしご存じの方がいれば教えていただけると嬉しいです。


 まあとにかく、ブルゴーニュ軍は長い間スイスと戦っていてその戦術を熟知していたらしい。ギネガテの2年前にはブルゴーニュ公シャルルがナンシーの戦いでスイスのpike squareの前に惨敗して戦死しているぐらいだし。ちなみにギネガテ戦いのときにはまだ20歳だったマクシミリアンは、のちにスイス傭兵を模範としてランツクネヒトを育成している。


 それにDelbrückの他にも、中世の軍事史が専門のドイツの教授が書いた本で、ギネガテの戦いでマクシミリアンが長槍を手にGewalthaufenに加わった、てなことが述べられているから、この戦いでのブルゴーニュ軍はスイスの歩兵隊形pike square(Gewalthaufen)を用いていたんじゃないかと思います。


 このゲームのヒストリカルノートによると、ギネガテの戦いではフランス軍の騎兵がブルゴーニュの騎兵を一掃したあと、戦利品の略奪に夢中になってしまったらしい。その間にブルゴーニュ軍の歩兵がフランス軍の歩兵を粉砕、フランス軍は強固な陣形を維持しているブルゴーニュ軍を前にして退却せざるを得なくなった。結果はマクシミリアンの勝利で、圧勝なんて書いてある文献もあった。

  Au fil de l'épéeシリーズのSuはPiに比べるとかなり頑強である。というか、Piは兵種としてかなり弱い。どれくらい弱いかというと、白兵戦で弓兵相手でも不利なDRMがつくぐらい。もしブルゴーニュ軍の主力である歩兵がPiだと、圧勝どころかフランス軍に対してかなり不利になるだろう。ということで、両プレイヤー合意のもとでブルゴーニュのPiはSuとしてプレイしている。


つづく


2022年10月13日木曜日

最後の騎士と呼ばれた男  Guinegatte 1479 - La Trêve ou l'Epée(Ludifolie) AAR ②

 ●第1ターン

 フランス軍が前進を開始、一方ブルゴーニュ軍は少し後退して防御を固める姿勢を見せる。マップ下方の開けた地形がブルゴーニュ軍の弱点なのだが、後退することでマップの下方から右端にかけて流れる小川との距離を短くし防御しやすくするのが狙いである。


 Au fil de l'épéeシリーズ(長いのでAFdEと省略します)はターン制で、部隊ごとに活性化する。部隊の識別はカウンター左上に描かれた紋章(bannière)で区別するんだけど、中世っぽい雰囲気を感じてしまいます。

 また両軍ともに総指揮官(chef d’armée)がいるが、総指揮官を活性化するとその部隊だけでなく、他の部隊に所属しているユニットも総指揮官の士気範囲(rayon de commandement)内にいれば活性化できる。つまりユニットが総指揮官の周辺にいると自分の指揮官と総指揮官の活性化で二度動けることになる。

 フランス軍の総指揮官Philippe de Crèvecœurは最右翼(マップ下方)の騎兵部隊を指揮しており、総指揮官の部隊に隣接する歩兵部隊は2度活性化できる。敵が後退したのを見て、騎兵は持ち味の快速、歩兵は2度の活性化を生かしてフランス軍右翼(マップ下方)は全力で前進した。

 AFdEでは中世の会戦級のゲームによくあるようにユニットに向きがあり、前面にしか移動できない。向きを変えるのにも移動力を消費するため速やかな後退は容易ではない。接敵していると離脱や向きの変更に追加の移動コストがかかるため、さらに後退が難しくなる。そのため、フランス軍は早い段階で敵左翼(マップ下方)を補足し有利な防御態勢に持ち込ませないようにしようともくろんだのだ。



●第2ターン

 フランス軍は引き続き急進、総指揮官直属の騎兵部隊は敵左翼(マップ下方)に回りこもうとするとともに、騎兵部隊の隣のJean de Baudricourt率いる歩兵部隊が前進、弓兵による射撃でブルゴーニュ軍に損害を与える。

 

 部隊の活性化の順番は基本的に、両軍の区別なく指揮官(chef)の指揮値(Valeur)の順なので、どの部隊の次にどの部隊が動くかはほぼ計算ができ、フランス軍の左右両翼の騎兵部隊が最初に、逆にブルゴーニュ軍の両翼の騎兵部隊は最後に活性化することになる。ただし各ターンの活性化の前にイニシアティブの決定があり、両プレイヤーがそれぞれ2D6を振ってその差によっては活性化の順序を変えることができるので、完全に順序が固定しているわけではない。


 後退する姿勢を見せていたブルゴーニュ軍左翼(マップ下方)のPhilippe de Clèves指揮下の騎兵部隊だが、敵騎兵部隊が全力で前進してきたのを見るや迎撃、敵部隊先頭のユニットを叩いた。




●第3ターン

 AFdEでは各ターン、部隊活性の前に射撃フェイズがあり、両軍とも接敵していない弓兵(Archers, Ar)と砲兵(Artillerie, At)は射撃を行える。ブルゴーニュ軍は突出してきたフランス軍右翼(マップ下方)の騎兵部隊に砲撃をくらわせ、装甲騎兵(Hommes d’armes ou sergents, Ha)が潰走(déroute)した。また弓兵の射撃で槍兵(Piquiers, Pi)も潰走、それに巻き込まれて背後にいた弓兵も潰走したうえ、潰走した槍兵は後続部隊が密集していため逃げ場がなく除去されてしまった。フランス軍も応射。サイの目が走りブルゴーニュ軍の弓兵2ユニットが潰走した。

 AFdEでは潰走の場合、自軍マップ端に向かって2へクス後退しないといけないが、その際通過された味方ユニットは潰走する可能性がある。また2へクス後退できない場合は潰走ユニットは除去となるのだが、部隊が密集していると起こりがちである。計画的に部隊を展開させないとね、と経験者は語る。

 

 フランス軍は左右両翼の騎兵部隊が攻撃に出る。左翼(マップ上方)では騎兵3ユニットが突撃。ブルゴーニュ軍騎兵もカウンターチャージで応じる。騎兵同士の激突は質に劣るブルゴーニュ軍の後退に終わった。また、突撃を受けた槍兵は士気低下(découragé)して後退、フランス軍の騎兵は追い打ちをかけ槍兵は壊滅した。AFdEでは突撃は強力で、最大で連続3回の攻撃ができるのだ。


 両翼で損害を受けたブルゴーニュ軍は総指揮官マクシミリアンの指揮のもと、先ほど突撃してきた敵騎兵を撃退。さらに中央では弓兵の射撃で敵を士気低下させ白兵戦(mêlée)で槍兵を壊滅させた。フランス軍は弓兵の射撃でブルゴーニュ軍の反撃に対応しようとするが、損害にかまわず白兵戦を仕掛けてくるブルゴーニュ軍中央歩兵戦列によって押され気味となる。一方、フランス軍が優勢なマップ下方ではブルゴーニュ軍騎兵部隊が後退を余儀なくされた。




つづく

2022年10月11日火曜日

最後の騎士と呼ばれた男  Guinegatte 1479 - La Trêve ou l'Epée (Ludifolie) AAR ①

  「中世最後の騎士」、と聞くと大仰というか中二? と個人的には思ってしまうんだけど、こう呼ばれたのが神聖ローマ皇帝マクシミリアン一世。スペイン王国と神聖ローマ帝国の両大国を治めたカール五世(スペイン王としてはカルロス一世)、GMTの「Here I Stand」でも登場する有名人だけど、マクシミリアンはカール5世のおじいちゃんにあたる。

 マクシミリアンは武芸に優れるだけでなく、芸術にも理解を示すという騎士の理想像を体現していたことから、「中世最後の騎士」と呼ばれたそうだ。「勇猛果敢な胆力」とか「権謀術数を知りながら自ら裏切ることをしなかった」とかいろいろと称賛されている。活躍したのは中世から近世に移り変わっていく15世紀末から16世紀初頭で、まさに中世の終わりである。


 このマクシミリアンが神聖ローマ皇帝になる前、まだ20歳の時にブルゴーニュ軍を率いてフランス軍を打ち破ったのが1479年のギネガテの戦いなんだけれども、百年戦争関連の本を読んでいて、そういやブルゴーニュはどうなったと思ってギネガテの戦いをプレイすることにしてみた。

 中世のブルゴーニュはざっくりいうとフランスの王権を認めながらも半ば独立した公国となっていたらしい。百年戦争の後半ではフランス側はアルマニャック派とブルゴーニュ派に分かれて内紛を繰り返していたけど、百年戦争に勝利してイングランド勢力をほぼ大陸から追い出した後、フランスはブルゴーニュ公国にも手を伸ばす。当時のブルゴーニュは現在のオランダからフランス南東部にかけてを支配下に置き、宮廷文化が爛熟していたそうだ。ホイジンガの『中世の秋』にその辺は詳しいそうだけど、昔読んだはずなのに忘れちゃったな。1430年には金羊毛騎士団なんてのも創設されている。

 百年戦争ののち、1467年にブルゴーニュ公となった突進公シャルル(Charles le Téméraire)がフランスやスイスとガンガン戦争したんだけど1477年にナンシーの戦いで戦死、その一人娘マリーと結婚したマクシミリアンがフランス軍を迎え撃ったのがギネガテの戦いである。ちなみにこの時期、イギリスは薔薇戦争の真っ最中で1470年には白薔薇ヨークのイングランド王エドワード四世が1470年に亡命してきたりしている。


 ゲームは「La Trêve ou l'Epée」(Ludifolie)で、Au fil de l'épée(剣の刃によって)という中世の会戦を扱うシリーズの一つ。このシリーズはVae Victis誌の付録で何作か出されていたけど、DTPやジップロックの単体ゲームとしてもいくつか出ている。比較的ルールが簡単でプレイ時間が短いものが多い。ちなみにあれかな、Au fil de l'épéeってド・ゴールの著書「Le fil de l'épée」(剣の刃)にかけてんのかな。「La Trêve ou l'Epée」は直訳すると「停戦か剣か」。今回プレイするギネガテの戦いのほかに、ブランシュタックの浅瀬の戦いも収録されている。これは仮想戦で、1475年にイングランドのエドワード四世がフランスに遠征するとルイ十一世は戦うことなく金を払ってお引き取りを願ったのだが、もし両者がソンム川の浅瀬でぶつかっていたら、というものである。



 ギネガテの戦いの初期配置は写真の通り。槍兵(Piquiers, Pi)では質量ともにブルゴーニュ軍が上だが、弓兵(Archers, Ar)はフランス軍が質では劣るものの数ではブルゴーニュ軍の1.5倍で5ユニット多く、騎兵に至ってはフランス軍がブルゴーニュ軍の2倍の数を擁するうえ質も高い。しかもマップ下方はスペースが開けており、フランス軍騎兵が数と機動力を生かしやすいようになっている。この戦いは12ターンとAu fil de l'épéeシリーズの中では長丁場になっており、数に劣るブルゴーニュ軍が果たして守り切れるかどうか。


つづく


2022年10月7日金曜日

軍事メインの百年戦争通史

  百年戦争といったらアストラギウス銀河で繰り広げられたギルガメスとバララントの戦争。はじめは局地戦が続いていたが、そのうち戦線が拡大し二つの星系に属する200あまりの惑星が戦火に巻き込まれていった……じゃなーい!! 英仏間の戦争のほうですよ。14世紀から15世紀にかけての。ル・シャッコとかロッチナとか出てきませんからね。装甲騎兵が活躍したというのは同じだけど。

 この戦争について読みやすい本だと、中公新書の『百年戦争』と集英社新書の『英仏百年戦争』があるけど、ほかにないかなと探していて見つけたのが『A Brief History of the Hundred Years War』。ただどんな基準で買おうと思ったのか自分でも覚えていない。たぶん酔っ払いながらアマゾンを見ててよく考えずにポチってしまったんじゃないかと。そのせいか長いこと積読になっていたけど、最近本棚に埋もれているのを発見して読んでみました。



 読んでいると、この作者は軍事が好きなんだなーというのが随所で感じられて、どんどんページが進みます。例えばクレシーの戦いはその前後の状況も含めると10ページ近くを割いて描写している。あの戦いでは一翼を任されていた16歳の黒太子が苦境に陥り、父王エドワード三世に援軍を求めるが王は却下。そのとき王が言ったという有名なセリフ「Let the boy win his spurs(あやつに手柄を立てさせよ)」もちゃんと紹介されています。ただし、王は救援を派遣したと書かれている年代記もある、ということも指摘しているけど。資料によって言っていることが違うという、中世あるあるですな。ほかにもエドワード三世の戦略を、三方面からの小規模だが協調の取れた攻勢だと分析したりとか、イングランド軍の略奪・焦土戦術chevauchée(騎行)について南北戦争のシャーマンのジョージアへの侵攻との類似点を挙げたりとか、ウォーゲーマーが喜びそうな内容が結構書かれていています。


 個人的にはヘンリー5世が1422年に急逝した後はイングランド軍はダメダメだったというイメージがぼんやりとあったんだけど、1424年のヴェルヌイユ(Verneuil)の戦いが第二のアジャンクールって感じで紹介してあったりして、百年戦争後半はジャンヌ・ダルクだけじゃねーぜ、ということがよくわかります。というか軍事面が好きな作者だからだろうけれど、ジャンヌ・ダルクに関しては結構あっさりした叙述でした。まあ、そうなるよね。ヴェルヌイユの戦いは戦況図まで載せて説明してあるうえに、イングランド軍の総指揮官ベッドフォード公がポール・アックスをふるって奮戦したなんて逸話も載せていて、あーこの作者は戦いが好きなんだろうなと思いました。しかしベッドフォード公がフランスで苦労しているのに弟のグロスター公ときたらいらんことやりよって…。


 あと、クレシーやポワティエ、アジャンクールなどイングランドが大勝したことで知られている戦いも、余裕で勝ったわけではなく場合によっては結果が逆になっていたかもしれないということが書かれていて面白かったです。それに百年戦争って陸戦ばかりという印象だったけど、結構フランス側が制海権を握ることがあってイングランドでは襲撃や侵攻におびえていたというのも意外。フランス側にスコットランド兵が加わって大陸で一緒に戦っていたこともよくわかりました。


 それと面白かったのが、イングランド軍はフランスでの略奪や身代金でかなり儲かったということ。特に百年戦争前半は景気が良くて、イングランドの貧しい身分の人も喜んで戦争に加わって一財産築いたとか。草木一本残さず奪って荒らしまくる焦土戦術は黒太子のchevauchée(騎行)のイメージが強かったけど、イングランド軍の常套手段だったんですね。エドワード三世も借金まみれだったようだし、人口が少ないイングランドとしては豊かなフランスに攻めていって奪えるだけ奪うのが戦争経済上、効率よかったのかな。税制をきちんと整備して領邦国家としての体制を整えていったフランスと好対照。そりゃイングランドが最終的には負けるわけですよ。

 

 筆者のDesmond Sewardはフランス生まれでケンブリッジ大学を卒業しており、中世を中心に歴史の本を数多く書いている。今年亡くなったみたい。軍事好きと勝手に思っていたけど、カラヴァッジョの伝記とか、日本語訳も出ている『ワインと修道院』なんて本も出しています。


 今回読んだ『A Brief History of the Hundred Years War』は、もともとは1978年に"The Hundred Years War"という書名で出ていたんだけど、A Brief History of(略史)という文言がタイトルの前について再版されたものらしい。略史ってつけたほうが読者が気軽に手に取ると考えたのかな。実際、ペーパーバック版の判型は日本の新書版を一回り大きくしたぐらいで、ページ数も実質260ページぐらいと、内容量は新書と変わらない感じ。でも索引がちゃんとついていて、この辺は日本の新書も見習ってほしいですな。編集の手間がかかるから値段が上がっちゃうだろうけど。


 というわけで、期待せずに読んだわりには満足できる本でした。今度MoIでクレシーかポワティエをやってみるかな。イングランド軍が苦戦したら「Let the boy win his spurs!」と気合を入れることにします。








(以前、SNSマストアタックに書いたものです。修正を加えている場合があります)



2022年10月5日水曜日

『薔薇戦争全史』となるか、『ホロウ・クラウン』



  薔薇戦争の一般向けの通史ってあんまりなくて、『薔薇戦争』『薔薇戦争新史』ぐらいしか見つからない。でも日本語の本はあきらめて英語で探してみたら今度は大量にありすぎて、何を読めばいいのかわからないぐらい。日本語で戦国時代や明治維新の本が数多くでているのとおんなじ感じですかね。さらに薔薇戦争はシェイクスピア御大がいくつか作品を書いているんだけど、シェイクスピアはイギリスの学校では国語の授業で読まされるらしい。そりゃ英語圏で薔薇戦争関連の本がふんだんに出るわけですよ。『ゲーム・オブ・スローンズ』なんてのまで作られるし。


 どれを読もうか迷っていたら、以前nyaoさんに教えてもらった『十字軍全史』の作者ダン・ジョーンズの書いた『The Hollow Crown』という本を見つけたので、読んでみた。

 「ホロウ・クラウン」といえばnyaoさんやこーちゃさんが書かれていたテレビ映画シリーズで、タイトルがまるかぶりじゃないかと思われるかもしれないけど、The hollow crownというのはシェイクスピアの『リチャード二世』に書かれている言葉なんですね。


All murder'd: for within the hollow crown

That rounds the mortal temples of a king

Keeps Death his court


という一節がもともと。That rounds the mortal temples of a kingがthe hollow crownにかかっていて、Deathが主語でKeepsと倒置になっていて……え、文の構造なんてどうでもいいから訳せ? いや、いろんな翻訳が出ているのでそちらを読んでください。べ、別に訳せないからこう言っているんじゃないですよ。


 と、知ったかぶりしてしまったけど、すみません、シェイクスピアからの引用だったなんでぜんぜん知りませんでした。本のほうは2014年に出版されていてテレビシリーズは先に2012年に始まっているから、テレビとのメディアミックスか何かかな、それとももしかしてテレビシリーズの人気にあやかってタイトルをパクった? とか思いながら本を開いてみると冒頭にシェイクスピアからの引用が載っていました。

 ちなみにこの本のアメリカ版は『The Wars of the Roses: The Fall of the Plantagenets and the Rise of the Tudors』とそのまんまのタイトルになっている。教養のないヤンキーにはシェイクスピアからの引用なんてタイトルにしてもわからんだろ、というマーケティング的観点からですかね。アメリカ人の皆さんごめんなさい。英語もろくに読めない東夷に言われたくないですよね。


 テレビシリーズのほうはシェイクスピアの史劇に則っているみたい(すみません、まだ見ていません。ベネディクト・カンバーバッチのリチャードを見てみたいんですが)だけど、本のほうは史実の叙述になっている。これがまた読みやすいわけですよ。まあ、『薔薇戦争』や『薔薇戦争新史』(の原著の『Lancaster Against York』)を読んでいたときは薔薇戦争に関する知識がGJ65号のリプレイマンガぐらいしかなかったわけで、ヘンリーやエドワードやリチャードが複数出てきて混乱しまくってました。それに比べると今は薔薇戦争の大まかな流れとか主要人物は一応知っているから、『The Hollow Crown』も楽しめる余裕が少しはできたのかもしれないけれど。


 『The Hollow Crown』は、同じ作者の『十字軍全史』のときも感じたけど、読者の興味を持続させるような文体。かといって大げさに誇張しているわけではない。そういえば、『薔薇戦争新史』(の原著の『Lancaster Against York』)で印象に残っている、グロスター公リチャードがいきなりテーブルをバンと叩いて「謀反だ!(Treason!)」と叫ぶと兵たちが部屋になだれ込んできてヘイスティングスたちを連行するシーンは『The Hollow Crown』にはなかったな。

 もう一つ、王位を狙うヨーク公リチャードが、議会が開かれる大広間で王座に手を置くシーン。その場にいる貴族たちは当然承認してくれるだろうと期待に胸を膨らまししつつリチャードが振り向いたら、みんなドン引きしていたという、ギャグマンガに使えそうな場面で印象に残っていたんだけど(英国の歴史の品位を落とすようなこと言ってすみません)、これも『The Hollow Crown』にはなかったです。

 

 でもこのような具体的な場面の描写は抑制しつつ、読者の興味をそらさないのはさすが。というか、資料に依拠して分析はするけど演出はしない、という感じかな。例えば、エドワード四世がエリザベスと結婚したことはウォリックの寝返りを招くなど失策とされることが多いと思うんだけど、『The Hollow Crown』でもそういう点は指摘しつつ、なんでわざわざそんな結婚をエドワードがしたのかという分析もしています。そういえば、イングランド王が臣下の家から王妃を娶るなんてことはエドワードまで約400年の間なかったという指摘も意外。あと、ボズワースの戦いはわりと詳述していたな。


 『薔薇戦争』や『薔薇戦争新史』は百年戦争の途中から書き起こしているけど、『The Hollow Crown』もヘンリ―六世が生まれる前年の1420年から始まっていて、ヨークの血を引く最後の有力貴族が1525年のパヴィアの戦いで戦死するまでの約百年間を主に描いています。最終章ではエリザベス一世やシェイクスピアにも触れているけれど。ダン・ジョーンズの著書は『十字軍全史』と『テンプル騎士団全史』というタイトルで和訳本が河出書房新社から出ているから、『The Hollow Crown』も『薔薇戦争全史』って名づけて翻訳が出ないかな。






(以前、SNSマストアタックに書いたものです。修正を加えている場合があります)

2022年10月3日月曜日

重騎兵の突撃、そして側面からの奇襲 Sagrajas 1086 (Alea 38) AAR ⑥

 ●6ターン目(第8ターン)

―キリスト教軍ターン

 増援の歩兵4ユニットがマップ上端から登場し、がら空きになっていた側面をカバーする。このままやりたいようにさせてたまるか。騎兵と共同して敵の弓騎兵を壊滅させた。




―イスラム教軍ターン

 ムラービト軍騎兵集団が数の猛威を振るう。たった4ユニットの増援など焼け石に水よ。弓騎兵が大群で射撃をして敵を混乱させる。そして白兵戦。次々とキリスト教軍が壊滅していく。


 だがキリスト教軍の中央ではリーダーのアルバル・ファニェスが奮戦し、敵の大軍相手に戦列を維持する。リーダーが参加している戦闘はDRMが1有利になるのだ。このアルバル・ファニェスは初期配置ミスで国王アルフォンソ六世のユニットとなっている。やはり王を目にすると兵たちも奮闘するのか。

「そうだよ。だからさ、やっぱりこっちのほうが本物のアルフォンソってことにしようよ」

「いやほんと、それだけは勘弁してください…」


●7ターン目(第9ターン)

―キリスト教軍ターン

 このターンからアルフォンソはマップ外に離脱できる。すでに述べているが、キリスト教軍はアルフォンソ六世が離脱したターン数と同じ勝利得点が得られる。さらに最終ターン(10ターン目、第12ターン)までマップにとどまっていれば15点獲得する。ただ最終ターンまでアルフォンソ六世が生き延びるのはかなり難しいと思われる。また、1ターン粘っても1点しか得られないので、敵騎兵集団によって自軍ユニットが壊滅して数ポイント献上するぐらいだったら、アルフォンソはとっととマップ外に逃げてゲーム終了にしたほうがいいのではないだろうか。

 ということで、アルフォンソはマップ外に離脱。残るはイスラム教軍のターンのみとなる。


 なおアルフォンソ六世はこのAARでは全く活躍していないが、勇敢王(El Bravo)の異名を持ち当時のイベリア半島のキリスト教諸国の中では突出した君主で、全ヒスパニアの皇帝(imperator totius Hispaniae)とも名乗った。実際に支配していたのはイベリア半島の北部だったけどね。このサグラハスの戦いでは負傷しながらも逃げ延び、それから20年以上も王として君臨、バレンシアも手に入れている。ちなみに生涯で5回も結婚している。う、うらやましくなんかないんだからね。


―イスラム教軍ターン

 これが最後の攻撃となる。敵る限り多くのユニットをマップ状態に突破させるとともに、騎兵集団の猛攻で敵3ユニットを壊滅させた。盤上に残っているキリスト教軍はわずか5ユニットである。史実同様、惨憺たる敗戦となった。




 そして勝利得点の集計。キリスト教軍は敵ユニットの壊滅で87点、さらにアルフォンソが第9ターンに脱出したので合計96点。そしてイスラム教軍は敵ユニットの壊滅で88点、そして8ユニットが突破で16点、計104点。敵に10点以上差をつけられなかったので、引き分けとなった。

「いやー、最終ターンに勝利得点を細かいところまで計算して突破とかさせていたら勝てたと思うんだけどね。そういうの好きじゃないんだよねー」とイスラム教軍プレイヤー。

「いやいや、ただの計算ミスでしょ。数字が3桁いくとわからなくなるという」

「国王を間違って配置するなんていう凡ミスしたやつが言うか」


 このSagrajas1086、ルールは簡単なので中世の会戦級が未経験の人でもすぐにプレイできると思います。ただ移動に関して規定が甘く、移動しなくても向きだけ変えることは可能なのかとか疑問が少し出てきましたが、プレイヤー同士で決めればいいかと。あと、トルナフエやヒット&ランは移動中に行うのですが、両戦術を使う際はユニットの向きを自由に変えられるという規定があるけど、そういう戦術が使える軽騎兵なんだから通常の移動中も向きが変えられるとしたほうがいいんじゃないかなと思います。まあこれは好みですが。BGGではデザイナーが次のゲームで移動ルールを見直すと書いているので、次回作を期待したいです。


 なんにせよこのゲーム、キリスト教軍は最初の強烈な突撃、そのあとは圧倒的な敵兵力の攻撃にさらされながらの後退と、劇的な状況の変化が味わえます。イスラム教軍はその逆で、諸タイファ軍が次々と消えていくのに耐えた後は、騎兵集団でキリスト教軍を崩壊させるお楽しみが待っています。いずれにせよ両軍とも激しく攻撃することになるので、殴り合いが好きな方におススメです。





(以前、SNSマストアタックに書いたものです。修正を加えている場合があります)

2022年10月1日土曜日

重騎兵の突撃、そして側面からの奇襲 Sagrajas 1086 (Alea 38) AAR ⑤

 ●4ターン目(第6ターン)

―イスラム教軍ターン

 このターンも、潰走していた諸タイファ軍のユニットが地図外に遁走した。敵に勝利得点を献上することになるが仕方ない。タイファの軍勢はキリスト教軍を釣るための餌。敵騎兵が突撃し、側面をがら空きにさせるのがこちらの策なのだよ。

 と、あたかも自分がこの形勢を作り出したかのようなセリフをイスラム教軍プレイヤーは言いつつ、騎兵集団をキリスト教軍の右翼(マップ左方)に襲いかからせる。アンダルスの同胞を脅かす異教徒どもに鉄槌を!


 キリスト教諸国によるイスラム勢力への攻勢は十字軍が有名だが、1096年の第一回十字軍より前に、イベリア半島では1060年代からローマ教皇の呼びかけによってイスラム勢力に対抗するためヨーロッパ各地から騎士たちが集まってきていた。1064年にはイベリア半島北部の町バルバストロが陥落している。ちなみにこのときキリスト教軍によって数万人が殺害されレイプなど残虐行為が繰り広げられたと言われている。エルサレムなど東方での十字軍がやったこととこの点はあんまり変わりませんな。


 キリスト教軍は4ユニットが壊滅し、イスラム教軍の勝利得点は53と追い上げる。損害が累積してきたため、キリスト教軍騎兵の士気も3まで低下してしまった。


 一方で、中央からマップ右方にかけてはキリスト教軍騎兵が頑強に抵抗する。イスラム教軍は囮攻撃であるトルナフエを試みるがこれも失敗してしまった。

 

 トルナフエとはkarr wa-farrとも呼ばれ、もともとはアフリカ北西部の勢力が使っていた戦法でイベリア半島では最後のイスラム勢力となるナスル朝でも採用されている。騎兵が小競り合いののちわざと退却することで敵に追撃させ、味方が待ち伏せしているところまで誘い出したり、時間を稼いだりした……と英文ルールに書いてありました。ALEA誌本文にはこの説明はなくて、もしかしてスペインの戦史愛好家では常識的な知識なんですかね。

 Sagrajas1086ではイスラム教軍騎兵のうち一部がトルナフエの能力を持っており、成功すると敵が混乱したり、誘い出されて1へクス前進したりする。イスラム教軍騎兵の中にはトルナフエのほかに、移動中に射撃ができるヒット&ランという能力を持つものもある。デザイナーズノートによると、この二つの戦術はともに軽騎兵が敵を混乱させるためのもので非常に似ており、一つのルールに統一してもよかったのだがムラービト軍の異質さ、多様性を表現するために二つに分けたそうだ。

 ただしデザイナーも認めているようにこのゲームではイスラム教軍は数的優位を利用すればいいので両戦術を使う必要性はあまりない。ぜひトルナフエやヒット&ランが活用できるゲームを出してほしいものである。


●5ターン目(第7ターン)

―キリスト教軍ターン

 敵の騎兵集団が現れたので側面から捕捉される前にとっととマップ上端から逃げ出したいのだが、移動ルールの関係でそうもいかない。だがマップ右方で2ユニットが回復、A5となった。この方面のイスラム教軍はB4やA3が主体なので、正常状態に戻ったキリスト教軍騎兵が簡単にやられることはないだろう。


 また、マップ左方で孤立していた騎兵が孤軍奮闘する。混乱状態ながらも、ムラービト軍歩兵を壊滅させた。キリスト教軍の勝利得点はこれで80。かなりのペースで追い上げられているものの、まだイスラム教軍の1.5倍ある。

「考えてもみろ。我々が最初に稼いだ勝利得点の数を。キリスト教軍はあと10年は戦える」

「いや、あんた、マ・クベ?」


―イスラム教軍ターン

 マップ右方ではキリスト教軍にがっちりと守られたものの、マップ左方では騎兵集団が数の猛威を振るう。キリスト教軍騎兵が壊滅、潰走していく。またマップ上端まで騎兵が進出した。これでいつでも突破ができる。


 2ターン後にはアルフォンソがマップ外に離脱可能になり、そうなったらゲーム終了だ。イスラム教軍はキリスト教軍をどれだけ補足、壊滅させることができるか。


つづく




(以前、SNSマストアタックに書いたものです。修正を加えている場合があります)

マーケット・ガーデン80周年なので読んでみた、『9月に雪なんて降らない』

 1944年9月17日の午後、アルンヘムに駐留していた独国防軍砲兵士官のJoseph Enthammer中尉は晴れわたった空を凝視していた。自分が目にしているものが信じられなかったのだ。 上空には 白い「雪」が漂っているように見えた。「ありえない」とその士官は思った。「9月に雪な...